第8話 図鑑は盛られる
第七課廃止まで、あと39日。
3つ目の宿題は、名前のつかない魔物だった。
誰にも伝説にされない。地味で、どうでもよくて、でもなぜか残る。
俺は、前世の記憶の中で、一番地味な生き物を探した。
答えは、すぐに出た。庭の土をスコップで掘り返すと、必ず1匹は出てくるあいつだ。
ミミズである。
目立たない。鳴かない。光らない。かわいくもない。土の中で落ち葉を食べて、糞をして、それが良い土になる。ミミズのいる畑は、よく作物が育つ。何億年も前から、地面の下で黙々と働いている。
そして、ミミズに二つ名をつけた人間の話は、聞いたことがない。
*
【仕様書】
名称:
生息地:森の土の中
体格:指の長さ程度。細長い
体色:土色
鳴き声:なし
発光:なし
本能:落ち葉を食べ、土を耕す。地上には出ない
設計者:真壁
名称の欄は、空けておいた。
名前がつくのは、的になったということだ。ヨルムさんがそう言った。なら、最初から名前をつけなければいい。
ヨルムさんは、仕様書を読んで、名称の欄を指で叩いた。
「空欄やな」
「空欄です」
「スライムの知能の欄と一緒やんか」
「あっちは書き忘れで、こっちはわざとです」
「決裁印を押す側から見たら、どっちも空欄や」
そう言いながら、ヨルムさんは赤ペンを使わなかった。代わりに、口の端を少しだけ上げた。
「悪ない」
問題は、経理だった。
「名前のない仕様書は、受理できません」
ミカさんは、仕様書を俺の机に押し戻した。
「帳簿に載せられません。何の費用か分からない支出は、監査で指摘されます」
「名前をつけると、下界で狙われるんです」
「では、仮の名前でどうでしょう」
ミカさんは、自分のペンで名称の欄に書き込んだ。
『名称:(仮)』
「……それ、名前ですか」
「帳簿上は、名前です」
経理の世界の懐の深さを見た気がした。
窓際で、ノア課長がつぶやいた。
「名前のない魔物。前例が」
「ありません」
全員の声がそろった。課長は、少し寂しそうに舟を磨き始めた。
費用は、魔素9単位。これまでで一番安かった。
*
(仮)は、ベルン村の奥の森の、土の中にリリースされた。
水鏡に映しても、何も見えなかった。森は、いつもどおりの森だった。落ち葉が積もり、木漏れ日が揺れ、ときどき冒険者が通りすぎていく。土の中で何かが動いていることに、誰も気づかない。
「……見えませんね」
「見えへんのが、仕様や」
ヨルムさんは、満足そうだった。
1日目。何も起きなかった。2日目。何も起きなかった。3日目も、4日目も。
水鏡の前に張りつく人は、1人もいなくなった。見るものが何もないからだ。ミカさんは10秒で自分の机に戻った。モフルのときは3日間動かなかった人である。
査定の数字だけが、毎日静かに積み上がっていった。下界時間で、20日。30日。
4日目には、ヨルムさんが水鏡の縁に「異常なし」と書いた付箋を貼った。その上に、ミカさんが「経費の使途:目視で確認できず」と書いた付箋を重ねた。
「付箋に付箋を貼るのは、前例がない」
課長が、2枚の付箋を見比べて言った。
このまま誰にも気づかれずに、3か月。
期待するのをやめようとして、期待していた。
*
5日目の朝、祈りが1枚届いた。
【祈りの写し】
差出人:ベルン村の農夫
内容:女神様。森のはずれの土が、あちこち小さく盛り上がっています。何かが地面の下にいるようです。畑の作物の育ちが、急によくなりました。ありがたいのですが、少し気味が悪いです。
ミミズの糞は、土の上に小さな山を作る。地面の下で働いた証拠が、地面の上に残るのだ。そこまでは、仕様書に書いていなかった。
「……気づかれました」
「気づかれただけや。名前はまだついてへん」
