第十六話 沼へ
翔英は焼きおにぎりの様な携帯食と、水筒を用意して街を出る。
夜間活動は初めてで、段々緊張してきた。
「今のところは心配いらないな。霧が出たり雨が降る時は要注意だ」
赤い眼の剣が言う。
街路はキレイに整備されているし、危険な魔物が荒らして回っていると言う印象も無い。
それでも赤い眼の剣は警戒している。
街で危険とされるティガーを相手にも余裕だった分、翔英も怖くなってくる。
「沼の一族と言うのは知っているんですか?」
「ああ、人型の群れで、あのデカいメスが言っていた通りだろう。直接見た事は無いが、聞いたことはある」
メスって、と翔英は思うのだが、赤い眼の剣からすると男女と言うより雌雄の分け方になるのだろう。
「魔術を僕は見た事が無いんですけど、大丈夫でしょうか」
「大した事は無い。それもあのデカいメスが言っていた通り、ただの飛び道具の一種で気にするほどではない。少なくとも、俺にとってはな」
気になる言い方だ。
今から戻って防具を揃えた方が良いかもしれない、とも思い始める。
翔英は防具らしい防具を用意していない。
意外と重く、動きづらいと言うのがその理由であり、赤い眼の剣に戦闘を任せておけば怪我をする事もまったく無かったためでもある。
それともう一つ。防具を鍛えるための素材集めが嫌だった、という事もある。
完全オーダーメイドの防具なので鱗や皮が必要だというのは予想出来たのだが、それが虫の差材だったり解体作業が複雑かつ気持ち悪い部位の骨格部分も多く必要だったため断念したという側面もある。
何かと口うるさいエーカは時々ブツブツ言っていたが、翔英は聞き流していた。
だが、冷静に考えるとこれは油断で慢心だと言う事を、今更ながら翔英は考え始めていた。
これまで防具を必要としてこなかったのは、全て接近戦だったと言える。
魔術を見た事も無かったし、どんな形であれ飛び道具を使用される事も無かったのでダメージを受ける展開にならなかった。
今度は違う。
あの大女から話を聞いていた限りでは、沼の一族は人型で魔術と言う飛び道具を活用してくる。
しかも大女はそれによって近づくことすら出来なかった、と言っていた。
つまり、沼の一族の最初の攻撃方法であり、メインの攻撃手段であると考えられる。
それなのに翔英は深く考える事もせずに、いつも通りの狩りが出来ると思い込んで出て来てしまった。
一度悪い方に考えてしまうと、どこまでも失敗してしまったと思えてくる。
何か良い点を考えないと。
先行している魔術師と狩人がいるので、翔英が行った時にはすでに戦闘が終わっている可能性もある。
それであれば今回は残念だったね、と言う事で欠員が出るまで日中のクエストのみで過ごす事になるが、まったく問題ではない。
そう思うと気が楽になってきた。
情報収集で出遅れたが、意識していなかったとはいえこう言う効果があったのは有難い。
むしろ、お手並拝見と言う気分にすらなってくる。
すでに戦いが終わっていてくれれば、防具の有無は問題にならない。
街に戻ったら真面目に防具を選ぶとしよう、などと考えながら目的の沼を目指す。
赤い眼の剣には申し訳ないが、今回は空振りに終わっているはずだ。
翔英はそんな事を考えていたが、事態はそんな翔英の希望通りにはいかず、沼が見えるところまで来た時には正に戦闘中であり、奇妙な一団を見つけた。
大女は沼の一族は基本的に同じ姿だと言っていたが、まるで枯れ木の様な人型の枯れ木人間がゾロゾロと沼を動いている。
「あれが沼の一族?」
「俺は知らん。沼に集まっていると言う事は、そうなのではないか?」
翔英の質問に、赤い眼の剣が答える。
マスターも沼の一族が集まってきていると言っていたし、それを無力化する事が目的だった。
数はかなり多い。
二十体以上いるのではないかと思える数だが、これまでと違ってさほど恐怖は感じない。
「珍しいな、お前が恐れていないとは」
「多分、見た目の問題でしょうね」
翔英は赤い眼の剣に答える。
これまではティガーも込みで生物と言う感じがあったが、この枯れ木人間にはそう言う雰囲気が無い。
数はかなり多いが、見た感じでは動きは緩慢で武器らしい武器も持っていない。
ついついいつもの油断が出てしまうが、この枯れ木人間はこれまで見てきた魔物の中では群を抜いて弱そうだった。
沼のせいで足元がぬかるみ始めたが、足元は学校指定の靴ではなくレザーブーツなので、ひざ下くらいまでなら問題無い。
それに、どれほど見た目に弱そうとか足元が怪しいとかでも、戦うのは赤い眼の剣であり、最悪でも泥に汚れる事はあってもこれほど動きが緩慢な枯れ木人間に赤い眼の剣が遅れをとるとは思えない。
