第33話 図鑑に載る
下界出張、4日目。
期限、未定。
リーナは物置の段ボールの上に正座している。
膝の上に帳面。右手にペン。ろうそくの明かりに眼鏡が光っている。
「取材を、させてください」
「……取材」
「冒険者ギルド、魔物図鑑編纂係のリーナです。羽の小さい新種の魔物が、ベルン村の神殿の物置に棲みついたと聞きまして」
「棲みついてはいません。泊まってるだけです」
「泊まる魔物……」
リーナのペンがさらさらと動いた。最初の1行から、もう何かが盛られている気がする。
水鏡越しに何度も見てきた人だった。モフルに「森の宝石」とつけた人。カッコカリを竜の仔にした人。ソラヌイの縁結びの噂をたどった人。
その人が今、俺の目の前で俺に二つ名をつけようとしている。
*
リーナの取材は、質問の順番が決まっていた。
「名前は」
「真壁です」
「マカベ……。種族は」
「下級天使です」
ペンが止まる。リーナが俺の背中の羽をじっと見る。
「天使様の羽は、もっと大きいです。神殿の壁画でも、天使様の羽は背丈より大きく描かれています」
「予算の都合で、装飾用になりました」
「よさん……」
リーナは少し考えてから、帳面にこう書いた。
種族:自称・天使(予算不足)
「……自称、なんですね」
「確認が取れないので」
正しかった。天界に確認の鳩を飛ばしても、返事は下界時間で1週間後になる。
「住んでいる場所は」
「今は、この物置の、段ボールの上です」
生息地:段ボールの上
「食べる物は」
「重箱のおにぎりと、串焼きです。おにぎりは竜の形をしてて、尻尾から食べます」
食性:竜(尻尾から)
「待ってください。竜は食べてません。竜の形のおにぎりです」
「形も、大事な情報です」
リーナは書いたものを消さない。
「鳴き声は」
「……鳴きません」
「さっき、私が扉を開けたとき、何か言いましたよね」
「『すみません』って言いました」
鳴き声:すみません
前世の癖は下界では鳴き声として記録されるらしい。
「特技は」
「……印鑑を押すことです。1日1000個押したことがあります」
特技:判を押す(1日1000回)
「弱点は」
「字です」
リーナが初めて顔を上げる。
「字、ですか」
「字が汚いんです。天界では、毎日赤ペンで書かれてます」
「屋台の看板の、あの字ですね」
「……はい」
リーナはぱっと顔を輝かせた。
「あの看板、王都でも噂になってます。『傾いた字の店は、うまい』って。字が汚いのが弱点というのは、少し変ですね」
弱点:字(ただし、下界ではむしろ長所)
「最後に、足跡の代わりに、署名をお願いします。図鑑では、魔物の足跡を載せることになっているので」
俺は帳面の隅に、「真壁創」と書いた。
リーナはしばらくその字を眺めていた。帳面を逆さにして、また眺めた。それから、署名の横に小さく書き添える。
足跡(署名):判読不能
取材が終わるころには、帳面の1ページが埋まっていた。俺の人生で一番正確で、一番誤解を招く1ページだった。
*
そこへ、ヨルムさんが雲を吐きながら入ってきた。
リーナが段ボールの上で正座したまま背筋を伸ばす。
「て、天使様……!」
「取材か。ご苦労さんやな」
「あの、天使様。この方は、天使様とどういうご関係で」
ヨルムさんが雲のパイプを口から離す。
「うちの課の新人や」
「課……?」
「天界にな、魔物を作る所があるんや。こいつは、そこで魔物を作っとる」
物置が、静まり返った。
ヨルムさんが、しまった、という顔をする。俺も、しまった、という顔をした。天界の仕組みを下界の図鑑の編纂係に、雲のついでに話してしまったのだ。
リーナのペンが止まっている。
それから、ものすごい速さで動き出した。
「魔物を……作る……」
「いや、あの、今のは」
「魔物を作る、魔物……!」
「魔物じゃないです」
リーナはもう聞いていなかった。帳面のページを1枚、2枚とめくっていく。
「そういえば、屋台の親父さんが言ってました。あなた、アカマダラの親みたいなものだ、って」
「……言いました」
「アカマダラは、魔王軍の四天王です」
「……はい」
「四天王の、親」
ペンが走る。
「四天王の親が、天使様と一緒に、天界から降りてきた」
ペンがさらに走る。
「魔王の城には、若返った魔王が眠っている。四天王の親なら、魔王とも……」
リーナの目がろうそくの光の中で、ぎらりと光った。
*
翌朝、リーナは王都へ発った。
その2日後、ベルン村の冒険者ギルドの掲示板に、図鑑の新しい版の写しが貼り出された。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第19版】
羽の足りない男
二つ名:魔王の父(自称・天使)
危険度:★★★★☆(字が汚い)
生息地:ベルン村の神殿の物置。段ボールの上を好む
解説:手のひらほどの羽を持つ、人の姿の魔物。天界で魔物を作っていたとされ、四天王アカマダラの親を名乗る。竜を尻尾から食べる。「すみません」と鳴く。1日に1000回、判を押す。傾いた字を書き、その字を見た者は串焼きを買わずにいられなくなる。
懸賞金:銀貨30枚
(編纂係注:天使様の証言による。天使様が嘘をつくはずはないので、確度は高い)
「……魔王の父」
「盛ったなあ」
ヨルムさんが掲示板の前で額を押さえる。
「魔王の、どこが父なんですか」
「四天王の親が、魔王の親に昇格したんやろ。リーナの帳面の中で」
