第30話 勇者は魔王を倒した
魔王の第二形態まで、あと1日。
納品は済んだ。済んだはずなのに、誰も帰れない。
女神様が私物の観覧雲から降りてこないからだ。
「第二形態、見るまで帰らないもん」
玉座の上で女神様は首まくらを抱えていた。第一課の30人と第七課の4人は、雲の端に立ったまま。椅子はない。私物なので。
「……1日、立ってるんですか」
「立っとるしかないな」
ヨルムさんが雲を吐いた。吐いた雲が女神様の雲に混ざって消えていく。私物の雲に私物の雲を足すのは、たぶん規程違反だった。
ミカさんが規程の本を開いて、該当の条文を探し始めた。探すのをやめさせるまでに、10分かかった。
*
下界では、魔王城の宿が生き返っていた。
魔王がサナギになったので、寝言が止まったのだ。5日ぶりの静かな夜。冒険者たちは泥のように眠った。ゴブリンの赤ん坊も背中ですやすや寝ている。ゴブリン本人も受付の机に突っ伏して寝ていた。
入口の札がまた裏返った。
『本日 満室』
神殿経由の祈りが段ボール箱に2箱届いた。
『女神様。魔王が倒されてから、よく眠れます。最高の宿に戻りました』
『女神様。魔王がサナギの間だけ泊まれる、と聞いて来ました。サナギの間、延長できませんか』
『めがみさま。ゴブリンのおにいさんが、ねています。よかったです』
最後の1枚は報告なのか、お礼なのか、判断に迷わなかった。お礼だった。
「……魔王がいない方が、宿は繁盛しますね」
「魔王城なのにな」
玉座の間では、勇者がサナギの前に座っていた。ハネマオウのときと同じように、隣に天幕を張っている。ハネマオウのときで慣れたのか、今回は傘も最初から用意してあった。
勇者の祈りは毎日届いた。
『さなぎ 動かない 待つ』
『宿 静か よく寝た』
『さなぎ まだ でも 待つ』
字は、今日も大きい。
*
天界の夜が更けていく。
女神様は玉座の上でうとうとしていた。首まくらがようやく本来の仕事をしている。
第一課の設計士たちは、立ったまま交代で寝ていた。第一課は立ち寝の部会まで作っていたらしい。立ち寝部会の3人の寝姿は、完璧にまっすぐだった。
課長は雲の端に腰を下ろしていた。舟の模型を膝に乗せて、下界の夜を見下ろしている。
俺は課長の隣に座った。
「課長」
「なんだい」
「……本番が終わったら、話すって」
「言ったね」
課長は舟の模型の窓を指でなでた。
「空欄のことだろう」
「はい」
「あれはね」
課長はそこまで言って、少し黙った。
「書き忘れじゃ、ないよ」
それだけだった。
課長はそれ以上は続けなかった。続けようとした口が途中で止まったように見えた。俺も続きをせかさなかった。前世の会社で言いにくいことを言おうとしている人をせかして、いいことがあった試しはない。
下界の夜空で星が1つ流れた。
「……第二形態のあとで、いいですよ」
「ありがとう。前例のない話だからね。順番に、話すよ」
課長の声はいつもの小さな声だった。
*
下界の7日目の朝。
サナギの殻に細い亀裂が走った。
女神様が玉座から跳ね起きる。首まくらがまた足元に落ちた。立ち寝部会の3人がまっすぐのまま目を覚ました。
殻の中から、濡れた羽が覗く。
夜空の色の羽だった。黒の中に青と紫の模様が揺れている。ハネマオウのときと同じ、第二形態部会の2ページ分の色。ただし、大きさが違う。広げた羽は玉座の間の天井に届きそうだった。
羽が乾く。
魔王の第二形態がゆっくりと宙に浮いた。
冒険者たちが息をのむ。第二形態部会の12人は、今回は泣かなかった。泣くのを我慢して、拳を握っている。1198ページ分の悔しさは、ハネマオウのときに全部泣いてしまったらしい。
勇者が、立ち上がった。
傘をたたんで天幕の脇に立てかける。剣を抜く。