「それじゃ、始めようか」
赤い眼の剣がそう言うと、いつもの違和感が翔英を包む。
その瞬間に、翔英は枯れ木人間の中に飛び込み、一薙ぎで三体の枯れ木人間をへし折るように切り裂く。
「む? 見た目より硬いな。だが、その程度では話にならない」
好戦的な赤い眼の剣は、さらに二体を瞬時に切り裂く。
惚れ惚れするほどの動きを、翔英はまさにライブで楽しんでいた。
沼を進みながら、さらに五体を刻み、群れの半数近くを瞬く間にねじ伏せる。
これまでの戦闘と違う点は、沼で足元が悪いとか魔物の見た目が怖くないと言う事以外にも、大きく違うところがある。
血が噴出さない事だ。
これは見た目にもありがたく、それが翔英の恐怖を煽らないで済んでいる。
ただでさえ夜になって月明かりくらいしか光源が無いのだから、余計な精神的プレッシャーが無いのは有難い。
珍しい、と言うよりこの世界に来て初めて余裕を持って戦闘出来ていた。
鼻歌でも歌えそうな楽勝ぶりだったが、それだけに異物が紛れ込んでいる事にすぐに気付く事が出来た。
「ちょっと待って」
「あ? 邪魔する気か?」
赤い眼の剣の支配は、その効果の高さから考えられないほど弱い。
翔英が少し強く念じ、自分で体を動かそうとするだけで赤い眼の剣の支配から体を取り戻す事が出来る。
ただし、赤い眼の剣の機嫌を損ねる可能性があるので、出来れば避けたかったのだが今回は無視出来なかった。
夜と言っても、今夜は天気が良く月明かりが明るいので視界は確保されている。
沼の入口付近には遮蔽物も少ないので、枯れ木人間の群れの中に明らかに枯れていない人影があり、その人物を枯れ木人間が襲っているみたいだった。
赤い眼の剣はその人物も容赦なく切り捨てようとしていたため、翔英が慌てて止めたのである。
「新手か?」
その人物は細身の剣を重そうにしていながらも手放さず、呼気を乱しながらも強い目でコチラを見る。
月明かりのせいか、異常な状況のせいかはわからないが、美しい少女だった。
年齢は翔英とさほど変わらないくらいで、今は乱れているが長い髪を丁寧に結い上げている。
人より大きく先端の尖った耳が、彼女が翔英と違ってこの世界の住人だと物語っている。
「助けて欲しくないみたいだが?」
こちらに敵意を向ける少女を見て、赤い眼の剣が言う。
確かにそう見える。
だが、赤い眼の剣の能力の前にはただの動く枯れ木でしかないとはいえ、この少女にとっては手に余る魔物らしく、目に力は残っていても肝心の体力は限界を超えているように見える。
剣も手放してはいないが、おそらく振る事は出来ないだろう。
月明かりに照らされる深緑の髪、同色の瞳は強い敵意を放っているにも関わらず、翔英は彼女に見蕩れていた。
エルフって、本当に美形なんだな、と感心してしまう。
そんな中でも翔英の体は動き、枯れ木人間を次々と両断していく。
「な、あ、貴方、何者なの?」
エルフの美少女の瞳から強い敵意から、驚愕の色が濃くなっていく。
瞬く間に枯れ木人間が折られた薪のようになり、ごく数体を残すだけになると、枯れ木人間はすごすごと沼から離れていった。
エルフの美少女はまだ何か言おうとしたのだが、剣を取り落とすと翔英の方に倒れ掛かってくる。
「うわっと」
反射的に避けようとしたが、真正面からだったから避けきれずに抱きとめる形になった。
下手をすると赤い眼の剣で貫きそうだったが、そんな事故にはならずに済んだ。
「とんだ荷物を抱えたな。どうするつもりだ」
実質的な戦闘員である赤い眼の剣が、呆れたように言う。
確かに困った事になった。
赤い眼の剣はすでに翔英と言うお荷物を抱えているのだから、意識を失った文字通り荷物を抱える事になっては戦闘に支障が出る。
それと彼女が何者か、と言う問題もある。
選抜候補の中にはいなかった。
候補ではなく、選抜隊の一人なのかもしれない。
エルフは街でも見かけるし、翔英の使っている宿の受付もいる。
基本的に翔英は街を見て回ったりと言う活動はしていないので、選抜隊と言うのもエーカからの情報でしかしらない。
ギルドマスターの言葉では、沼の一族の無力化の優先順位が高そうだったので、選抜候補のひよっこだけでなく、正規の選抜メンバーを送り込んだ事は十分考えられる。
しかし、沼の一族が思いのほか手強く、正規メンバーと思われるこのエルフの美少女は想定外の苦戦を強いられたところに、翔英が現れた。
そんなところだろう、と翔英は予測する。
と言うより、そうであってほしいと言う願望を翔英は無意識に導いただけだったが、それでも翔英はそれが答えだと思っていた。




