第32話 旅費は0単位
下界出張、2日目。
期限、未定。
朝一番に串焼きの屋台へ頭を下げに行く。
「働かせてください」
屋台の親父は串を焼く手を止めて、俺の背中の羽を見た。
「……魔物を雇ったことは、ねえな」
「魔物じゃないです」
「羽が小さいぞ」
「予算の都合です」
「それは昨日も聞いた」
親父が串をひっくり返す。昨日よりは串を向けてこない。1日で少しだけ前進している。
「天使様のお連れだって話は、村中に回ってる。だが、天使様のお連れを雇った前例も、ねえ」
下界でも前例がないことをするのは難しいらしい。課長が聞いたら喜びそうだった。
隣でヨルムさんが雲のパイプをくわえた。
「こいつ、前は食べ物を作る仕事しとったんや。串焼きのことなら、ちょっとは役に立つかもしれん」
「……天使様が、そうおっしゃるなら」
親父はようやく頷いた。天使様の一言は下界では決裁印5つより重い。
「給金は、1日に串1本だ」
「串1本」
「売れたら、2本にしてやる」
出張旅費0単位の男に、初めて収入が生まれた瞬間だった。串1本である。
*
屋台の親父の名前はドルクという。
ドルクさんの串焼きは、うまかった。鶏の腿肉を香草に漬けて、炭火でじっくり焼く。香草漬けは、アカマダラがいたころに村で生まれた調理法だ。俺が苦くした肉を村人が香草でおいしくした。あのときの苦味の修正が、巡り巡って鶏を救っていた。
ただ、客が少ない。
「昔は、行列ができたんだがな」
ドルクさんが煙の向こうでため息をつく。
「アカマダラがいなくなって、中身を鶏にした。味は、ほとんど変わらねえはずなんだ。なのに、客はみんな言う。『昔の方がうまかった』ってな」
「……思い出の方が、おいしいんですね」
「思い出には、勝てねえ」
前世の会社でも何度も聞いた言葉だった。
昔の味が一番。昔のパッケージが一番。リニューアルした商品は、中身を変えていなくても「味が落ちた」と言われる。人は舌より先に記憶で食べている。
商品企画部4年目の俺が、一番苦手な相手だった。
*
昼までに分かったことが3つある。
1つ目。客は、アカマダラの串焼きが食べたい。
2つ目。アカマダラは北の魔王城で四天王として保護されている。ゴブリンが「食べないでください」の札まで立てている。
3つ目。魔王城の宿の札の2枚目には、「串焼きは ベルン村で」と書いてある。
俺は3つを並べて考える。
本物はもう食べられない。食べてはいけない。でも、食べたい人がいる。
「ドルクさん」
「なんだ」
「この串、名前を変えませんか」
ドルクさんが眉をひそめる。
「アカマダラ風、じゃだめか」
「『風』は、偽物に聞こえます。偽物じゃなくて、役目のある串にしたいんです」
俺は段ボールの切れ端に書いた。
四天王の身代わり串
(本物は北の魔王城で保護されています。代わりにどうぞ)
ドルクさんは段ボールを遠ざけたり近づけたりしながら、長いこと読んでいた。
「……字が、汚いな」
「すみません」
「だが、言いたいことは分かる」
ドルクさんは段ボールを屋台の柱に立てかける。
「本物を食べたら四天王がかわいそうだ。だから、身代わりを食え、ってことか」
「はい。食べることが、四天王を守ることになります」
「……四天王本人は、怒らねえか。勝手に身代わりにされて」
「アカマダラは、焼かれて名物になった魔物です。今さら怒りません」
「お前、アカマダラの何なんだ」
「……親みたいなものです」
ドルクさんは何か言いかけてやめた。魔物の親を名乗る羽の小さい男を、深く追及しない方がいいと判断したらしい。下界の大人は、賢かった。
前世で最後に通らなかった企画書を思い出す。「罪悪感のないおやつ」。会議で「意味が分からない」と言われて、却下された。
今日は、却下する上司がいない。いるのは、串を焼く親父と、雲を吐く天使様だけだった。
*
次は、試食だ。
串を細かく切って、小皿に並べる。「どうぞ、お試しください」。前世で何百回も言った台詞だ。
最初は誰も近づかなかった。羽の小さい男が小皿を差し出している。村人から見れば、魔物が餌付けをしているようなものだった。
「……新人、それ逆効果や」
「ですよね」
ヨルムさんが代わりに小皿を持った。
天使様が小皿を差し出している。
村人が一斉に集まってきた。拝みながら試食していく。手を合わせたまま串をかじるので、みんな少しだけ食べにくそうだった。
「天使様の、お試し……」
「ありがたや……」
試食の小皿は10分で空になる。
「……天使様、ずるくないですか」
「使えるもんは、使え。前世で習わんかったんか」
習った。前世の会社ではそれを「タレント起用」と呼んでいた。
*
3つ目は、看板。
屋台の上の古い看板を下ろして、新しい看板を作ることにした。板は神殿の倉庫の、祈りの段ボールの空き箱を分けてもらった。
問題は、字だった。
「看板は、ヨルムさんが書いてください」
「なんでや」
「俺の字、汚いので」
ヨルムさんは筆を持って、少し考えた。それから、筆を俺に突き返す。
「あんたが書き」
「でも」
