第5話 毒は仕入れで
第七課廃止まで、あと61日。
朝、ミカさんが青い顔で出勤してきた。
いつもは誰より早く席についている人が、始業の鐘と同時に扉を開け、そろばんを抱えたまま、ふらふらと自分の机に座った。
「ミカさん、大丈夫ですか」
「局から、通達が来ました」
ミカさんは、1枚の紙を机に置いた。
『廃止予定の部署については、今期の残り予算を半額とする』
「……半額」
「第七課の残りは、魔素237単位でした。今朝から、118単位です」
ミカさんは眼鏡を外して、目頭を押さえた。
「残りの半分というのは、正確には118.5単位です。端数の0.5は、切り捨てられました」
「そこも削られたんですか」
「局の経理は、端数を許しません。私も許しません。だから、文句が言えません」
経理の人が、経理の論理で負けている。見ていてつらかった。
窓際で、ノア課長が舟の模型を磨きながら言った。
「予算を半分にされたのは、前例が」
「ありますよね」
「……3回目だ」
ヨルムさんは、雲吸い所から戻ってきて、通達を読み、鼻で笑った。
「貧乏は発明の母や。新人、宿題の2つ目、そろそろ答え出し」
*
2つ目の宿題は、「強くなっても欲しがられない工夫」だった。
ミズヨロイは、鎧が素材として欲しがられた。モフルは、かわいさがペットとして欲しがられた。下界の人間は、便利なものも、かわいいものも、全部持って帰る。
なら、持って帰りたくないものにすればいい。
「毒です」
「毒」
「触ったら危ない。食べたら死ぬ。そういう魔物は、誰も欲しがりません」
ミカさんのそろばんが、ぱちんと鳴った。予算の話が始まる前に、音だけが先に来た。
「毒腺の実装費用、ご存じですか」
「いえ」
「毒を作る器官は、魔物の体の根幹に関わります。一番安い毒腺でも、魔素90単位。残り予算の8割です」
「……高いですね」
「毒は、高いんです」
ミカさんは、真顔だった。
「作るのは、高いんです」
その言い方に、何か引っかかった。
作るのは、高い。
前世のドキュメンタリーで見た生き物を、俺は思い出していた。
南米の森にいる、小さなカエルだ。宝石みたいに赤や青や黄色の、派手な体をしている。指先ほどの大きさなのに、その皮膚の毒は、人間を何人も倒せるほど強い。先住民が、矢の先に塗って狩りに使っていたという。
ところが、このカエルは、自分で毒を作っていない。
森にいる毒のある虫やアリを食べて、その毒を皮膚に溜め込んでいるのだ。だから、人間に飼われて、毒のない普通の餌を与えられたカエルは、毒を持たなくなるという。
「自分で作らないで、仕入れるんです」
「仕入れる?」
「毒のある虫を食べて、その毒を体に溜めるだけ。毒腺はいりません。必要なのは、毒を溜めておく袋だけです」
「……毒を作らんと、仕入れる。卸売りの魔物か」
ヨルムさんが、パイプをくわえたまま言った。
「前世では、ファブレスって言ってました」
「ファブ……何?」
「工場を持たない会社のことです。設計だけして、作るのは外に任せる」
「ほな、この魔物の工場は」
「森の毒虫です」
ミカさんのそろばんが、ものすごい速さで鳴った。
「毒を溜める袋、単価4。毒虫を好んで食べる本能、単価0.3。……合計、魔素29単位」
90単位が、29単位になった。
「承認します」
ミカさんの印は、今までで一番早かった。
*
仕様書には、もう1つ付け足した。
あのカエルたちが派手な色をしているのは、目立ちたいからではない。「毒があるから食べるな」という看板なのだ。鳥や蛇は、派手な色を見ると、口に入れる前に避けるようになる。
【仕様書】
名称:アカマダラ
生息地:湿った森
体格:手のひらに乗る程度。カエル型
体色:赤地に黒のまだら模様(警告用)
毒:自前では作らない。森の毒虫を食べ、皮膚に溜める
本能(追加):毒虫を好んで食べる
設計者:真壁
ヨルムさんの赤ペンは、2か所だった。
『警告色、ええ。看板を背負わせるのは賢い』
『字が汚い』
初めて、赤ペンに褒め言葉が混ざっていた。混ざっているだけで、数は減っていなかった。
*
アカマダラは、ベルン村の奥の、湿った森にリリースされた。
1日目。赤いまだらのカエルたちが、落ち葉の上で毒虫をぱくぱく食べていた。見た目は、森に散らばった唐辛子のようだった。
2日目。例の冒険者3人組がやって来た。見習いの少年が、真っ赤なカエルに手を伸ばしかけた。
「触るな」
魔術師が、少年の襟首を掴んだ。
「そういう色のは、だいたい毒よ。子供でも知ってる」
「俺、知らなかった」
「じゃあ今日から知ってる子供ね」
3人は、アカマダラを大きく避けて、森を抜けていった。
勇者レオンも、森を通った。水鏡の前で、課の全員が息を止めた。
勇者は、赤いカエルを見て、少し首をひねり、腰の袋から手袋を取り出してはめ、それから何もせずに通りすぎていった。手袋をはめたのは、たぶん、念のためだ。
ヨルムさんが討伐記録をめくった。新しい行が加わっていた。
『アカマダラ 保留』
「見逃しじゃなくて、保留です」
「あの子にしては、上出来や」
俺は、拳を握らなかった。先々週は沼で握り、先週は森で握り、そのたびに後悔した。拳を握るのは、査定が出てからにすると決めていた。
*
4日目。下界に、新しい登場人物が現れた。
