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婚約破棄された悪役令嬢ですが、仕事を奪った王宮が先に崩れました  作者: 水城ルナ


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115/119

第115話 お前はどうする

 カイエルは、その日も案件を持っていなかった。もう三度目になる。三度とも、彼は何も持たずに来て、しばらく座って、帰っていった。今回は、外に椅子を出した。日が長くなって、家の前の石段に夕方まで光が残るようになったからだ。


 二人は並んで座った。並ぶ、というのも初めてだった。机を挟めば、向かい合う。向かい合えば、どちらかが問い、どちらかが答える形になる。横に並ぶと、その形が崩れる。


「オルシュの橋は、直りかけている」


「そうですか」


「合同評議の準備室から、金と人が出た」


 リリアーナは、それを聞いても驚かなかった。手引きを配った側が、手引きの通りに動かなかった都市を放置するはずがない。放置すれば、手引きの価値が下がる。


「うまくやりますね」


「うまい」


 カイエルは、認めた。


「あの司祭は、俺の兄よりよほど政治が分かっている」


 その言い方に、彼女は少しだけ間を置いた。アルベルトの名を、この人が出すのは久しぶりだった。


「あの方は、正しいことしか言いません」


「そうだな」


「厄介です」


「厄介だ」


 二人とも、それ以上は続けなかった。


「兄上は、お元気ですか」


「元気だ。書類を溜めなくなった」


「それは、何よりです」


 それだけで、その話は終わった。二人とも、それ以上必要としなかった。通りを、荷車が一台通っていった。子どもが二人、その後ろを走っていった。


 石段は、日を受けてまだ温かい。この街に来た年、彼女はここに座ったことがなかった。座る用がなかったからだ。家は寝るための場所で、机は書くための場所で、それ以外の使い道を、彼女は割り当てていなかった。


 外に椅子を出したのは、この人が三度目に来たときだ。中に入れておくと、話が机の話になる。机の上には、いつも紙がある。紙があれば、案件になる。


 だから、外にした。


「聞く」


 カイエルが言った。


「はい」


「お前はどうする」


 リリアーナは、その問いを、去年の春から数えて二度目に受けた。一度目のとき、彼女は分かりませんと答えた。答えたあとで、考えておけと言われた。一年、考えなかった。考える形を持っていなかったからだ。


「席については、断る方向で考えています」


「そうか」


「理由は三つあります。第一に、常任の席は、出席しなくても私の名で決議が積み上がります。第二に――」


「そうじゃない」


 カイエルが、遮った。彼女は、口を閉じた。


「席の話をしていない」


「……では、何の」


「お前が、どうしたいか」


 リリアーナは、そこで初めて、自分が今、何を答えようとしていたのかに気づいた。彼女は、いつも通り並べていた。選択肢と、その帰結と、責任の所在を。それは、判断が必要な場所を可視化する作業だ。三年やってきた仕事だ。


 自分がどうしたいかは、その作業のどこにも入っていない。


「……私は」


 言いかけて、止まった。言葉の続きが、本当に出てこなかった。頭の中を探しても、そこには帰結の一覧しかない。断ればどうなる。受ければどうなる。どちらも、彼女は正確に予測できる。


 予測できることと、望むことは、まったく別の作業だった。


「私は、そういう考え方を、習っていません」


 それが、彼女の口から出た全部だった。カイエルは、黙っていた。石段の先で、影が長くなっていく。


「習うものか、それは」


「分かりません」


「俺も分からん」


 彼は、膝の上で指を組んだ。


「俺は、第二王子として生まれて、兄がいて、王にはならない。何をしたいかを聞かれたことはない。聞かれる立場じゃなかった」


「……ええ」


「三年前、お前に会って、初めて考えた」


 彼は、まっすぐ前を見ていた。


「この女は、切られる前提で動いている。切られたあとの場所を、先に作っている。俺には、それがなかった」


「殿下には、王宮があります」


「ある。だが、それは俺が選んだ場所じゃない」


「私も、選んでおりません」


「だからだ」


 カイエルは、少しだけこちらを見た。


「選んでいない場所で、選んでいない役目をやって、それでも先を作れる人間がいる。それを見て、俺は、自分が何もしていないことに気づいた」


 リリアーナは、彼のほうを見なかった。見ないほうがいい気がした。


「だから、組んだ」


「利用価値だと、おっしゃいました」


「言った」


「あれは、嘘でしたか」


「嘘じゃない」


 カイエルは、少し笑った。


「嘘じゃないが、全部でもなかった」


 通りの向こうで、誰かが窓を閉める音がした。


「考えておけと言って、一年経った」


「……申し訳ありません」


「謝るな」


 彼は立ち上がった。


「急がせるつもりはない。だが、これだけは言っておく」


 一拍。


「お前が答えないうちは、俺も答えられない」


 その言葉の意味を、リリアーナは正確には掴めなかった。掴めないまま、胸の奥に静かに落ちた。


 彼が去ったあと、彼女は石段に座ったまま、日が完全に落ちるまで動かなかった。


 石が冷えていくのが、手のひらから伝わってくる。夕方の光は、もう石段の端にしか残っていない。冷えても、立つ理由がなかった。中に入っても、机の上には何もない。

机を挟むと、どちらかが問い、どちらかが答える形になります。

今回だけ、二人を横に並べて座らせました。それだけで、話す中身が変わりました。


次回、一晩かけて、一行だけ書きます。


恋愛は控えめのままですが、ここは少しだけ動きます。よろしければ評価を。

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