9. アルフォンスの新しい趣味
アルフォンスは時間の余裕ができてからというもの、どうやら趣味に没頭しているらしかった。
仕事を終えれば真っすぐ屋敷へ帰り、休日も以前のように書斎へ籠もることはない。何かを始めたらしいということだけは使用人たちの様子から察していたものの、本人は「そのうち分かるよ」と笑うばかりで、何をしているのかは教えてくれなかった。ヴィオラも無理に聞き出そうとはしなかった。仕事以外の時間を楽しめるようになったのなら、それだけで十分嬉しかったからだ。
そんなある日のことだった。
休日だというのに、ヴィオラは一階から微かに物音が聞こえてくることに気づいた。まだ朝早い時間である。隣に寝ているはずのアルフォンスへ目を向けると、寝台はすでに空になっていた。
「こんな朝早くから、何をしているのかしら……」
軽く身支度を整えたヴィオラは、一階へ降りる。物音を頼りに廊下を歩いていくと、それは屋敷の厨房から聞こえてきていた。扉の向こうでは数人の料理人や使用人が集まり、何やら話をしている。
不思議に思って中を覗き込むと、その輪の中心にはエプロン姿のアルフォンスが立っていた。腕を組みながら料理人の説明へ真剣に耳を傾ける姿は、まるで新しい仕事を覚える新人のようである。
「アルフォンス……何をしているの?」
ヴィオラが声をかけると、アルフォンスは振り返って穏やかに微笑んだ。
「あぁ、おはよう、ヴィオラ。見ての通り、料理を教えて貰っているところさ」
ヴィオラは目を丸くした。
「料理って……最近見つけた趣味って、それの事だったのね」
「ああ、そうなんだ」
アルフォンスは少し照れくさそうに笑う。
「簡単なものでも良いから、作ってみんなに振る舞ってみたいんだ」
その言葉に、厨房の料理人たちも穏やかな笑みを浮かべる。
最初にアルフォンスから「料理を教えてほしい」と頼まれた時は、誰もが耳を疑ったものだ。レイヴァン侯爵自ら厨房へ足を運び、包丁の持ち方から教えてほしいと言うのだから当然である。
もっとも、教え始めてみると、彼は驚くほど熱心な生徒だった。
料理人の説明は一言一句聞き漏らさず、分からないことがあれば納得するまで質問を重ねる。野菜の切り方一つ取っても手を抜かず、何度も練習を繰り返していた。
その真面目さは、良くも悪くも仕事をしている時のアルフォンスと変わらなかった。
ヴィオラは思わず苦笑する。
「あなたらしいわね」
「そうかな?」
「ええ。趣味までそんなに真剣に取り組む人なんて、そうそういないもの」
そう言うと、アルフォンスは少し困ったように笑い、頬を掻いた。
「仕事ばかりしてきたからね。せっかく時間ができたんだ。どうせなら何か一つくらい、形になるものを身につけてみたくて」
その言葉を聞いたヴィオラは、小さく頷く。
「ちょっと待ってなさい。私も手伝うから」
「え?」
アルフォンスは目を瞬かせた。
「ヴィオラは料理できるのか?」
「少しだけならできるわよ。屋敷へ来てからは料理人のみんなに任せきりだったけれど、実家にいた頃は母に教わりながら何度か作ったことがあるもの」
そう言ってヴィオラは袖を軽くまくると、迷うことなく厨房の中へ入っていく。
料理人たちは互いに顔を見合わせたあと、「侯爵夫人の分のエプロンをご用意します」と慌てて支度を始めた。
こうして静かだった厨房は、いつしかレイヴァン夫妻の笑い声が響く、いつもより少し賑やかな場所へと変わっていったのだった。




