11.運命の名を呼べば
11.運命の名を呼べば
時は遡って、希と咲は下校途中、買い物をするため、市場へ続く通りを歩いていた。既に日は傾き、空が淡い赤に染まりつつある。果物や野菜を片付けや、屋台を畳む主人達がちらほらと見える。
「あれ、希ちゃんじゃないか」
ふと名前を呼ばれ、希は辺りを見渡す。
「こっちだよ」
「あっ、マルバスさん!」
希の視線の先には、にこやかに手を振る男が立っていた。歳は40代後半から50代前半ぐらいだろうか、痩せた長身で、くすんだ赤い髪を後ろで束ねていた。
「また今日も買い物かい?」
翡翠色の柔らかな視線と、落ち着いた口調で希に問いかける。
「そうなんです。また今日もお母さんがいなくて…」
「大変だね希ちゃんも。そういえばその子は?」
咲の方を見て彼が尋ねる。
「私のクラスメイトの黒月咲さん」
「黒月咲です」
丁寧にお辞儀をする彼女にマルバスの目が光る。
「へぇー、美人じゃないか。あ、いや失礼。僕はマルバス。ここで商売やってるしがない職人さ」
そう言うと、彼はなにやら光るものを摘んで、二人の目の前にぶら下げて見せた。どうやら宝石をあしらったアクセサリーのようだ。
「わぁ、マルバスさん、また新しいの作ったの?」
「暇をもてましてるだけさ。そうだ、これ二人に上げるよ」
そう言うと希と咲の手のひらの上にペンダントを置いた。
「はめ込んであるのはサファイアとルビー。サファイアの石言葉は慈愛、高潔。ルビーは仁愛、勇気だね」
「でも、こんなに高いものをただで頂いては申し訳が…」
「心配いらないよ。王都の外に僕の鉱山があるんだ。鉱山と言っても規模は小さいけどね」
彼はそっと二人に握らせると、身につけていたエプロンを少々手間取りつつ脱いだ。
「それじゃ僕はこれで上がるよ。二人とも気を付けてね」
「マルバスさん、素敵なペンダントありがとう!」
「また遊びに来ますね」
マルバスは頷きながら彼女達二人に手を振る。夕日が彼方の山へと沈んでゆくのを見つめ、握り締められた片手は少し震えていた。
「咲さんはサファイアで良かった?」
「えぇ、青は好きな色だから」
「咲さんは青色が好きなんだ」
「明るい色が少し苦手なの。だから相対的に落ち着いた色が好きになってたわ」
先程の黄昏に染まった街並みは消え、代わりに空を支配するのは濃紺と星々の煌めき。薄暗い石畳の道でも、二つの輝きは色褪せることなく、二人の首元に止まっている。
「おそろいだね、私達」
「そうね…」
その言葉を聴いて咲は静かに呟く。彼女の横顔の憂いを含む微笑みは、希に何度目かの疑問を抱かせる。
「…咲さん」
「何かしら?」
「あっ、あの…私に何か出来ることないかな?」
「突然どうしたの?」
「だって…咲さん、いつも何処か遠くを見てるような気がして…悩み事とかなら私、相談に乗るよ?」
予想もしていなかったのか、咲はうろたえている。希はそんな彼女に間髪入れずに話を続ける。
「私、咲さんともっと仲良くしたい!心配事とかも悩まずに話して欲しい!」
「それに咲さん、なんだか私に気を使ってるような気がするから…だからその…私のこと…名前で呼んで欲しいなって…」
徐々に希の顔は赤くなってゆく。咲はそんな彼女を、ただ静かに見つめている。
「私、だから咲さんの―――」
「…希」
希は一瞬の沈黙の後、全身を駆け巡る血流を感じた。胸を打つのは心臓か、それともいつの間にか芽生えていた「感情」の胎動か―――紅潮した頬を伝い、首筋に汗が光る。
「…なんだか変な感じね」
「咲さん…」
「私には希のことを信用しない訳がないわ」
「え…」
「ごめんなさい、貴女にいつの間にか心配させていたのね…私もダメね」
彼女の初めて見る、心からの笑顔に希は戸惑う。元はと言えば、自分が提案した事だ。この羞恥も予想出来た筈なのに、いざ咲がこんなにも素直に自分を受け入れてくれるとは―――希はそんなことを考えながら、王都の市街地を歩く。
「哀しき姫君達よ。陽によって照らすは影なる月か」
「っ…!?」
背後から突然声が響いた。今まで感じたことのない何かが、確かに後ろにいる。振り向いてはいけない。心は確かに警鐘を鳴らしているのに、身体は全く反対の行動を取ろうとする。
其処に存在したのは、異形そのものだった。黒く蠢く闇の中に、不気味に光る二つの点。
殺される―――本能が―――いや、この感覚は初めてでは無いことを希は知っていた。
「…何故」
咲が低い声で言う。その目には怒りが宿る。
「…その問いは姫君よ、既に知っているであろう」
「貴方の野望は叶わない」
咲は希の手を強く握り締める。決して離れることがないようにと。
「姫君よ、それを決めるのは私では無い―――」
「―――天命だ」
地の底から響いてくるようなその声はそこで途絶えた。目の前にいた怪異も既に何処かへ消えていた。
「…咲さん…今のは…」
「希」
彼女は希の目を見据えて言った。
「真実を知る勇気はある?」
揺らめく蝋燭の灯火は、影に潜む者達を照らし、月明かりは欺瞞を暴く。
「ありゃ、リリンが飛び出して行ったかと思えば、あの人も消えてるじゃん」
「あのお方は邂逅している。例の人間とな」
「アハハッ!やっと面白くなって来たじゃん!」
小さな影が笑う。
「しかし、まだ早いのでは…」
「ハッ!老いぼれの爺さんは慎重過ぎてアクビが出そうだよ!」
しわがれた忠告にその影は声を荒らげる。
「そろそろ本格的に疼いてきて堪らないのさ…いいでしょ?」
「殺しても」