今回は、手を振らなかった。
第二形態が羽を大きくはばたかせる。玉座の間に夜空色の風が吹き荒れた。冒険者の帽子が飛んでいく。ゴブリンが赤ん坊の上に覆いかぶさる。
勇者は風の中をまっすぐ進んだ。
羽の風が勇者の髪をかき回す。角のにおいが風に乗って勇者を襲う。勇者は息を止めたまま、一歩、また一歩。
そして、跳んだ。
剣が、第二形態の胸に届いた。
夜空の色の羽がゆっくりと閉じていく。第二形態はふわりと床に降りた。倒れるというより、そっと座り込むような降り方だった。
玉座の間が静まり返る。
第二形態の体が縮み始めた。
羽が縮む。角が縮む。大きな体がみるみる小さくなっていく。冒険者たちがざわめいた。
「消える……?」
「いや……縮んでる……」
縮んで、縮んで、縮んで。
玉座の前の床の上に小さな魔王がいた。
両手に乗るくらいの大きさ。黒くて、丸くて、頭に小さな角が2本。角の先はまだ丸い。背中の魔王っぽい模様も、ちゃんとついている。
小さな魔王は床の上で目を開けて、勇者を見上げた。
首は、傾げなかった。68単位分、まっすぐだった。
代わりに、小さな鳴き袋を、ぷう、と膨らませた。
「……ぷ」
それが、若返った魔王の最初の声だった。
*
観覧雲の上で女神様が両手で顔を覆っていた。
「……ちっちゃい」
声が震えている。
「ちっちゃくなった……!」
女神様は今週一番泣いていた。
第一課の30人も泣いていた。立ち寝部会も泣いていた。角部会は丸い角の先を見て泣いていた。ルシアさんはヨルムさんの腕をつかんだまま、泣くのを我慢している。
ヨルムさんは泣いていなかった。ただ、パイプを持つ手が止まったままだった。
「……倒されても、おる」
小さな声だった。
「倒されても、ちゃんと、おるわ」
ヴァルナの仕様書は、100年資材置き場の台の上にある。倒されて、それで終わった竜の仕様書。
今日の魔王は、倒されてそれでも床の上で「ぷ」と言っていた。
*
下界の玉座の間で勇者が剣を鞘に納めた。
しゃがんで、小さな魔王に両手を差し出す。小さな魔王は少し考えてから、勇者の手のひらによじ登った。
勇者は小さな魔王を胸に抱いて、立ち上がった。
冒険者たちが道をあける。
勇者が向かったのは宿の出口ではなかった。城の奥だった。
通路はまた変わっていた。勇者は迷わなかった。ゴブリンが赤ん坊を背負ったまま先に立って、道を案内している。
城の一番奥。ツカモリの女王の部屋の隣。一番暖かい部屋。
仕様書にヨルムさんとルシアさんが交互に書いた部屋だった。
部屋の真ん中に小さな揺りかごが置いてあった。ゴブリンが作ったらしい。中には、宿の毛布が敷いてある。勇者が試験のときにかけた、あの毛布だった。
勇者は小さな魔王を揺りかごに寝かせた。
小さな魔王は毛布の匂いをかいで、丸くなった。すぐに、寝息が聞こえてくる。
寝言は、まだ言わなかった。寝言を言うには小さすぎるらしい。
ゴブリンが揺りかごの横に座った。背中の赤ん坊と、揺りかごの魔王を交互に揺らし始める。子育て本能のゴブリンにとって、赤ん坊が2人に増えることは、たぶん困ることではなかった。
勇者はしばらく揺りかごを見ていた。
それから、討伐記録を開いた。
神殿経由で大きな字の祈りが届いた。
『魔王 倒した』
『ちっちゃくなった』
『連れて帰った 城に』
そして、最後に1行。
『大きくなったら また来る』
「……一生の仕事になりましたね」
「なったな」
ヨルムさんがようやくパイプをくわえた。
「倒すもの、見つけたんや。あの子」
勇者の仕様書の、空欄の欄。倒すもの。
勇者は、自分で書き込んだらしかった。大きな字で。
*
その日のうちに王国から神殿経由で手紙が届いた。
『神々へ 王国より』
