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そもそもいくら昨夜から今までの時間が楽しかったからといって、やはり、いきなり付き合ってくれとはいかがなものか。
ひとつの結論を出し、平静を取り戻した頭で、私は再び考えた。
大体、状況から考えて、カワノさんに不快な思いをさせないよう、誘い出したことを後悔させたりしないよう、私がある程度、気を使って愛想良く振る舞うのは一種の礼儀だ。ぶっちゃけ、社交辞令である。
そこを踏まえた上だとしても、知り合ったばかりの私に告白する心情がどうしても解らない。
どれほど気が合うと思われたのか知らないが、いくらなんでもチャレンジし過ぎではないか。借りてきた猫を返した私がとんでもない悪女だったらどうするつもりなのか。
それとも他に何か目的があるのだろうか?
人の言葉の裏というのは、考えだしたらきりが無い。
そのくせ、考えれば考えるほど、解らなくなるばかりである。
○
「そんなに悩む?」
YESともNOとも言い出さない私にしびれを切らしたのか、カワノさんがそう訊ねてくる。
「だって……やっぱり急すぎますよ」
純情な乙女のような台詞で曖昧に答える私を見ながら、カワノさんは頭を掻いた。
「うーん……俺にとっては普通なんだけど」
その表情は、躊躇している私の意味がまるで解らないと言っているようだ。
その反応に好奇心を刺激され、今度は私が訊ねてみる。
「カワノさんって昔から……そんなに決断はやいですか?」
「いや……俺もともとすごい優柔不断なんだけど……」
優柔不断とは対極の言動しか目にした覚えが無かったが、ここは深く考えずに二の句を待つ。
「今だと思ったとき、すぐ動けない奴に、経営者は務まらないって勉強会で教わったから。それから意識して行動するようになったかな」
「勉強会で?」
意外に思って私は聞き返した。
確かに経営者を目指して勉強中だとは聞いていたが、そういえば内容までは詳しく聞かなかった。
しかし、てっきり経営学や経済学といった類いの、経営に必要だと思われる知識を習得中なのだと思っていたので、少し引っ掛かったのだ。
「うん。他にもより良い人生を送るために必要な考え方を、たくさん教えてもらってるよ」
そう答えてくれたカワノさんの目は、真夜中のグランフロントで夢を語っていたときと同じように輝いていた。
○
やや失礼な話になるが、カワノさんのその瞳に、私は何とも言い表し難い違和感を感じた。
その違和感の正体を明らかにすることは少々、躊躇われたが、どうも彼の告白にすんなり応えることが出来ないのは、知り合ったばかり云々という理由だけでは無いように思えてきた。
何しろ世の中には一目惚れという言葉もあるくらいなのだから、知り合ったばかりだろうが何だろうが、良い相手だと思えばすぐに応えたくなるものではないだろうか。
ましてカワノさんは容姿も申し分ないのだし、とても紳士的な好青年だ。
出会ってから今の今まで、彼は指1本、触れてこなかった。宿泊先のホテルへも送ってはくれたが、入って来ようとはしなかった。一緒に食事をしているときも、観光しているときも、嫌な気分にさせられることは無かった。旅先で出会ったという馴れ初めも、ドラマチックで素敵である。
言葉は悪いが、そんな優良物件に飛び付く気になれないとなると、何か本能的な部分で受け入れがたいものが、彼の中に在るような気がしてならなかった。というより最早、在ると確信していた。
しかし当然のことながら、そんなことは口が裂けても言えない。
私は得意の曖昧な笑みを浮かべて、さり気なく視線を窓の外に移した。
○
いつの間にか外は弱々しい小雨に変わっていた。私たちは資料館を出て、梅田駅へ戻ることにした。
去り際にもう一度、太陽の塔を振り返る。雨雲の切れ間から細く漏れ出した陽光を受けて立つ太陽の塔には、夢に見てしまいそうなほど奇妙な神々しさがあった。
思わず見入っていると、少し先を歩いていたカワノさんが「どうしたの?」と声をかけてくれる。そちらへ「なんでもないです」と答えてからふと思い付いて、私は太陽の塔に向かって手を合わせた。
