第34話 しらたまの村
下界出張、10日目。
期限、未定。
グラナ村の入口の掲示板にも、図鑑の写しが貼られていた。
羽の足りない男。二つ名、魔王の父。懸賞金、銀貨30枚。
「……ここにも、貼ってありますね」
「図鑑は、足が速いからな」
写しの似顔絵には、誰かが炭で落書きをしていた。小さな羽に丸がつけてあって、その横に子供の字で「かわいい」と書いてある。
「……かわいい、って書かれてます」
「グラナ村の子やな。魔物の見方が、ほかの村とちゃう」
ヨルムさんが掲示板の前で雲を吐く。ベルン村から2日歩いてきた。図鑑の写しはたぶん1日で着いている。
俺はドルクさんにもらった串の最後の1本をかじりながら、村の中へ入った。
グラナ村はベルン村より少しだけ大きな村だった。畑があり、井戸があり、家々の軒先に白い布が干してある。
絹だ。シラタマの糸で織った布が、村のあちこちで風に揺れている。
「……干してありますね、絹」
「今日は、晴れとるからな」
水鏡で何度も見た村だった。ただ、上からは布の色までは見えなかった。真っ白な布が日の光を受けて、少しだけ青く光っている。
*
村はずれに目当ての建物があった。
ゴブリン保育所。
木の柵に囲まれた小さな庭で、ゴブリンの子供と人間の子供が、一緒に駆け回っている。柵の内側では、大人のゴブリンが3匹、子供たちを見守っていた。
北の魔王城の宿へ出稼ぎに行ったゴブリンも多いらしい。それでも保育所には、今も数匹が残っていた。
俺が柵の前に立った、そのときだった。
大人のゴブリンの1匹が、ぴたりと動きを止めた。
俺を見ている。
正確には俺の背中の羽を見ている。
ゴブリンはとことこと柵の外へ出てきた。俺の周りをぐるりと1周する。羽をじっと見る。俺の手の串を見る。俺の顔を見る。
それから、俺の手を握った。
「……え」
ゴブリンはそのまま俺の手を引いて、保育所の門へ向かって歩き出した。
「あの、ちょっと」
力が強い。子育て本能のゴブリンは、手のかかる相手を見つけると放っておけない。ゴブリンの仕様書に俺が書き足したあの本能だった。
羽が小さい。飛べない。1人で串をかじっている。
ゴブリンから見れば、俺は迷子だったらしい。
「ヨルムさん!」
「預かってもらい」
ヨルムさんは柵にもたれて雲を吐いている。肩が震えていた。吐いた雲まで小刻みに震えている。
*
保育所の中に入ると、別のゴブリンが木の板を持ってきた。
預かり票だった。
ゴブリンは字が書けない。代わりに人間の保母さんが1人、奥から出てきた。
「あら、新しい子?」
「違います」
「大きい子ねえ。お名前は?」
「真壁です。あの、預けられる予定は」
保母さんが預かり票に「まかべくん」と書く。それから、柵の外を見た。
「保護者の方は、あちらの天使様?」
「うちや」
ヨルムさんが柵越しに手を挙げる。
「迎えは、夕方でええか」
「はい、夕方5時までお預かりします」
ヨルムさんは預かり票の保護者の欄に署名した。きれいな字だった。保母さんが少しだけ感心した顔をした。
「天使様の字は、きれいねえ」
「こいつの字は、汚いんや。よろしゅう頼むわ」
ヨルムさんはそれだけ言って、村の方へ歩いていった。下界の雲を吸いに行くらしい。
俺の胸に名札が付けられた。
まかべくん(おおきい)
*
保育所の1日は、忙しい。
まず、お絵かきの時間。
俺は画用紙に何か描くように言われた。何を描けばいいか分からなかったので、シラタマの仕様書の図を描いた。
ゴブリンの子供が覗き込んだ。人間の女の子も覗き込んだ。
「……これ、なに?」
「虫」
「へたー」
正直な感想だった。5歳児の評価は、天界の査定より容赦がない。
次に字の練習の時間。
石板に自分の名前を書く。俺は「まかべ」と書いた。
周りの子供たちが一斉に俺の石板を覗き込んだ。
「……へたー」
「わたしより、へたー」
「ゴブリンのルルより、へたー」
ゴブリンのルルは、字が書けない。ルルは石板に丸を描いただけだった。その丸より、俺の「まかべ」は評価が低かった。
子供たちは急に張り切り始めた。自分より字が下手な大人を、初めて見たらしい。
「おおきいまかべくん、ここはね、くるってするの」
「ちがう、もっとまっすぐ」
「ゆっくり書くの。ゆっくり」
5歳の先生が3人ついた。ゴブリンの子も石板を持ってきて隣に座った。字は書けないが応援はできるらしい。
30分後、俺の「まかべ」はほんの少しだけまっすぐになっていた。
天界で、ヨルムさんが毎日の赤ペンで直せなかったものが、5歳児の30分で、ほんの少しだけ直った。
教え方の差なのか、俺のやる気の差なのか。たぶん、両方だ。
お昼ごはんは麦のおかゆだった。
俺の前に座ったゴブリンが、木の匙でおかゆをすくって、俺の口の前に差し出した。
「……自分で食べられます」
ゴブリンは匙を引かない。首を少しだけ傾げて、待っている。
「あの、本当に」
ゴブリンは、待っている。
周りの子供たちもじっと見ている。
俺は、口を開けた。
おかゆは、ほんのり甘かった。ゴブリンが満足そうに頷く。2匙目がもう口の前に来ていた。
