第4話 かわいいは防具にならない
第七課廃止まで、あと72日。
ヨルムさんの赤ペンの宿題は、2つあった。
強くなる前に食われない工夫。
強くなっても欲しがられない工夫。
俺は朝から、その2行を眺めていた。眺めているだけで答えが出るなら、前世の企画会議はもっと早く終わっていた。
「新人、手が止まっとるで」
「止まってるんじゃなくて、考えてるんです」
「外から見たら同じや」
ヨルムさんは、ベランダの雲吸い所から戻ってきて、俺の机の段ボール箱に腰かけた。ゴブリンの祈りの箱は、まだ3つ残っている。いつの間にか、机というより椅子として定着していた。
「1つ目の宿題から考えてるんです。強くなる前に食われない。つまり、弱いうちから手を出されない方法です」
「毒とか、トゲとかか」
「それだと、結局強くなってます。そうじゃなくて、弱いまま、攻撃する気をなくさせる」
ヨルムさんが、パイプをくわえたまま眉を上げた。
「そんな都合のええ方法があるんか」
「あります」
前世の俺には、実家に猫がいた。
あいつは何の役にも立たなかった。ネズミも捕らず、家族の誰よりもよく寝て、夜中に人の顔の上を歩いた。それでも、誰もあいつを追い出そうとはしなかった。台所で「にゃ」と鳴けば、家族の誰かが必ず冷蔵庫を開けた。我が家の食料の決裁権は、実質あいつが握っていた。
「かわいいことです」
*
前世で、何かの本で読んだことがある。
人間は、赤ちゃんに似た特徴を持つものを見ると、守りたくなるようにできているらしい。丸い顔。大きな目。短い手足。頭が体に比べて大きいこと。ぎこちない動き。
子犬も、子猫も、ぬいぐるみも、アニメのマスコットも、だいたいこの特徴を持っている。人間は、この特徴を見ると、攻撃する気が失せる。見捨てられなくなる。
「つまり、見た目で『守ってあげたい』と思わせるんです。そうすれば、冒険者は剣を抜けない」
俺は、仕様書を書いた。
【仕様書】
名称:モフル
生息地:森
体格:両手に乗る程度。頭と胴の比率は1対1.5
外見:丸い顔。黒目が大きい。手足は短い。全身ふわふわの毛
鳴き声:「きゅ」
本能(追加):人間を見たら、首を傾げて見上げる
攻撃手段:なし
繁殖条件:森の苔の上
設計者:真壁
ヨルムさんは、読んだ後、しばらく黙っていた。
「……あんた、これ、真顔で書いたんか」
「真顔で書きました」
「『首を傾げて見上げる』て」
「重要な防御機能です」
ヨルムさんが赤ペンを構えた、そのときだった。
「拝見します」
横から、すっと手が伸びた。ミカさんだった。気配がなかった。予算の話が始まる前に現れるこの人が、今日は予算より先に、仕様書そのものに手を伸ばしていた。
ミカさんは、仕様書を眼鏡の奥でじっと読んだ。そろばんは、まだ弾かない。
「黒目の大きさ、平均的な魔物の1.5倍。ふわふわの毛、全身。首を傾げる本能……」
ミカさんの指が、そろばんの上で止まった。
「合計、魔素62単位です」
俺は慌てて仕様書に手を伸ばした。
「前回の41単位より高いですね。削ります」
「削らなくていいです」
ミカさんは、仕様書の決裁欄に、迷いなく経理の印を押した。
「かわいさは、必要経費です」
部屋が、静まり返った。
ヨルムさんの口から、パイプがぽろりと落ちた。
「……ミカが、削らんと予算を通した」
そして、ヨルムさんは言った。
「前例がない」
窓際で、ノア課長が勢いよく顔を上げた。
「それは、私の」
課長の唯一の口癖が、取られた瞬間だった。
*
モフルは、ベルン村の近くの森にリリースされた。
天界の水鏡に映る森の下草の間を、白くて丸い生き物たちが、ころころと転がるように歩いていた。短い手足が、歩くたびにぽてぽてと動く。ときどきつまずいて、そのまま丸まって転がる。
ミカさんが、水鏡の前から動かなくなった。
「ミカさん、仕事は」
「これも仕事です。経費の使われ方を監査しています」
気づくと、ヨルムさんも、ミカさんの後ろから水鏡を覗き込んでいた。
「ヨルムさんも、監査ですか」
「ちゃう。品質確認や」