ヨルムさんの声が、少しだけ硬かった。
その日の午後、水鏡の中の森のはずれに、見慣れた人影が現れた。眼鏡に、革の鞄、分厚い帳面。
リーナだった。
*
リーナの仕事ぶりを、俺はその日、初めてちゃんと見た。
彼女は、村中を聞いて回った。水鏡の音声を上げると、帳面にペンを走らせる音と一緒に、村人たちの声が聞こえてきた。
最初は、農夫だった。
「土がね、ぽこぽこ盛り上がってるんですよ。小さいのが、あちこちに」
次は、農夫の息子だった。
「夜に畑に行ったら、地面の下で何か動いた気がした。ずるって」
次は、酒場で昼間から飲んでいる老人だった。
「そういやあ、わしの爺さんが言っとった。昔、このあたりには、でっかい竜がおったとな。空を真っ暗にする竜じゃ」
ヨルムさんの肩が、ぴくりと動いた。
最後は、広場で竪琴を弾いていた吟遊詩人だった。
「なるほど。つまり、かつてこの地を治めた竜の子が、地の底で目覚めようとしているのですね。土の盛り上がりは、その寝返りでしょう。素晴らしい。1曲作れます」
誰もそんなことは言っていない。
リーナの帳面には、4人の話が、順番に書き留められていた。俺は、その帳面を水鏡越しに覗いた。
【取材メモ】
・土が盛り上がる(農夫)
・地面の下で何かが動く(農夫の息子)
・昔、竜がいた(酒場の老人)
・竜の子が目覚める(吟遊詩人)
→ 結論:地底に竜の子がいる可能性
土の盛り上がりから竜の子まで、4人で到達していた。1人1段ずつ、階段を上るように話が大きくなっていく。前世の会社でも、「課長がちょっと機嫌悪かった」が、3つ部署を経由すると「課長が辞表を書いている」になっていた。
翌日、ギルドの図鑑が改訂された。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第10版】
(名称不明)
二つ名:地底に眠る竜の仔
危険度:★★★★☆(推定)
解説:ベルン村近郊の森の地下に潜む未確認の魔物。かつてこの地にいた竜の末裔とされる。地表に残る土の盛り上がりは、竜の仔の寝返りの跡と考えられる。目覚める前に討伐すること。ギルドより懸賞金あり。
「名前、ついてもうたな」
ヨルムさんが、低い声で言った。
名称の欄は「名称不明」のままだった。なのに、二つ名がついた。名前をつけなかったせいで、他人が勝手に一番大きな名前をつけたのだ。
「しかも、竜や」
ヨルムさんは、雲のパイプを強く噛んでいた。
*
懸賞金の効果は、すさまじかった。
翌日から、森のはずれにスコップを持った冒険者たちが押し寄せた。剣士も魔術師も、剣と杖を置いてスコップを握っていた。例の3人組もいた。見習いの少年は、一番大きなスコップを担いでいた。
竜の仔を掘り出すために、森のはずれが、次々に掘り返されていった。
そして、最初の1匹が見つかった。
見習いの少年が、スコップの先の土の塊を覗き込んだ。土の中で、土色の細長いものが、のたりと動いていた。
少年は、長いこと黙っていた。
「……ミミズじゃん」
周りにいた冒険者たちが、集まってきた。全員が、土の塊を覗き込んだ。全員が、長いこと黙った。
「竜の仔って、これ?」
「寝返りの跡って、こいつの糞か?」
「懸賞金は?」
誰も、答えられなかった。
その日の夕方、リーナが自ら森へ来て、見つかった(仮)を帳面に写生した。水鏡越しに見た彼女の顔は、はっきりと赤かった。
図鑑は、その夜のうちに改訂された。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第11版】
(仮)
二つ名:期待外れ
危険度:☆☆☆☆☆
解説:前版で「地底に眠る竜の仔」とした記述は誤りである。ただのミミズに似た生き物である。懸賞金は取り消す。編纂係より、深くお詫び申し上げる。
