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傷ついて、傷つけて  作者: 鍋谷葵


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傷ついた


春の夜半。


開け放たれた窓から入ってくる空気は生暖かいけど、妙に冷たい。


きっと昼間の日差しが強すぎたからだと思う。


それか、いつもいたあなたが消えてしまったからかもしれない。


別に、もともと1人が好きだったから寂しさはない。


晩酌の相手がいなくなって、愚痴を聞いて笑ってくれる人がいなくなったのが面倒になったくらいだ。愚痴を聞いてもらうためだけに、気遣い塗れのLINEのやり取りをするのは馬鹿らしい。


けど、そうしないと愚痴なんて吐き出せない。


コンビニよりも小さい駅前の「まいばすけっと」で買ってきた1本120円の缶チューハイは、そのためだけに手元にあるんだし。


酒なんて愚痴を吐くための道具でしかない。


愚痴を吐いて、笑って、趣味の悪い冗談を交わすためだけに飲む毒薬だ。


そういえば、いつかのあなたもおんなじこと言ってたよね。


酒なんて飲むもんじゃない。酒なんて馬鹿が飲むんだ。

そう、つまりさ、世の中が腐りすぎてて馬鹿になるしかない頭が真っ白な奴が飲むもんなんだよ。


たしか、こんな感じのことをアメスピ吸いながら、痩せ細った体を丸めながら、私と同じ缶チューハイ片手に言ってたよ。


あの時間は楽しかったな。

いまは永遠に感じられるこの薄暗がりも、あのときは一瞬だった。

私の愚痴を笑い飛ばしたあなたのくだらない言葉が、時間が溶かしてくれた。


へんなの。

どうしていまさらこんなこと考えてるんだろう。


昨日からわかってたことなのに、どうして懐かしむんだ?


静かに静かに泣いていた顔を知って、それを無視していたくせにどうして今更。


というか、どうして、こんな胸が重いんだろう。

どうして、こんな痛いんだろう。


悪かったのは向こう側だ。


ポストに入れてた部屋の鍵で勝手にうちへ入って、大酒を飲んで、バカスカ煙草を吸って、私の部屋をめちゃくちゃにしたあなたが悪い。


いまだって、あなたが残してった空き缶が流しにおいてある。

酒臭い私の手は白くて冷たい。

実際、体はぷるぷる震えてる。


でも、なんでか、寒いのに私は夜風にあたってる。

夜風にあたっていると、お笑いでも音楽でもかき消せなかった「なにか」が埋まってくれる気がする。


その「なにか」っていうのは、わからない。

寂しさや悲しみというには大げさだし、怒りや憎しみというのは方向が逆な気がする。


「なにか」はどこへ向いているんだろう。

……いや、わかってる。

これは、私の方に向いている。


私に突き刺さってる。


しかも、深いところまで、ずぶりと。


これは何なんだろう。

何だろうか。

わからない。

いや、わかりたくない。

わかってしまえば、なんだか、やりきれない気持ちになる気がする。


飲めば忘れられるかな。


ほろ苦い檸檬と弱い炭酸が喉を通る。

仕事と片付けでぼんやりとした体が仄かに暖かくなる。

しゃっくりが出る。

そして、目が掠れる。


零れるはずのない「なにか」が目から頬を伝う。


生温い液体がぽたりと落ちる。


さっき片づけたばかりの灰皿に残っていたシケモクにぴちゃりと。


どうして、あなたみたいなろくでなしに涙なんて流すんだ?


違う。


これは私の涙だ。


私が辛いから、あなたの傍であなたの言葉を聞いてあげられなかったことが辛いから出た涙だ。


自分勝手で、わがままな涙だ。


でも、あなたも悪い。

そこは譲れない。


そんなに傷つくことがあったのなら言葉にすればよかったんだ。

酔って、泣いて、言葉を濁さず、私に教えてくれればよかったんだ。

いつかも私がしてたみたいにさ。

六畳一間、ひと月55000円の小さなこの部屋で私があなたにやっていたように。


なのに、あなたは、口を開かなかった。

黙って、泣いて、俯いて、頭を抱えて、呻くだけだった。


そして私から逃げ出したんだ。


ねえ、どうして言葉にしてくれなかったの?

おかげで、ほら、いま私は傷ついてる。

あなたが残していった「なにか」で、私がやってしまった「なにか」で、涙を流してる。


1人は寂しくない。

でも、あなたが残していった記憶のせいでいまは寂しい。

ねえ、だからさ。






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