水鏡の中、森の入り口に、眼鏡をかけた若い女性が立っていた。革の鞄を肩にかけ、分厚い帳面を抱えている。服には、冒険者ギルドの紋章が縫いつけてあった。
「ギルドの人ですね」
「リーナや」
ヨルムさんが、珍しく名前を知っていた。
「ギルドで魔物図鑑を作っとる子や。うちの課の魔物の二つ名、だいたいあの子がつけとる」
「炎喰らいも、焚き火の番人も、村はずれの子守り鬼も」
「沼の鎧職人も、森の宝石もな」
あの図鑑の作者が、ついに現場に来たのだ。
リーナは、アカマダラを遠巻きに観察し、帳面に何か書きつけた。それから、驚くべきことをした。
手袋をはめ、網でアカマダラを1匹捕まえて、籠に入れたのだ。
翌日、祈りの束の中に、リーナからのものが混ざっていた。
【祈りの写し】
差出人:冒険者ギルド 魔物図鑑編纂係 リーナ
内容:女神様。新しい赤い魔物について、ご報告と感謝を申し上げます。
捕まえた個体に、3日間パンくずだけを与えたところ、毒がすっかり消えました。毒はこの魔物自身のものではなく、森の虫から来ているようです。
なお、毒の消えた個体を試しに焼いて食べてみたところ、鶏肉に似た、たいへん上品な味でした。
すばらしい恵みを、ありがとうございます。
俺は、祈りの紙を2回読んだ。
試しに焼いて食べて、の部分を、3回読んだ。
「……なんで食べるんですか」
それと、もう1つ気になった。前世でも、ワニやカエルやヘビの肉を食べた人は、口をそろえて「鶏肉に似ている」と言っていた。異世界でも、未知の肉は、だいたい鶏肉に似ているらしい。鶏肉の守備範囲の広さは、世界を超えていた。
「下界の連中はな」
ヨルムさんが、雲を吐いた。
「毒のあるもんを見たら、まず『食べたらあかん』と思う。次に、『どうやったら食べられるか』を考える」
前世にも、心当たりがあった。毒のある魚の肝の食べ方を、何百年もかけて研究した国に、俺は住んでいた。
ギルドの図鑑は、翌日には改訂されていた。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第8版】
アカマダラ
二つ名:森の赤い珍味
危険度:★★☆☆☆(生け捕り時は手袋着用のこと)
解説:赤いまだら模様の小型の魔物。皮膚に毒を持つが、毒は餌の虫に由来する。捕獲後、3日間パンくずを与えれば毒は抜ける。焼くと鶏肉に似た美味。ベルン村では串焼きが名物となりつつある。
「名物になりつつある、って書いてあります」
「なりつつあるな」
水鏡の中では、ベルン村の広場に、赤い旗を立てた屋台が並び始めていた。旗には、赤いまだらのカエルの絵と、「名物 赤まだら串」の文字。
看板は、そのまま目印になった。赤いまだらは、下界の人間にとって「毒」の看板から「串焼き」の看板に変わった。森の中で、あれほど見つけやすい食材はない。
「まずくします」
俺は、仕様書を引き寄せた。
「肉の味を、苦くします。食べてもおいしくなければ、屋台は潰れます」
「味の変更は、標準部品です。苦味、単価0.2。全個体で魔素5単位」
ミカさんは、今回は止めなかった。アカマダラは、経理の心を掴んでいなかったらしい。
苦味の修正は、その日のうちに下界へ配信された。
翌日、リーナの祈りが届いた。
【祈りの写し】
差出人:冒険者ギルド 魔物図鑑編纂係 リーナ
内容:女神様。赤い魔物の肉が、急に苦くなりました。
ですが、パンくずの後にさらに2日間、森の香草を与えると、苦味が抜けて、ほんのり香草の香りがつくことが分かりました。前よりおいしいです。
重ねて、感謝を申し上げます。
「……感謝されました」
「重ねてな」
俺の修正は、下界で「香草漬け」という新しい調理法を生んだだけだった。屋台の旗には、「新名物 香草赤まだら」の文字が加わった。
*
「リリース3号、アカマダラ。野生での生存、下界時間で56日」
ミカさんが、査定用紙を読み上げた。
「これまでの3体の中で、最短です」
「ですよね」
「ただ、1単位あたりの生存日数は、モフルに勝ちました。ミズヨロイには、0.06日差で届きませんでした。修正を含めて34単位で56日。モフルは62単位で70日でした」
ミカさんは、少しだけ誇らしげだった。経理の世界では、それは勝ちなのかもしれない。課が廃止されたら意味はないけれど。
ヨルムさんが、アカマダラの仕様書を返してきた。赤ペンの書き込みがあった。
『毒は「食べたらあかん」の看板。けど、下界の連中にとって「食べたらあかん」は、「食べ方を考えろ」の意味や。人間の食い意地を、なめたらあかん』
『字は汚い』
読み終えて顔を上げると、ヨルムさんは窓の外を見ていた。雲の海の向こうに、生物設計局の正面の、第一課のガラス張りのフロアが小さく見える。天井から吊るされた、翼を広げたドラゴンの模型。
ヨルムさんは、しばらく黙ってそれを見ていた。雲のパイプの火が、いつの間にか消えていた。
「ヨルムさん?」
「……なんでもあらへん」
ヨルムさんは、パイプに火をつけ直して、いつもの口調に戻った。
「3つ目の宿題、出したろか。食われへん、欲しがられへん、の次や」
「なんですか」
「それは、自分で考え」
宿題を出すと言って、出さなかった。
第七課廃止まで、あと51日。
ベルン村では、今夜も赤い旗の屋台が繁盛しているらしい。毒は仕入れで、串焼きは売り切れだった。