モフルが、水鏡の中でころりと転がった。
「……品質、ええな」
ヨルムさんは、それだけ言って、しばらく自分の席に戻らなかった。第七課の業務は、その日の午前中、完全に止まった。
2日目、森に冒険者のパーティーがやって来た。先日の沼で、ミズヨロイを網で掬っていた3人組だ。
見習いの少年が、茂みの中の白いものに気づいた。
「なんかいる」
剣士が剣の柄に手をかける。モフルが、茂みからころりと転がり出た。そして、仕様書どおりに首を傾げて、3人を見上げた。
「きゅ」
剣士の手が、柄から離れた。
「……いや、これは無理だろ」
「無理ね」
魔術師が、杖を下ろした。見習いの少年は、しゃがみこんでモフルの頭を撫でていた。
3人は、モフルに干し肉を分けてやり、何もせずに森を去っていった。
「よし」
俺は拳を握った。先日の沼でも握ったが、今度こそ本物だった。
5日目。さらに信じられないことが起きた。
水鏡の端に、1人の青年が映った。
年は20歳くらい。くせのある茶色の髪に、日に焼けた人懐っこい顔。着ているのは、村の若者と変わらない布の服で、背中に古びた剣を1本背負っている。森の小道を、鼻歌まじりに歩いてくる。
「村の人ですかね。薪拾いとか」
返事がなかった。
振り向くと、ヨルムさんの口から、雲のパイプが落ちていた。ミカさんは、そろばんを胸に抱えて固まっている。窓際のノア課長は、舟の模型を置き、両手を組んで目を閉じていた。
天使が祈っている。祈られる側のはずの人が。
「……レオンや」
ヨルムさんが、かすれた声で言った。
「え」
「勇者レオン。あれが」
俺は、もう一度水鏡を見た。どう見ても、親切な農家の次男だった。道を尋ねたら、目的地まで一緒に歩いてくれそうな顔をしている。
「あの人が、あの討伐記録の」
「あの顔で、1日に300匹狩る」
ミカさんが、震える手で綴りをめくった。
「昨日は、412匹です。うちの課の残り予算より、多いです」
比べる必要のない数字だった。
年中無休の台風が、よりによって、うちの森に上陸したのだ。
前世で言えば、新商品の試食会の会場に、いきなり社長が入ってきたようなものだった。しかも、その社長は、気に入らない商品をその場で全部ゴミ箱に入れる。悪気なく、笑顔で。
「終わった」
声に出ていた。
「モフルの攻撃手段、なしです。逃げ足も遅いです。転がります」
「知っとる。あんたが書いたんや」
「首を傾げる以外、何もできません」
「それも、あんたが書いたんや」
ヨルムさんは、落ちたパイプを拾いもせずに、水鏡を睨んでいた。
勇者が、足を止めた。
勇者は、魔物の気配に剣を抜いた。茂みから、モフルが転がり出た。首を傾げて、見上げた。
「きゅ」
勇者は、剣を持ったまま、しばらく固まっていた。それから、そっと剣を鞘に戻し、モフルの頭を指先で1回撫でて、森を去った。
ヨルムさんが、勇者の討伐記録の綴りをめくった。最新のページの一番下に、新しい行が加わっていた。
『モフル 見逃し』
「……勇者が魔物を見逃したの、記録が始まって以来、初めてや」
「つまり」
「前例が」
「私の」
課長が、今度は先に言った。
*
7日目。祈りの束が届いた。差出人の欄に、見慣れない肩書きが並んでいた。
【祈りの写し】
差出人:王都の伯爵夫人
内容:女神様。森の小さな白い生き物を、どうか私のもとへお導きください。隣の侯爵夫人が、もう2匹飼っているのです。
【祈りの写し】
差出人:王都の商人
内容:女神様。モフルの仕入れが追いつきません。1匹金貨20枚でも売れます。どうか、もっとたくさん森に。
【祈りの写し】
差出人:ベルン村の見習い冒険者
内容:女神様。殺すのはかわいそうだけど、捕まえるのはかわいそうじゃないと、先輩が言っていました。そうなんでしょうか。
俺は、最後の1枚を持ったまま、動けなかった。
ギルドの図鑑も、すでに改訂されていた。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第7版】
モフル
二つ名:森の宝石
危険度:☆☆☆☆☆