『勇者レオン、魔王を討伐』
『勇者の本年の討伐実績、2件(魔王、イモムシ)』
『勇者制度は、存続とする』
『なお、魔王は大きくなったら、また出てくるとのこと。勇者の給金は、魔王の成長に合わせて払う』
「……イモムシも、実績に入ってますね」
「ハネマオウやな。体力1の」
「分割払いみたいな給金ですね」
「勇者も、ええ職場に就職したな」
ミカさんは魔王の生存査定の書類に判子を押していた。
生存査定(魔王)
繁殖:1件(本人)
根拠:第412条、用語の定義(誕生日が変わったため、別の世代とみなす)
判定:生存
「繁殖1件、本人、って書くの、初めてです」
「経理的には、ええんか」
「書いてあることしか信じません。書いてあります」
ミカさんの眼鏡が今日一番光っていた。
翌朝、冒険者ギルドの図鑑が改訂された。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第18版】
魔王
二つ名:自称・真の姿
危険度:★★★★★(育ったら)/☆☆☆☆☆(今は)
解説:北の果ての城に住む。勇者に倒されると小さくなり、城の奥で育ち直す。育つと、また勇者に倒される。寝言が大きいので、宿泊の際は耳栓を推奨する。
(編纂係注:何回倒されても、いなくならない。勇者様の一生のお仕事である)
「……二つ名、自称なんですね」
「5日間、真の姿を名乗り続けたからな」
真の姿を名乗って、変身しなかった魔王。リーナはちゃんと見ていたらしい。
*
夕方、女神様がようやく玉座から降りた。
「楽しかった! ワクワクした! 泣いた!」
女神様は全員の顔を順番に見た。第一課の30人。第七課の4人。最後に、俺。
「シラタマくん」
「真壁です」
「シラタマくんが作ったのは、倒されても、いなくならない魔王でしょ?」
「……はい」
「じゃあ、次は」
女神様はにっこり笑った。反論の余地がない笑顔だった。
「下界に行ってきて!」
観覧雲の上が静まり返った。
「……下界、ですか」
「現場視察! 自分の作った魔物、ちゃんと自分の目で見てきて! 水鏡ばっかりじゃだめだよ!」
女神様は俺の背中の羽を指さした。
「あ、でもその羽、飛べないんだっけ」
「予算の都合で、見送りになってます」
「じゃあ、歩いて行ってね!」
天界から下界まで何段あるのかは、誰も知らなかった。
「出張は、明日から! 期限は、私がワクワクするまで!」
光の中に女神様は消えていった。私物の観覧雲も一緒に消えた。
第一課の30人と第七課の4人は、急に足元がなくなった。
ルシアさんがとっさにヨルムさんの腕をつかむ。ヨルムさんがとっさに俺の襟をつかむ。俺は課長の舟の模型をつかんだ。ミカさんはそろばんをつかんでいた。そろばんは、何の役にも立たなかった。
全員そろって、下の雲の海に落ちた。
雲の海は柔らかかった。女神様が初めて第七課に来た日にも、俺は1回ここに落ちている。前例は、あった。
全員、自分の背中に羽があることを思い出したのは、落ちてからだった。俺の羽は思い出しても飛べない。
「……前例が」
雲の中から、課長の声がした。
「あったね」
課長は少しだけ嬉しそうだった。
雲まみれの顔でヨルムさんが俺を見た。
「新人。下界に行くんやったら」
「はい」
「あんたの設計した魔物、全部、あんたを知らんで」
ミズヨロイも、モフルも、アカマダラも、コタツバチも、カッコカリも、シラタマも、ソラヌイも、魔王も。
水鏡の向こうでしか、会ったことがなかった。
「……襲われますかね」
「だいたい、あんたの設計ミスやからな」
ヨルムさんは雲の中で笑っていた。
明日から、下界出張。
期限は、女神様がワクワクするまで。
(第3部 完)




