第7話 伝説は査定に響く
第七課廃止まで、あと41日。
「こっちや」
翌朝、ヨルムさんは俺を廊下の突き当たりへ連れていった。第七課の扉から、来た道を少し戻ったところ。初日に見た案内板の、一番手前に書いてあった場所だ。
『資材置き場』
てっきり、机や椅子の予備が置いてあるのだと思っていた。
ヨルムさんが扉を開けると、埃が雪崩のように落ちてきた。俺は咳き込みながら、中を覗いた。
棚だった。天井まで届く棚が、奥が見えないほど並んでいる。棚という棚に、紐で綴じた紙の束がぎっしり詰まっていた。
「これ、全部」
「仕様書や。下界で絶滅した魔物の」
ヨルムさんは、棚の間の細い通路へ入っていった。
「廃止された課の魔物は、うちが引き継ぐ。絶滅した魔物の仕様書も、うちが引き取る。第七課はな、遺品整理係で、ついでに墓守りや」
資材、という言い方に、少しだけ悪意を感じた。
*
棚には、札がかかっていた。
『第四課(廃止)』の棚には、例のゴブリンの仕様書の控えがあった。全部の項目が「だいたいで」の書式で統一されている。一番上の綴りの表紙に、第四課の最後の査定結果が貼ってあった。
【査定】
総合評価:だいたいで不可
査定まで「だいたいで」だった。
『第十二課(廃止)』の棚には、「空を泳ぐ魚」「地面を飛ぶ鳥」「水に溶ける岩」など、発想だけで走ったらしい仕様書が並んでいた。最後の1冊は、「発想そのものを溶かす魔物」だった。何も残っていないのは、そういうことかもしれない。
いちばん古そうな棚には、『搬送係(廃止)』という札がかかっていた。綴りは1冊だけで、表紙の紙は茶色く変色している。
【業務記録】
内容:大雨に備え、全ての生き物をつがいで1組ずつ舟に積む
担当:ノア
結果:全種、無事に搬送
備考:舟が狭かった
「……課長ですよね、これ」
「課長や。第七課に来る前は、動物を舟に積む仕事をしとったんや」
「……冗談ですよね」
「うちの課で冗談を言わへんのは、課長だけや」
全種、無事に搬送。この資材置き場の中で、ほぼ唯一の完全な成功例が、舟の積み込みだった。課長が毎日舟の模型を磨いている理由も、少しだけ見えた気がした。前例がない、が口癖の人の、唯一の前例がそれなのだ。
「備考の『舟が狭かった』っていうのは」
「知らん。本人に聞き」
聞く勇気は、たぶん一生出ない。
さらに奥の、埃の薄い棚に、見慣れた書式の綴りがあった。
『第七課 リリース1号 ミズヨロイ』
『第七課 リリース2号 モフル』
『第七課 リリース3号 アカマダラ』
『第七課 リリース4号 コタツバチ』
俺の仕様書だった。表紙の「設計者:真壁」の字が、確かに汚い。
「……もう、ここに来てたんですね」
「絶滅したらな、その日のうちに回ってくる。ミカが仕分けて、課長が綴じる」
コタツバチの仕様書は、昨日ヨルムさんが返してくれなかったものだった。ここに持ってきていたのだ。
*
通路の一番奥に、1冊だけ、棚から離れて置かれた綴りがあった。
専用の台の上に、布をかけられている。ヨルムさんは、布をそっとめくった。
他の仕様書の何倍も分厚かった。表紙の紙は上質で、金の縁取りがしてある。第一課の書式だった。
『第一課 特別案件 蒼天竜ヴァルナ』
設計者の欄を見て、俺は息を止めた。
設計者:ヨルム。
「第一課にいたんですか」
「昔な。課長代理やった」
ヨルムさんは、表紙を開いた。
中身は、俺の仕様書とは比べものにならなかった。全長40m。翼を広げれば60m。知能の欄は空欄どころか、3ページにわたって書き込まれていた。鱗の1枚1枚の角度、翼の骨の本数、声の高さ。どの項目にも、数字が入っている。「だいたい」も「高め」も、1つもなかった。