(何かが、変わりますように)
密かにそう祈ると、カワノさんに付いて、私たちは万博記念公園を後にした。
ホテルに預けたままだった荷物を引き取り、新幹線の自由席で帰ると言うと、「それなら軽くなにか食べてから行ったら良いよ。駅弁とか意外と高いし」というカワノさんの提案に従って、私たちは駅構内の小さな串揚げ屋に入った。
古そうな店内は意外、と言っては失礼かも知れないが、かなり人が入っている。中には私のように乗車前に食事を取る人や、カワノさんのように見送りに来た人も居るようだ。
「最後の晩餐だね」
「はい」
乾杯し、ジョッキを傾ける。
万博記念公園を歩いてきただけでガッツリ運動してきた気になっている私の喉を、レモンサワーが潤した。ただのレモンサワーだが、大阪で呑む最後の酒だと思うと、余計、喉に染みる気がした。
間もなく注文した串揚げの盛り合わせが運ばれてくる。数本の串揚げが盛られた皿の隅に、ソースの入った小鉢が添えられていた。1本、取ってかじりつくと、衣のサクッとした食感に続いて、豚肉のジューシーな歯応えを感じ、しみじみと嬉しくなる。
この出され方では気にする必要も無いのだろうが、せっかくなので有名なあのルールに従い、ソースの二度漬けはせずに食べきった。
「お好み焼きも食べたし、とりあえずこれで大阪名物は押さえたな」
「そうですね」
カワノさんの言葉に、私は深く頷いた。
2泊3日という短い間ではあったけれど、行きたいところに行き、美味しいものを食べ、出会いに恵まれ、良い酒を呑んだ。
楽しかった、と心から思った。
さまざまな出来事や、いろいろな人の顔が、まさに走馬灯の如く思い出され、私は無性に礼が言いたくなった。
「ありがとうございました」
カワノさんに向かってぺこりと頭を下げると、彼は「いやいや」と手を振った。
○
カワノさんはこの後も勉強会に参加する予定があると言うので、梅田駅で別れた。
「じゃあ、また」
そう言って差し出された彼の手を握り返す。これでお別れなのだと思うと、ぐっと握手を交わしながら、少しだけしんみりした気持ちになった。
どんな背景があったとしても、自分を好きだと言ってくれた相手というのは、やはり特別なものである。少なくとも私はそうだ。
串揚げで満たされた腹を抱えつつ、私はひとり、新大阪駅へ向かった。
駅構内の土産屋で手早くお土産を買うと、往路同様、自由席車両に乗り込む。
出発の夜、甘すぎる見通しで乗車したために、一寸の隙を突いて借りた席で弁当をかき込む羽目になったことを思い返してヒヤヒヤしていたが、復路では幸いにも席を確保することが出来た。
立ちっぱなしの刑を免れた私は、ほっと座席に体を埋める。そしてそのまま、深い眠りに落ちた。
○
私の話には根本的な嘘がある。
まず、私にとって『大阪』はトラウマの象徴ではない。『大阪』と聞いて連想する過去の記憶とこの西の街に、実際、直接的な因果関係はほとんど無い。
言うならば、恭太郎への未練を捨てきれずに居た私が勝手に『大阪』に八つ当たりしていたに過ぎない。
恭太郎が転勤になろうがなるまいが、きっと結果は変わらなかったろうと思うのに、恭太郎に選ばれなかった原因を、自分以外の何かのせいにしたかったのだ。
さらに、旅先に大阪を選んだのは、哀しい記憶を楽しい思い出に変えるためなんて理由ではない。
そもそも哀しいのは、恭太郎に会えなくなってしまったことだけで、それまでに恭太郎と過ごした時間は、他の何にも代え難い、楽しい思い出なのである。
それではどうして、私は大阪に来たのだろう。
私は今でも恭太郎のことが好きである。だから恭太郎の嫌がることや、恐がらせるようなことはしたくない。
故に私は恭太郎に会おうとしていたわけではない。彼に対して何をしたかったわけでもない。
それでは何をしに、私は大阪に来たのだろう。
多分、私は会いたかったのだ。ここまで来れば、恭太郎に恋をしていた、あの頃の私に、もう一度、会えるような気がしたのだ。
ただ、私のために、幸せだった頃の自分を、思い出したかっただけなのだ。