「俺、魔王の仕様書は3行しか書いてないですよ」
「3行でも、書いたのはあんたや」
正しかった。魔王の仕様書の最初の3行を書いたのは、俺だった。図鑑は盛られていた。ただ、全部が嘘というわけでもなかった。
危険度の星が4つ。竜の仔と呼ばれたころのカッコカリと、同じ数だった。本物の竜の寝ぼけ竜より、3つも多い。字が汚いだけで竜を3つ追い越していた。
「竜を尻尾から食べる、は消してほしいです」
「消えへんで。図鑑は、盛られたら、盛られっぱなしや」
ヨルムさんは掲示板の自分の証言の注釈を、しばらく黙って見ていた。
「……天使様が嘘をつくはずはない、か」
「ついてないですよね、ヨルムさん」
「ついてへん。つい、口が滑っただけや」
*
懸賞金の効果はすさまじい。
昼には、ベルン村に冒険者が20人来ていた。夕方には50人。みんな、剣と網を持っていた。
冒険者たちはまず屋台の看板を見上げる。
「傾いた字だ……」
「魔王の父の字だ……」
「この字を見たら、串焼きを買わずにいられなくなるらしい」
網を持った冒険者の一団が、神殿の前でヨルムさんを見つけて、膝をついた。
「天使様。魔王の父は、どちらに」
ヨルムさんは、雲を吐きながら北を指さした。
「北や。ずっと北」
「ありがとうございます!」
一団は北へ走っていった。俺は屋台の裏で串を焼いていた。屋台は神殿の南側にある。
「……天使様、嘘つきましたね」
「北にも、あんたの魔物はおるやろ。四天王が5人」
嘘ではなかった。ただ、正直でもなかった。
冒険者たちは串焼きを買った。買ってから、はっとした顔をした。
「……本当に、買ってしまった」
「図鑑の通りだ……」
屋台の前に懸賞金目当ての行列ができている。ドルクさんは、串を焼く手が止まらない。
「おい、魔王の父」
「その呼び方、やめてもらえませんか」
「お前のおかげで、今日は300本だ」
ドルクさんは、焼きながら笑っていた。
俺は屋台の裏に隠れて串を焼く手伝いをしていた。表に出ると懸賞金がかかっている。裏にいれば、串を焼く手伝いになる。前世の会社でも、表に出ると怒られる企画ほど、裏でよく売れたものだ。
屋台の陰から、小さな男の子が顔を出した。いつもの、銅貨が1枚足りない子だった。
「おじさん、魔王のお父さんだったの?」
「違うよ」
「でも、図鑑に書いてあった」
「図鑑は、盛られるんだ」
男の子は首を傾げた。それから、小さな声で言った。
「……冒険者の人には、言わないよ」
男の子は自分の銅貨1枚を、俺の手に握らせて走っていった。串1本の半額だった。
懸賞金の銀貨30枚より、ずっと重い銅貨だった。
*
その夜、物置でヨルムさんと向き合う。
「新人。この村、出た方がええな」
「……ですよね」
「村の人は、あんたを突き出さへん。けど、冒険者は増える一方や。屋台にも、神殿にも迷惑がかかる」
ヨルムさんが雲のパイプを指でくるりと回す。
「図鑑に載って、懸賞金がかかったら、終わりや。ヴァルナのときと、一緒や」
冗談の声では、ない。
名前がついて、懸賞金がかかって、国中の腕自慢が集まる。100年前にヨルムさんの竜が通った道だった。
「……俺の魔物も、みんなこんな気分だったんですかね」
「たぶんな」
「図鑑に載って、懸賞金がかかって、網を持った人が来る」
「あんたが作った魔物は、だいたい網やったな」
ミズヨロイは網ですくわれた。モフルも網で生け捕りにされた。カッコカリはスコップで掘り出された。
今度は、俺の番だ。
「設計した人間が、設計ミスの気分を味わうんやな」
「前例、ないですね」
「課長が喜ぶわ」
ヨルムさんは少しだけ笑った。
そのとき、物置の窓に天界の鳩がとまった。
筒の中の紙は1枚だけだった。丸い字だった。
『シラタマくん、図鑑に載った! 魔王の父! すごい! ワクワクする!』
『でも、まだ帰ってきちゃだめ! もっと見たい!』
女神様は図鑑の写しをどこかで読んだらしい。女神様の鳩は、締切と同じで、なぜかいつも前倒しで届く。
「……まだ、帰れないですね」
「ワクワクが、足りんらしいな」
「懸賞金がかかってるのに」
「女神様からしたら、それがワクワクなんや」
*
翌朝、夜明け前にベルン村を出た。
目指すのはグラナ村。シラタマの村。俺の設計した魔物の中で、一番長く生き残っている魔物がいる村。
ドルクさんが、村はずれまで見送りに来てくれる。
「串だ。10本ある。道中で食え」
「ありがとうございます」
「それと、この袋もやる。重箱を抱えて歩くのは、目立つ」
ドルクさんが、古い背負い袋を差し出した。串の仕込みに使っていた袋らしく、ほんのり香草の匂いがする。重箱が、ちょうど横にくくりつけられる大きさだった。
「それと、看板は、あのままにしとく」
「傾いたままで、いいんですか」
「魔王の父の字だぞ。外したら、客が減る」
ドルクさんはにやりと笑って、屋台の方へ戻っていった。
村はずれの坂の上で小さな影が手を振っていた。あの男の子だった。
「魔王のお父さん、またねー!」
大きな声だった。まだ寝ている冒険者たちが、起きないことを祈った。
「……あの子、気を遣うてくれとるのか、どうなんか分からんな」
「たぶん、両方です」
俺は坂の上に手を振り返した。背中の小さな羽も少しだけ動く。
下界出張、8日目。
図鑑に載った設計者は、懸賞金を背負って、自分の魔物の村へ向かっていた。