ただ、読み進めるうちに、妙なことに気づいた。
【仕様書(抜粋)】
鳴き声:低く、長く、腹に響く(かっこよく)
飛び方:雲を割って現れる(かっこよく)
着地:翼を大きく広げてから(かっこよく)
寝姿:尾を体に巻きつける(かっこよく)
全部の項目の末尾に、「(かっこよく)」がついていた。
ゴブリンの仕様書は、全部の項目が「〜め」で終わっていた。この竜は、全部の項目が「かっこよく」で終わっている。書式が違うだけで、同じ病気だった。
「……寝姿まで、かっこよくする必要ありました?」
「若気の至りや。聞かんとき」
ヨルムさんは、そのページだけ素早くめくった。
特殊能力の欄に、こう書いてあった。
『雲を吐く。日照りの続く土地の上空に雲を広げ、雨を降らせる(かっこよく)』
「雨を、降らせる竜なんですか」
「そのつもりで作った」
ヨルムさんは、ページをめくった。
「当時、下界の東の方に、何年も雨が降らん土地があってな。女神様の発注や。『雨を降らせる魔物を作れ。どうせなら、かっこよく』」
「かっこよく」
「ほな、ドラゴンやろ。うちも若かったんや。予算もあった。第一課やったから」
予算が潤沢だった頃のヨルムさんを、少し想像した。
「その頃も、雲は吸ってたんですか」
「吸うてへん。パイプは持っとったけどな」
「どんなパイプですか」
「金のやつ」
経費だったらしい。今の雲のパイプは、どう見ても木の枝を削ったものだった。予算の差が、そのまま口元に出ていた。
*
仕様書の最後に、査定の用紙が挟まっていた。
【査定】
名称:蒼天竜ヴァルナ
下界での呼び名:蒼天の災厄
話題性:特A
下界の知名度:特A
生存:365日(討伐により終了)
総合評価:D
「災厄、ですか」
「下界の連中から見たらな。空に40mの竜が飛んどって、そいつが通ったあとは空が真っ暗になる。雨が降るのは、その後や。その後のことまで、誰も見てへん」
ヨルムさんの声は、静かだった。
「空を暗くする竜。で、名前がついた。蒼天の災厄ヴァルナ。名前がついたら、懸賞金がかかる。懸賞金がかかったら、国中の腕自慢が集まる。1年目で、当時の勇者に討たれた」
「1年……」
「伝説っちゅうのはな、新人」
ヨルムさんは、分厚い仕様書を閉じた。
「強いから、なるんやない。目立つから、なるんや。で、目立ったもんから、狩られる。名前がつくのは、的になったっちゅうことや」
俺は、何も言えなかった。
コタツバチの茶色い毛糸玉が、1発の氷で落ちた光景を思い出していた。群れは、1か所に集まるから強い。そして、1か所に集まるから、1回で終わる。昨日、ヨルムさんが水鏡の前から動かなかった理由が、やっと分かった。
「それで、第七課に」
「査定D。特別案件でD。そら飛ばされるわ」
ヨルムさんは、自嘲気味に笑った。
「第一課の玄関に吊ってある模型、あるやろ。あれ、ヴァルナや」
「え」
「ルシアが下ろさせへんねん。あの子、うちの後輩でな。『第一課の顔です』言うて、局長が下ろせ言うても、下ろさへん」
ルシアさんが第七課に来るたびに、ヨルムさんの声が1段低くなる理由も、少しだけ分かった気がした。
「……雲を吸うのは」
口に出してから、聞いていいことだったのか迷った。
ヨルムさんは、ポケットから雲のパイプを取り出して、指先でくるりと回した。
「あの子は、雲を吐いた。うちは、雲を吸うとる。それだけや」
初日に案内板を見てから、ずっと分からなかった答えだった。分かったのに、少しも笑えなかった。
*
資材置き場を出る前に、俺はヴァルナの仕様書を、もう一度だけ開かせてもらった。
気になっていたことがあった。