結局、1杯全部、食べさせてもらった。前世でも天界でも誰かにごはんを食べさせてもらった記憶はない。26歳で、魔物に、初めてだった。
保母さんが、笑いながら言った。
「この子たち、大きい子ほど張り切るのよ。北の宿でも、冒険者さんに食べさせてるって噂だもの」
魔王城の宿の食堂の光景が、少しだけ目に浮かんだ。
*
昼寝の時間に事件が起きた。
保育所の隣の小屋から、雨の音が聞こえてきた。
さあああ。
外は晴れている。雲ひとつない。それなのに、雨の音がする。
昼寝をしていた子供たちが、一斉に飛び起きた。
「しらたまの時間だ!」
「洗濯物!」
子供たちが庭に走り出る。ゴブリンたちも走る。保母さんも走る。庭に干してあった布団と洗濯物を、全員で取り込み始めた。
俺もつられて走った。
布団を取り込みながら、隣の小屋を見る。木の壁に白い虫の絵が貼ってあった。
しらたま保育所、第2分室。
中から聞こえる雨の音は、シラタマが桑に似た葉を食べる音だった。
俺が仕様書に書いた、第88条のための脅威だ。「食べる音が雨音に似ていて、人間に洗濯物を取り込ませる」。
全部取り込み終わると、保母さんがみんなにお茶を配り始めた。
「はい、しらたまの時間のお茶ですよ」
「……しらたまの時間?」
「あの音がしたら、洗濯物を取り込んで、みんなでお茶にするの。村の決まりなのよ」
保母さんがにっこり笑った。
「晴れてるのに雨の音がするから、最初はみんな困ってたのよ。でも、どうせ取り込むなら、ついでに休もうって。今じゃ、村中でお茶の時間」
村のあちこちから、同じように布団を取り込む音が聞こえてくる。それから、お茶を注ぐ音も。
前世の会社にも似たようなものがあった。午後3時になると、誰かが必ずお菓子を配り始める。その時間だけは会議も電話も止まった。
俺が「脅威」として書いた1行は、下界で「休憩」になっていた。
*
お茶の時間に隣に少年が座った。
背が伸びていた。水鏡で見たときより、頭1つ分は大きい。第2分室の前で勇者の前に両手を広げて立ちふさがった、あの少年だった。
胸には、木の札が下がっている。
しらたま係 係長
「係長なんだ」
「うん。ゴブリンのみんなが、葉っぱを採ってくる係。ぼくが、しらたまの数を数える係」
少年は誇らしげに札を持ち上げた。
「おにいさん、図鑑に載ってる人でしょ」
「……知ってた?」
「保母さんには言わない。みんな言わないよ。この村、魔物の悪口言う人いないもん」
少年はお茶をすすった。
「しらたまも、最初は魔物って言われてたんだ。でも、村の宝物になった。だから、おにいさんも、たぶん大丈夫だよ」
俺は何も言えなかった。
少年はそれから、少しだけ声を小さくした。
「ねえ。天使様と一緒にいるなら、天界に知り合いいる?」
「……少しだけ」
「じゃあ、お願いがあるんだ」
少年は懐から、折りたたんだ紙を取り出した。何度も書き直した跡がある。祈りの紙だった。
「神殿に出そうと思ってたんだけど、天使様のお連れなら、直接届けてくれるかなって」
紙にはたどたどしい字でこう書いてあった。
『めがみさま。しらたまをつくったひとに、ありがとうってつたえてください。ぼくは、しらたまがだいすきです』
俺の手が少しだけ震える。
「……届けるよ」
「ほんと?」
「必ず、届ける」
届け先は、ここだった。
*
夕方5時にヨルムさんが迎えに来る。
保母さんが連絡帳を渡してくれる。
きょうのまかべくん
・おえかき:むしをかきました(へた)
・じのれんしゅう:がんばりました(すこしまっすぐになりました)
・おひるね:しませんでした(しらたまのじかんで、とびおきました)
・おちゃ:2はいのみました
・そのほか:ときどき、なきそうなかおをしていました
「……最後の1行、書かんでええのに」
「保母さんは、よう見とるな」
ヨルムさんは、連絡帳を読みながら、ずっと笑っている。
「ヨルムさんは、1日何してたんですか」
「村の裏の丘で、雲を吸うとった」
「下界の雲、どうでした」
ヨルムさんは少しだけ考えた。
「しょっぱい」
「しょっぱい」
「畑と、汗と、洗濯物の匂いがする。天界の雲は、何の味もせえへん。下界の雲は、人が住んどる味がする」
ヨルムさんはもう一度雲を吐いた。
「100年、味のない雲を吸うとったんやな、うち」
保育所の門を出ると、ゴブリンと子供たちが、柵に並んで手を振っていた。ゴブリンのルルが丸を描いた石板を掲げていた。
「おおきいまかべくん、またねー!」
「字、れんしゅうしてねー!」
俺は手を振り返した。
帰り道、俺は少年の祈りの紙を、ヨルムさんに見せた。
ヨルムさんは黙って読んだ。それから、紙を丁寧にたたんで俺の手に戻した。
「届いたな」
「……はい」
「天界に祈りが届くまで、ふつうは何日もかかる。けど、これは0日や」
ヨルムさんは雲をひとつ吐いた。
「宛先が、隣を歩いとったからな」
俺は紙を胸のポケットにしまった。連絡帳と一緒に。
グラナ村の軒先では、しらたまの時間を終えた白い布が、夕焼けの色に染まっていた。
下界出張、10日目。
今日の俺は、魔物の親でも魔王の父でもなく、保育所の「おおきいまかべくん」だった。