「うちの字は、天使様の字や。きれいすぎて、屋台の看板に向いてへん」
言われるまま、俺が書いた。
名物 四天王の身代わり串
書き終えて、看板を見上げる。ひどい字だった。「四」の字が傾いていた。23度くらい。
ところが、その看板を掲げた途端、通りがかりの冒険者が足を止めた。
「……この字、老舗の味がするな」
「ああ。汚い字の店は、うまいんだ」
「王都の有名な串屋も、看板の字がひどかった」
冒険者たちが屋台の前に並び始める。
俺は看板の字を見上げたまま、しばらく動けなかった。
天界に来てから、何百回「字が汚い」と書かれたか分からない。その字が下界では「老舗の味」になっていた。
「……新人。よかったな」
ヨルムさんが、珍しく素直に言う。
「字が汚いのが、初めて役に立ったで」
「褒めてます?」
「褒めとる。たぶん」
*
夕方には、行列ができていた。
串は、日が沈む前に売り切れた。ドルクさんは、空になった炭火の前でぼんやりしている。
「……売り切れたのは、アカマダラがいたころ以来だ」
それから、俺に串を2本差し出した。
「約束の、2本だ」
「ありがとうございます」
「それと、これもやる」
ドルクさんが、銅貨を3枚、俺の手に乗せる。
「串2本と、銅貨3枚。天使様のお連れの、給金だ」
下界に来て、初めての収入だった。
俺は、銅貨を手のひらに乗せたまま、屋台の前の行列の跡を見つめる。
串を食べた客が、笑っている。子供が、串を両手で持って歩いていく。老人が、「昔の味だ」と言っている。中身は鶏なのに。
前世で俺は試食会の前の晩に死んだ。
自分の作ったお菓子を、誰かが食べるところを、一度も見なかった。試作品の段ボールに埋もれて、それで終わった。
今日は見た。
自分が名前をつけた串を、誰かが食べて、笑っているところを。
「……新人」
「はい」
「泣いとるんか」
「炭の煙です」
「屋台の火、もう消えとるで」
「うるさいです」
ヨルムさんはそれ以上は何も言わなかった。代わりに雲をひとつ、夕焼けに向かって吐いた。
*
それから2日、屋台は毎日売り切れた。ドルクさんは串の仕込みを倍にした。俺の給金も毎日串2本と銅貨3枚になる。
3日目の朝には広場の向かいのパン屋の看板が、傾いた字に書き替わっていた。
名物 四天王の身代わりパン
字はわざと汚くしてある。4日目には八百屋も鍛冶屋も、神殿の案内板まで23度に傾いていた。
「……村中の字が、汚くなりましたね」
「あんたの字が、流行っとる」
「天界では、赤ペンで毎日直されてたのに」
「天界と下界では、字の値打ちも7倍違うんやろ」
ヨルムさんは、そう言いながら、少しだけ悔しそうだった。
ヨルムさんの方にも悩みがあった。毎朝、物置の前に村人からのお供え物が積まれるのだ。パン、果物、干し肉、手編みの靴下。天使様への感謝の印らしい。
ただ、天使様はお布施をもらうと罰が当たる。神官が初日にそう決めてしまった。
ヨルムさんは毎朝お供え物の山を抱えて、物置の俺に渡しにきた。
「あんたは魔物扱いやから、もろても罰は当たらん」
「俺、魔物扱いでよかったんですかね」
「食費が浮いたやろ」
浮いていた。重箱の3段目はまだ開けていない。
給金の串は毎日1本だけ、俺の口に入らなかった。
行列の最後にいつも小さな男の子が並んでいる。握りしめた銅貨を何度も数えている。串は1本で銅貨2枚。男の子の手にはいつも1枚しかない。
俺は給金の串を1本、男の子に渡した。
「……いいの?」
「身代わりの、身代わりだから」
男の子は、意味が分からないという顔で串を受け取った。それから、にっこり笑う。
「ありがとう、魔物のおじさん」
おじさん、と呼ばれた。前世では26歳だった。魔物で、しかもおじさん。下界の評価は天界の査定よりずっと手厳しい。
4日目の夜、神殿の物置の窓に天界の鳩がとまった。
筒の中には、紙が3枚入っていた。
1枚目はミカさんからだった。
『出張報告書の様式をお送りします。字は丁寧に書いてください。 ミカ』
2枚目はルシアさんからだった。
『重箱の12段目は、本当に困ったときまで開けないこと。 第一課』
3枚目は課長からだった。
『下界の空は、きれいかい。前例がない出張だから、ゆっくりでいいよ。 ノア』
3枚とも天界を出たのは今朝らしい。下界ではもう4日目の夜になっている。
「……天界の今朝が、こっちの4日後に届くんですね」
「天界は、ゆっくりやからな」
ヨルムさんが課長の手紙を指でなでた。
「ゆっくりでいい、やて。一番ゆっくりな人に言われたら、世話ないわ」
俺は出張報告書の様式に、今日の報告を書いた。
出張報告(下界4日目)
業務:串焼きの屋台の手伝い
成果:串が売り切れた(アカマダラがいたころ以来)
収入:串2本、銅貨3枚
所感:字が汚いのが、役に立ちました
報告書を鳩の筒に入れようとしたところで、物置の扉が勢いよく開いた。
「ここに、羽の小さい魔物がいるって聞いたんですけど!」
眼鏡に革の鞄、分厚い帳面を胸に抱えた若い女性が、目を輝かせて立っていた。
リーナだった。
下界出張、4日目。
図鑑の編纂係に見つかった。




