3. 薬を飲まないと変に意地を張ってしまうんです……
アルフォンスが寝込んでから三日。
高熱はすっかり下がり、青白かった顔色にもようやく血色が戻ってきていた。医師からも峠は越えたと言われており、寝室を包んでいた重苦しい空気も少しずつ和らいでいる。
もっとも、それは体調の話であって、夫婦仲が完全に元通りになったという意味ではなかった。
ヴィオラが寝室へ入ると、寝台の上には見慣れない簡易机が設置されていた。膝の上へ渡す形で板が固定され、その上には書類が几帳面に並べられている。アルフォンスは背に枕を重ね、羽ペンを片手に静かに書類へ目を通していた。
病み上がりとは思えない光景に、ヴィオラは思わず眉をひそめる。
「あなたねぇ。まだ病み上がりだっていうのに、もう仕事をしているの?」
呆れた声を向けると、アルフォンスは書類から顔を上げ、小さく苦笑した。
「一応な。無理のない範囲でやろうと思ってる」
「その台詞、この前も聞いた気がするのだけれど」
「今回は本当だ。執事にも、一日に何時間までと決められている」
執事や医師が認めた上でのことなら、ヴィオラも強く止めるわけにはいかない。それでも、つい数日前まで高熱で寝込んでいた人間が仕事を始めている姿を見れば、心配になるのも当然だった。
「そういえば、薬はもう飲んだかしら?」
何気なく尋ねると、アルフォンスの肩がぴくりと揺れた。そのまま彼は視線を横へ逸らす。
あまりにも分かりやすい反応だった。
ヴィオラはじっと見つめる。
「もしかして……飲んでないわね?」
「だ、大丈夫だよ。今から飲もうと思っていたんだ」
「駄目です。ほら、飲んで」
ヴィオラは寝台脇の小瓶から薬を取り出し、アルフォンスへ差し出した。
しかし、アルフォンスは受け取ろうとしない。
「自分で飲める」
「ええ、そうでしょうね。でも、さっきまで飲んでいなかったでしょう?」
「だから今から――」
「今からではなく、今すぐです」
ヴィオラは机の手前に置かれていた水の入ったコップを手に取ると、そのままアルフォンスの口元へ差し出した。
「ほら」
「いや、本当に自分で――」
「飲みなさい」
アルフォンスは妙なところで意地を張る。
薬を持ったまま微妙に身体を引くものだから、ヴィオラも負けじと距離を詰めた。
「飲みなさいったら!」
押し問答の末、ヴィオラが身を乗り出した拍子にバランスを崩し、そのままアルフォンスの身体へ倒れ込んだ。
「きゃっ!」
寝台が小さく軋み、書類が数枚ふわりと揺れる。
気づけばヴィオラはアルフォンスを押し倒すような格好になっていた。
逃げ道を失ったアルフォンスへ、ヴィオラは薬とコップをぐっと突きつける。
「飲みなさい……!」
「わ、分かった……分かったから。重いから、よけてほしい」
その一言を聞いた瞬間、ヴィオラの動きがぴたりと止まった。
「……重い、ですって?」
にっこりと微笑んだはずなのに、なぜか寝室の空気だけが冷え込む。
「私になんて事を言うのかしら、あなたは……?」
「ご、ごめんって……」
アルフォンスは明らかに狼狽えた様子で謝った。先ほどまで薬を飲むことに妙な意地を張っていたというのに、今ではヴィオラの機嫌を損ねたことの方がよほど大きな問題らしい。
ヴィオラはしばらく夫を見下ろしていたが、やがて深いため息をついた。
「はぁ……仕事で頑張っているあなたに免じて、今回だけは許します。薬もようやく飲んでくれたしね」
そう言って身体を起こすと、アルフォンスもようやく安堵したように息を吐いた。
いつの間にか薬はきちんと飲み込まれており、手にしていたコップの水も半分ほど減っている。結果だけを見れば目的は果たせたのだから、これ以上責める必要もないだろう。
ヴィオラは乱れた掛け布を整えながら、まだ少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「そうだ。ヴィオラ」
寝室を出ようとしていたヴィオラは、背後から呼び止められて足を止めた。
振り返ると、アルフォンスは簡易机に手を置いたまま、どこか言いにくそうな顔をしている。
「何、どうしたの?」
「良かったら今晩、一緒に食べないか?」
思いがけない誘いに、ヴィオラは目を瞬かせたのだった。