解説:森に棲む小型の魔物。極めて愛らしく、攻撃性はない。王都の貴族に人気が高く、生け捕りにした個体はギルドが高値で買い取る。殺してはならない。売値が下がる。
「殺してはならない、の理由が」
「売値やな」
ヨルムさんが、水鏡を見ていた。
森の中で、冒険者たちが網を広げていた。剣を抜く者は1人もいない。誰もモフルを傷つけない。ただ、丁寧に、優しく、1匹ずつ網に入れて、籠に詰めていく。
モフルは、網を持った冒険者にも、首を傾げて見上げた。
「きゅ」
冒険者は、微笑んで網をかぶせた。
かわいいは、剣を下ろさせた。そして、網を持たせた。
「修正します」
俺は、仕様書を引き寄せた。
「かわいさを下げます。黒目を小さくして、毛を短くして、首を傾げる本能を外す。そうすれば、欲しがる人はいなくなる」
「却下します」
ミカさんが、即答した。
「……え、予算の話ですか。外すだけなら、安いはずですけど」
「外すのは安いです。魔素3単位」
「じゃあ」
「かわいさを削る予算は、出せません」
ミカさんは、眼鏡を指で押し上げた。表情は、いつもの経理の顔だった。声だけが、ほんの少し震えていた。
「一度承認した必要経費を、なかったことにはできません。経理の信用に関わります」
「それ、経理の信用の話ですか」
「経理の信用の話です」
ヨルムさんが、横から小声で言った。
「あきらめ。あの子、水鏡の前で3日間、監査しとったんや」
監査という名の鑑賞だったことは、課の全員が知っていた。
結局、修正案は通らなかった。仮に通ったとしても、手遅れだったと思う。すでに王都では、モフルの予約が3か月先まで埋まっていたらしい。
*
王都の屋敷に運ばれたモフルたちは、大事にされたらしい。絹のクッションの上で眠り、果物を食べ、貴族の膝の上で撫でられた。
ただ、増えなかった。
仕様書の「繁殖条件」の欄を、俺は「森の苔の上」と書いていた。苔の生えていない王都の屋敷では、モフルは子供を産まない。
森からは、いなくなる。屋敷では、増えない。
10日目。森のモフルは、最後の1匹が網に入った。
さらに悪い知らせが、ルシアさんの形でやって来た。
「ごきげんよう」
第一課の課長は、扉を開けるなり、1枚のチラシを課長の机に置いた。
『第一課 新作リリースのお知らせ 愛玩用小型竜「ミニドラ」 貴族のお屋敷でも飼えるサイズ。屋内繁殖対応』
「王都では、白い毛玉の流行は、そろそろ終わりだそうよ」
ルシアさんは、満足そうに微笑んだ。
「次の流行は、うちの竜。市場を作ってくださって、ありがとう。第七課の皆さん」
扉が閉まった。
ミカさんが、チラシを手に取り、じっと見つめた。
「……ミニドラ、かわいいですね」
「ミカさん」
「すみません。経理として、市場の動向を確認していました」
*
「リリース2号、モフル。野生での生存、下界時間で70日」
ミカさんが、査定用紙を読み上げた。ミズヨロイと同じだった。
「勇者の見逃しを受けた魔物としては、史上初です」
「それは、査定に何点になるんですか」
「0点です」
俺は、段ボール箱の椅子に深く沈んだ。
「新人」
ヨルムさんが、仕様書を持っていた。モフルの仕様書だった。赤ペンで、何か書き込まれている。
『かわいいは、殺されへん理由にはなる。けど、連れて帰られる理由にもなる。2つ目の宿題、まだ残っとるで』
その下に、いつもの一文があった。
『字は汚い。けど、首を傾げる絵は上手い』
仕様書の余白に、説明のために描いた、モフルの小さな落書きがあった。
「……それ、褒めてます?」
「褒めとる。絵だけな」
ヨルムさんは、落書きを指で軽く叩いて、雲吸い所に戻っていった。
ミカさんの机の上には、いつの間にか、モフルの仕様書の写しが1枚、そっと立てかけてあった。予算の書類の間に、絵のある面を表にして。
聞いたら、たぶん「監査用の資料です」と言われる。だから、聞かなかった。
第七課廃止まで、あと62日。
王都のどこかの屋敷では、今夜も最後のモフルたちが、絹のクッションの上で首を傾げているらしい。




