第二の組員・朴本治之
今日も、SIRENの執務室では紙の擦れる音が聞こえてくる。資料をめくりながら、波多野は静かにため息をついた。
「…この組織、二度目の警告も完全無視してきたわね…」
そんな執務室の中で、波多野は静かに呟く。資料に書かれてるのは、罪のない一般人を誘拐し、奴隷として売り裁く人身売買組織の組織図。
本人達が自らその身を差し出し、その対価として金銭のやり取りをしているのならば、法的にはともかく、SIRENとしては問題視しない。だが、この組織は裏社会の輩ではなく、表社会で懸命に生きる堅気達を誘拐し、それを売り捌き、富を得ている。
ーーーこんな分かりやすい意志の侵害、見過ごすことなどできるはずもない。
「…こういうバカは、減らねぇな…」
執務室のソファに腰掛ける、一人の大男が、低い声で呟いた。その眼前には、波多野が見ているものと同じ資料が広げられている。波多野は資料から目を外し、その大男の方へと視線を向けた。
朴本治之。黒髪の短髪で、ヤクザとも見間違えるほどの強面と、SIRENの中でも最も屈強な体を持つ男だ。
ーーーそして、波多野とはSIRENの中で、非常に長い付き合いのある男でもあった。
「…朴本さん」
「裏じゃ珍しいものでもねぇよ。昔からこの手の連中は出てくる。…不愉快なことにな」
朴本は嫌悪感を隠そうともせず、ただでさえ怖い顔を歪ませている。
やはり、この反応になるか。あまりにも予想通りだったため、波多野は小さく噴き出した。そんな反応を受けて、朴本は小さく舌打ちをしながら、こっちを睨んできた。
「何だよ、クソガキ。何がおかしいんだ」
「いえ…どこまでも朴本さんだな、と思っただけです」
「意味が分からねぇよ」
そんな下らないことを言い合っていると、執務室の扉が開かれる。そこには、二人分のティーセットを持った月乃が立っていた。
「失礼します。紅茶が入りましたよ。少しお休みされては?」
「…わざわざありがとうね、月乃」
本来ならば、月乃はわざわざこんなことをする側ではない。ティーセットを持ってきたのが建前だということは、波多野も朴本も気付いていた。
月乃はティーカップを波多野と朴本の元に置くと、朴本が乱雑に広げた資料を見た。そして、静かにため息をついた。
「…その組織からの返事は、来ていませんよ」
「だろうな。そんな予感はしていた」
月乃の淡々とした報告に、朴本は動じる様子を見せない。波多野も予想済みであったため、特に驚きはしなかった。
明確な意志の剥奪に対し、こちらは警告も行った。その上で、猶予も与えた。だが、それを無視し、活動を続けたのは向こう側だ。
ーーー警鐘は、サイレンはすでに鳴らされた。聞いていなかったなどと言った、下らない言い訳を許すつもりはない。
「…今回は、誰が行きますか?特に希望がなければ、また私が行きますが」
月乃は波多野の方を見つめてくる。
確かに、月乃ならば問題なく、連中に警鐘を聞かなかった代償を身体に教え込むことができるだろう。
だが、波多野は首を振った。
「あなたは前回行ったからね。今回は休んでて」
波多野の言葉に、月乃は少し食い下がろうとしてきているのが分かる。だが、波多野とて考え無しで言っているわけではない。その視線は、朴本へと向いていた。
「…朴本さん。今回はお願いできますか?」
「あ?」
「今回の制圧、朴本さんお願いします」
「チッ…仕方ねぇな」
波多野の頼みに、朴本は心底面倒くさそうに、渋々と言った様子で答えた。
だが、波多野には分かっていた。口では嫌々言っていても、朴本は拒絶しない。
朴本はお茶を飲み干した後に立ち上がると、執務室を出ていってしまった。その様子を、波多野と月乃は見守っていた。
「…相変わらずですね、あの方は」
「相変わらず?」
「あなたには甘々です」
ーーー甘やかされた記憶はないが、月乃から見たらそう見えたのだろうか。心当たりがまったくない波多野は、首をひねるしかなかった。




