第6話 全員で温める
第七課廃止まで、あと50日。
俺は、机代わりの段ボール箱の上に、紙を1枚置いた。
『欲しがられない魔物 チェックリスト』
これまでの3体の失敗を、全部書き出したものだ。
【チェックリスト】
□ 体の一部が素材にならないこと(ミズヨロイの反省)
□ かわいくないこと(モフルの反省)
□ おいしくないこと、かつ、おいしくする方法がないこと(アカマダラの反省)
□ 巣に価値のあるものを溜めないこと
□ 1匹ずつなら弱くてもいいこと
「最後の項目だけ、反省やなくて開き直りやな」
ヨルムさんが、覗き込んで言った。
「開き直りです。1匹ずつ強くしようとすると、予算が足りません。残り84単位です」
「ほな、どうすんねん」
「数で勝ちます」
*
前世で見たドキュメンタリーの中で、一番忘れられない場面がある。
日本の山にいる、小さなミツバチの話だ。
ミツバチの天敵は、スズメバチである。体の大きさは何倍も違う。1対1で戦えば、ミツバチに勝ち目はない。スズメバチは、1匹でミツバチの巣に乗り込んできて、次々に噛み殺していく。
ところが、日本のミツバチには、奥の手がある。
偵察に来たスズメバチを、何百匹ものミツバチが一斉に取り囲んで、ボールのような塊になる。そして、羽を動かす筋肉を震わせて、熱を出す。塊の中心の温度は、46度くらいまで上がる。息もこもって、空気が悪くなる。
スズメバチは、その熱と息苦しさに耐えられない。ミツバチの方は、ほんの少しだけ高い温度まで耐えられる。そのわずかな差で、中にいる敵だけが倒れる。
1匹ずつなら、ただ食べられるだけの虫が、全員で集まって、敵を蒸し上げる。
「……全員で、温めるんです」
俺が説明を終えると、ヨルムさんはしばらく黙っていた。
「武器を作らんと、部屋の温度で倒すんか」
「はい。毒も、トゲも、鎧もいりません。必要なのは、群れで集まる本能と、体を震わせて熱を出す筋肉だけです」
隅の机で、ミカさんのそろばんが鳴った。
「群れの本能、単価0.2。発熱する筋肉、単価0.5。巣を作る本能、単価0.3。……1群れあたりの費用はごくわずかです。20群れリリースして、運搬費を足して、合計で魔素22単位」
「22単位」
「安いです」
ミカさんは、ほんの少しだけ口元を緩めた。この人の機嫌は、単価で上下する。
*
俺は、チェックリストを1つずつ確かめながら、仕様書を書いた。
【仕様書】
名称:コタツバチ
生息地:森の木の洞
体格:親指の爪程度。1群れ300匹
体色:地味な茶色
毒針:なし
巣:空っぽ。蜜は溜めない(価値のあるものを置かない)
体:小さすぎて素材にならない。食べるところがない
本能(追加):巣に敵が近づくと、全員で取り囲み、体を震わせて熱を出す
設計者:真壁
「コタツって何や」
ヨルムさんが、名前の欄に赤ペンで丸をつけた。
「前世の暖房器具です。机の下に熱源があって、布団がかけてあって、みんなで足を入れて温まるんです。一度入ると、出られなくなります」
「出られへんのか」
「出たくなくなる、の意味です。でも、この魔物の場合は、本当に出られません」
窓際で、ノア課長が顔を上げた。
「みんなで足を入れて温まる、机……?」
「課長、天界にコタツは」
「前例がない」
「予算もありません」
ミカさんが、課長が要望書を書き始める前に釘を刺した。
ヨルムさんの赤ペンは、名前の丸と、いつもの1か所だけだった。
『名前、ようわからんけど、響きは好きや』
『字が汚い』
*
コタツバチは、ベルン村の奥の森に、20群れリリースされた。
1日目。木の洞という洞に、茶色い小さな蜂が出入りしていた。見た目は、本当に地味だった。水鏡の前に張りついていたミカさんが、10分で自分の机に戻っていった。かわいくないことの、何よりの証明だった。
代わりに、ノア課長が水鏡の前に来て、両手をかざしていた。
「課長、何してるんですか」
「コタツの蜂だから、温かいかと思って」
水鏡は、映像を映すだけである。課長の手は、3分ほどかざされたあと、そっと下ろされた。
2日目。森に、下界の大型の蜂の魔物が現れた。人の拳ほどもある、黄色と黒の蜂だ。第三課の古い作品らしい。そいつが、コタツバチの巣に顎を突っ込んだ。
次の瞬間、巣の中から茶色い蜂が一斉に飛び出して、大型の蜂を包み込んだ。
水鏡の中に、茶色い毛糸玉のような塊ができた。塊は、かすかに震えていた。ぶううん、という低い音が響く。
しばらくして、塊がほどけた。中から、大型の蜂がぽとりと地面に落ちた。もう動かなかった。
「……勝った」
ヨルムさんが、ぽつりと言った。
「うちの課の魔物が、他の課の魔物に勝ったの、初めてちゃうか」
「前例が」
「ない」
課長とヨルムさんの声が、そろった。
3日目。例の冒険者3人組が、森を通った。見習いの少年が、木の洞を覗き込んで、棒でつついた。
茶色い蜂が、ざあっと飛び出した。少年の腕を、何百匹もが包み込む。
「うわ、なに、あつ、あっつ!」
命に関わるほどではない。人間は、蜂より何百倍も大きい。ただ、腕を真夏の砂浜に突っ込んだくらいには熱いらしい。少年は腕を振り回しながら、森の外まで走っていった。
魔術師が、少年の腕を見て言った。
「刺されてないわね。蒸されただけ」
「蒸されただけって何だよ!」
「蜂の巣なのに、蜜も入ってないし。帰りましょう。ここ、得るものが何もない」