期待外れ。
俺は、机代わりの段ボール箱の上で、その3文字を何度も読み返した。
「ヨルムさん。期待外れって、最高の二つ名じゃないですか」
「……せやな」
ヨルムさんも、少しだけ笑った。
「伝説の真逆や。誰も狩りたがらへん名前や」
冒険者たちは、スコップを担いで帰っていった。掘り返された土の中で、(仮)たちは、何事もなかったかのように落ち葉を食べ始めた。
*
話が変わったのは、その翌日だった。
見習いの少年が、1人で森へ来ていた。スコップではなく、釣り竿と、小さな木の箱を持っていた。
少年は、森のはずれの土を少しだけ掘り、(仮)を3匹、木の箱に入れた。そして、そのまま沼へ向かった。
ミズヨロイが住んでいた、あの沼だ。
少年は、(仮)を1匹、釣り針につけて、沼に投げ込んだ。
竿が、すぐにしなった。
少年が引き上げた糸の先で、大きな魚が跳ねていた。2匹目も、すぐに釣れた。3匹目もだった。
「うわ、すっげえ。これ、めちゃくちゃ食いつく」
ミミズは、魚の好物だ。前世の釣り人たちも、みんなそう言っていた。そこまでは、仕様書に書いていなかった。書くまでもなかった。
少年は、両手いっぱいの魚をぶら下げて村へ帰った。
図鑑は、また改訂された。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第12版】
(仮)
二つ名:沼の魚の大好物
危険度:☆☆☆☆☆
解説:土中に棲む細長い魔物。前版の「期待外れ」は撤回する。釣り餌として極めて優秀。ベルン村の釣具店にて、1箱銅貨3枚で販売中。
「……撤回されました。期待外れ」
「撤回されてもうたな」
ついでに、図鑑の末尾には、小さな注記がついていた。
『なお、吟遊詩人の歌「地底に眠る竜の仔」は、撤回されていない。酒場で好評のため』
「竜の仔、まだ歌われてます」
「歌は、事実より長生きするからな」
ヨルムさんが、少しだけ遠い目をした。蒼天の災厄の歌も、たぶん、まだどこかの酒場で歌われている。
翌日から、森のはずれには、スコップと木の箱を持った村人たちが通うようになった。今度は懸賞金目当てではない。釣り餌目当てだ。竜を探していたときより、ずっと手際がよかった。
*
「リリース5号、(仮)。野生での生存、下界時間で63日」
ミカさんが、査定用紙を読み上げた。
「最後まで、帳簿上の名前は(仮)のままでした」
ベルン村の釣具店の店先には、「名物 (仮)の釣り餌」という札が出ているらしい。名前のない魔物は、最後に括弧ごと商品名になった。
俺は、段ボール箱に額をつけた。
「名前をつけなかったら、他人が勝手に名前をつけました。それが外れたら、今度は使い道をつけられました」
「名前はつかんでも、使い道はつく」
ヨルムさんが、仕様書を返してきた。赤ペンの書き込みがあった。
『下界の連中は、見つけたもんを、何かに使わんと気が済まん。見つかったら、使われる。それはもう、止められへん』
『字は汚い』
読み終えて、俺は、最初の1行を指でなぞった。
見つかったら、使われる。止められない。
なら。
使われることを、止めなければ、どうなるのだろう。
使われて、減るのではなく。使われるほど、大事にされるとしたら。
「新人?」
「……いえ。まだ、形になってません」
頭の奥で、何かが引っかかっていた。前世の、ずっと昔に見た、白い小さな生き物の映像が、ぼんやりと浮かびかけては消えた。
第七課廃止まで、あと30日。
ベルン村の沼では、今日も魚がよく釣れているらしい。釣り人たちは、あの細長い生き物を、みんな親しみを込めて「カッコカリ」と呼んでいるそうだ。




