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傷ついて、傷つけて  作者: 鍋谷葵


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2/2

傷つけた

昨日の夜。

イギリスの古いバンドのアルバムを聴いていた。

音が大きくて、シャウトが多くて、中学生の時によく聴いていたロックオペラ。

でも聴きなおしてみたら、古臭くて、どうしようもなく凡庸に聴こえた。

だから昨日の夜は、スマホがうるさいのに寝落ちしてしまった。


朝起きてみれば、いつもの天井と畳。

すっかり綿が縮まった布団に染みた床の冷たさに、背中が悲鳴を上げている。

大あくびをして、体を起こす。

痩せっぽちの体は、昨日の夜から何も変わっていない。


赤く腫れた顔と、酒臭い手と、汚れ切ったシャツと作業ズボン。

汗と、涙と、悪い酔いをするためだけの酒。

そんなものが染み込んだ服は捨ててしまおうか。


衝動は止そう。

これを捨てたら着るものがなくなる。

春服はこれともう1つしかないんだから。


腐った布団から抜け出して、日向の窓を開ける。


コンクリート壁。

俺よりも立派に働いて、立派に稼いで、立派な肩書を持った奴らが住んでいる家の壁。

とってつけたようなベランダに置かれた室外機と、洗濯機と、アロエの枯れた茶こけた鉢が虚しくて仕方がない。


地面を這う淀んだ空気が部屋に入り込む。


空き缶と、灰皿と、CDと、ごみ袋で覆われた本棚と、ジャズマスが置かれた部屋に。


アルコールとヤニの臭いは、排ガスと仄かな下水の臭いと混じって薄まる。

爽やかさはない。

育ちの悪い奴にとってはこっちの方が心地いい。

長野か山梨かどこかクソ田舎の綺麗な空気よりも、都会に沈んだ空気の方がよっぽどいい。

さらに望めるのなら、これが朝陽に照らされていなければなお良い。


生温い空気は苦手だ。

冷たくて、目が冴える空気が好きだ。

そっちの方が、痩せて、丸まって、そこら辺にいる変人を真似た体が良く映える。暖かい空気の中だと気持ちが悪いだけ。

道端に落ちてる濡れてしけった、シケモクと同じ。

白日の下で晒される斜に構えた不格好は綺麗じゃない。


なら、綺麗をベランダで取り繕おうか。


ズボンでくしゃくしゃなったアメスピ。

探ってみたかんじ、一本は残ってる。

ライターもあと一回くらいは大丈夫。


ほら、あった。

ほら、着いた。


不味い煙が口と肺を満たしてゆく。

アルコールにやられた頭が、少しだけすっきりする。

紫煙が見てくれ不格好な体を整える。

18から吸い始めたそれは心を大人にする。

たぶん、そんな気がする。


塗装が剥がれた錆びたスチール缶。

マックのポテトみたいに煙草が突き刺さってる。

まだ入るさ。

満杯の口に灰を落とす。

1本25円強のそれはあと半分。


金がないのに煙草を吸う。

金がないのに酒を飲む。

金がないのに人と遊ぶ。

そして迷惑かけて拒絶する。


言葉にしてみれば退廃が染みてる。

デカダンって、やつかもしれない。

ただそんな言葉は空想だ。

もしくは、コンクリートのアパートに住んでるやつら羨望だ。


俺は、俺たちは、誰にも理解されないからそうやっているんだ。


本当に?

違う。

俺は、少なくとも俺は、変われない自分を肯定したいだけ。


やっと俺のことを見てくれる人を泣かせてしまったのも、そうなんだ。


誰かに理解されたい。


誰かを理解したい。


そう願って、でも素直にそれができなくて、酒に頼って迷惑をかける。

そうしてこと切れた関係に後悔して、感傷的に涙を流して、のらりくらりとまた誰かに愛されようとする。


たぶん、俺は、俺が一番嫌いな奴だ。


人を道具として見てる。


人を、あの人を、彼女を、俺は見ていなかった。


ねえ、私はあんたの味方だよ。

あんたを物として見ることはない。

だからさ、私の前では素直でいてよ。


そんな風に言ってくれたのに、それを信じ切れなくて、あの人の家で泣き喚いて、明日も明後日も仕事があるあの人を困らせた。俺は愚痴を聞いてあげているからって、自分に言い聞かせて。


俺は俺しか見ていなかった。

俺を切り捨てた奴らと同じように。


酒なんて飲むもんじゃないんだ。

社会に歪められた人間が最後に頼るだけの飲み物なんだから。


いつかあの人に俺はそう言った。

でも、そんな俺自身は社会にいる?

いや、いない。

社会にいたのは、あの人だけだ。


俺は、ただ、ぼんやりと生きてるだけだ。


誰にも頼らず、誰にも縋らず、それでも誰かにとっての大切な人になろうなんていう無謀な空想の下、ぼんやりと。


ぼんやりとしているから、周りが見えない。

周りが見えないから、誰も信じられない。

誰も信じられないから、悪意に頼る。

悪意に頼るから、人が俺を拒絶する。


言葉ではわかっている。

でも、言葉の意味はわからない。

言葉は嘘を吐くから。


当たり前のことだ。

誰だってわかっている。


でも、その当たり前が怖い。

だから、馬鹿みたいな悪意に染まってしまう。

子供と何も変わらない。

あの頃から何にも変わっていないんだ。


煙が辛い。


縮れ落ちた灰を踏みつける。

フィルターは懐かしくも憎たらしい空き缶へ。


透明な太陽の光が汚れた缶を照らす。


あほらしい独善性と自罰感が、最後の紫煙とともに湧き上がる。

濁りきった目は「なにか」を浮かべてくる。

馬鹿で、阿呆で、暴力に頼るしかない悪者が零してはいけない「なにか」を。



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