3人は、二度と森の奥へ来なかった。
チェックリストの項目が、1つずつ、水鏡の中で埋まっていった。
素材にならない。かわいくない。食べるところがない。巣に何もない。1匹ずつなら弱いが、群れでは勝つ。
ギルドの図鑑にも、新しい項目が載った。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第9版】
コタツバチ
二つ名:森の蒸し器
危険度:★★☆☆☆
素材価値:なし
解説:森の木の洞に巣を作る小型の蜂。刺さないが、群れで取り囲んで蒸す。巣に蜜はなく、得るものがない。近寄らないこと。暑い。
「素材価値、なし」
俺は、図鑑の写しを両手で持った。
「なし、って書いてあります」
「読めば分かる」
「こんなに嬉しい『なし』は初めてです」
ヨルムさんが、珍しく声を出して笑った。
*
6日目。下界ではリリースから40日ほどが過ぎていた。20群れのうち、減った群れは1つもない。むしろ、分かれて増えていた。
査定の数字は、毎日少しずつ上がっていた。ミカさんのそろばんの音が、朝から軽かった。課長は舟の模型を磨く手を止めて、窓の外を眺めていた。ヨルムさんは、雲吸い所へ行く回数が減った。
昼過ぎには、ルシアさんが第七課の扉を開けた。今度は、通達も部下も連れていなかった。
「第三課から苦情が来ているわ。うちの古い蜂が、第七課の蜂に蒸されたって」
「苦情なら、第三課に言わせたらええ。なんであんたが来るんや」
「……様子を見に来ただけよ」
ルシアさんは、水鏡に映る茶色い毛糸玉を、しばらく眺めていた。
「蒸し器、ね。地味だこと」
「地味で結構や」
「そうね。地味なものは、長持ちするわ」
それだけ言って、ルシアさんは帰っていった。褒めたのか、けなしたのか、最後まで分からなかった。ヨルムさんは、閉まった扉をしばらく睨んでいた。
3か月まで、下界の時間であと50日足らず。このままいけるかもしれない。
そう思った日の午後に、祈りが1枚届いた。
【祈りの写し】
差出人:ベルン村の木こり
内容:女神様。森の奥に、茶色い蜂が増えすぎました。刺されはしませんが、木を切ろうとすると、蒸されます。仕事になりません。どうか、どうにかしてください。
同じ祈りは、神殿に届く前に、別の場所にも届いていたらしい。
7日目の朝、水鏡の中の森に、茶色い髪の青年が現れた。
勇者レオンだった。
課の全員が、立ち上がった。俺も、立ち上がっていた。
「大丈夫です」
声が、自分でも驚くほど上ずっていた。
「コタツバチは、勇者の欲しいものを何も持ってません。素材もない、蜜もない、かわいくもない。狩る理由がありません」
「理由は、あるで」
ヨルムさんが、低い声で言った。
「村の人が、困っとる。あの子が剣を抜く理由は、それだけで足りるんや」
勇者は、森の奥で立ち止まった。木の洞から、茶色い蜂が一斉に飛び出して、勇者を取り囲んだ。茶色い毛糸玉が、勇者の体の何倍もの大きさに膨れ上がった。
勇者は、剣を抜かなかった。
左手を、軽く上げただけだった。
白い光が、森の奥に広がった。空気が、一瞬で凍りついた。
氷の範囲魔法だった。
熱を出すための筋肉は、凍った空気の中では震えなかった。茶色い塊は、塊のまま、真っ白な霜に覆われて、音もなく地面に落ちた。
勇者は、森の奥へ歩き、木の洞を1つずつ確かめ、そのたびに左手を上げた。
群れは、1か所に集まる。集まっているから強い。そして、集まっているから、1回で終わる。
20群れは、昼前にすべて片づいた。
*
「リリース4号、コタツバチ。野生での生存、下界時間で49日」
ミカさんが、査定用紙を読み上げた。声が、いつもより小さかった。
「素材価値、なし。捕獲、なし。食用、なし。狩られた理由は、『木こりの仕事の邪魔』です」
「……欲しがられなくても、邪魔だと思われたら終わりなんですね」
ヨルムさんが、勇者の討伐記録の綴りを開いた。最新の行に、勇者本人の字で、短い感想が添えてあった。
『コタツバチ 寒さに弱い』
「……暖房の魔物なんですけど」
「暖房やから、寒さに弱いんやろ」
理屈としては、合っていた。前世のコタツも、電源を抜かれたら、ただの机だった。
誰も、それ以上は何も言わなかった。
俺は、チェックリストを見た。5つの四角には、全部印がついている。全部埋めて、それでも駄目だった。6つ目の項目を書き足そうとして、ペンが止まった。
□ 人間の邪魔をしないこと
それを書いたら、魔物は魔物でいられるのだろうか。
ふと気づくと、ヨルムさんが、水鏡の前から動いていなかった。霜で白くなった森を、じっと見ていた。雲のパイプは、とっくに火が消えていた。
「……群れで固まったら、1発で終わる」
ヨルムさんが、ひとり言のように言った。
「強いもんほど、目立つ。目立つもんほど、先に狩られる。昔、それで全部なくした設計士がおったわ」
「ヨルムさん」
「新人」
ヨルムさんは、ようやく振り向いた。いつもの顔だった。少なくとも、いつもの顔を作ろうとしている顔だった。
「明日、ちょっと付き合い。見せたいもんがある」
赤ペンの書き込みは、その日はなかった。仕様書は、返ってこなかった。
第七課廃止まで、あと42日。
森の木の洞は、どれも空っぽになった。もともと、空っぽにしてあった巣だった。