特殊能力の欄。「日照りの続く土地の上空に雲を広げ、雨を降らせる」。その、日照りの続く土地の場所だ。
地図の写しが、仕様書の裏表紙に貼ってあった。下界の東。大きな川の上流。そこに、赤い丸で囲まれた土地がある。
赤い丸のすぐ横に、小さな村の名前が書いてあった。
ベルン村。
「ヨルムさん」
「なんや」
「ヴァルナが雨を降らせた土地って、今、どうなってますか」
「知らん。見てへん。見たないからな」
「見てください」
俺は、資材置き場を飛び出して、第七課の水鏡の前に立った。ヨルムさんが、渋々ついてきた。
水鏡に映したのは、この1か月半、毎日見ていた場所だった。
ベルン村の奥の、深い森。
苔むした木々。湿った落ち葉。木の洞。沼。どこまでも続く緑。空には、うっすらと雲がかかっている。
「ここ、昔は、雨が降らない土地だったんですよね」
ヨルムさんは、答えなかった。水鏡を見ていた。
「ミズヨロイが住んでた沼も、モフルが転がってた下草も、アカマダラが食べてた毒虫がいた湿った森も、コタツバチが巣を作った木の洞も。全部、ここです」
俺は、自分の仕様書を思い出していた。生息地の欄。沼。森。湿った森。森の木の洞。
「俺の魔物、全部、ヴァルナが作った森に住んでたんです」
水鏡の中で、森の上の雲が、ゆっくりと流れていた。
「ヴァルナは、1年で狩られたかもしれません。でも、雨は降りました。雨が降って、森ができて、その森はまだ残ってます。竜はいなくなっても、竜が降らせた雨の後は、残ってるんです」
言いながら、少し恥ずかしくなってきた。前世の俺は、会議でこういうことを言うタイプではなかった。
「査定はDかもしれませんけど、俺の中では、ヴァルナは今も生存中です。生存日数、たぶん、3万日は超えてます」
長い沈黙があった。
ヨルムさんは、水鏡から目を離さなかった。雲のパイプを指の間で持ったまま、火をつけるのも忘れていた。
しばらくして、ヨルムさんが鼻をすすった。
「……雲、吸いすぎたわ。目に来た」
「今、吸ってませんよね」
「さっき吸うた分や」
ヨルムさんは、袖で目元をぐいっと拭いた。
「字、汚いくせに」
それから、いつもの調子に戻そうとして、少し失敗した声で言った。
「ええこと、言うやんか」
*
その日の夕方、ヨルムさんは俺を雲吸い所に呼んだ。
ベランダに、雲の切れ端がふわふわと溜まっていた。ヨルムさんは、予備のパイプを1本、俺に差し出した。
「吸うてみ」
言われるまま、雲を1口吸った。
冷たくて、少し甘くて、雨の前の匂いがした。
直後に、盛大にむせた。
「……体の中で、雨が降りそうです」
「最初はみんなそう言う」
ヨルムさんは、笑っていた。今日初めての、ちゃんとした笑い方だった。
ベランダの扉が、そっと開いた。ミカさんが、帳面を抱えて顔を出していた。
「そのパイプ、備品台帳に載っていません」
「……予備や。うちの私物や」
「私物を職場で新人に貸与する場合、貸与記録が必要です」
ミカさんは、帳面に何か書き込んで、扉を閉めた。泣いた後の人と、むせている人の前で、経理はどこまでも経理だった。
「新人。3つ目の宿題、出したるわ」
「今度こそ、ですか」
「強なっても、目立ったらあかん。群れても、1か所に固まったらあかん。名前がついたら、終わりや」
ヨルムさんは、雲の海の向こうの、第一課の建物を見た。夕陽を受けて、ガラス張りのフロアの奥で、竜の模型の翼が光っていた。
「名前のつかん魔物を、作ってみ。誰にも伝説にされへん、地味で、どうでもええ、けど、なんでか残る魔物を」
俺は、むせながら頷いた。
第七課廃止まで、あと40日。
第一課の玄関には、今日も竜が吊るされている。ベルン村の奥の森には、今日も雨が降っているらしい。




