第29話 魔王、降臨
魔王の納品まで、あと3時間。
のはずだった。
土曜の夜。大会議室の窓に女神様の鳩がとまる。
『やっぱり今夜見たい! 下界の朝なら、いつでもいいよね!』
課の全員が紙を見つめたまま固まった。
「……下界の朝は、いつでも、とは」
ミカさんがそろばんをはじいた。
「下界の1日は、天界の3時間26分です。下界の朝は、天界の3時間26分ごとに1回来ます」
「次の下界の朝は」
ミカさんが水鏡を覗いた。下界は真夜中だった。
「40分後です」
大会議室が静まり返った。
締め切りまで3時間あったはずが、40分になった。女神様は嘘はついていない。下界の朝は、たしかに40分後に来る。
前世の社長も嘘はつかなかった。日曜の夜に「試食会は来週な」と言って、月曜の朝にやっただけだった。月曜は、たしかに来週だった。
魔王の納品まで、あと40分。
*
「40分で、誰かを困らせる仕様を考えないといけません」
「予算は、0単位です」
「0単位で、40分」
「前例が」
課長が小さな声で言いかけて、やめた。転生受付から戻ってから、課長はいつもより静かだ。舟の模型を膝に乗せたまま、ずっと水鏡を見ている。
「……課長」
「ああ、ごめんよ。前例は、ないね」
課長は小さく笑った。いつもの笑顔。ただ、少しだけいつもより薄い。
第一課の30人が次々に案を出し始めた。
「魔王が、村の畑を荒らす」
「傷つく人が出ます」
「魔王が、村の井戸を独り占めする」
「傷つかなくても、困りすぎます」
「魔王が、村人の靴を片方ずつ隠す」
「……地味に困りますね」
「でも、仕様を足すお金がないの」
ルシアさんが額を押さえた。
俺は水鏡を魔王城に合わせた。試験で出した魔王がどうしているか気になる。
水鏡の中の魔王城は静かだった。
静かすぎる。
宿の食堂に冒険者が1人もいない。玉座の間の行列も消えている。入口の看板の『本日 満室』の札は、裏返しになっていた。
『空室 あります』
「……宿、空いてますね」
「空いとるな。何があったんや」
玉座の上では、魔王が寝ていた。勇者がかけた毛布にくるまって、首も傾げずにすやすやと。
魔王の口から、寝言がこぼれる。
「……これが、私の、真の姿だ……むにゃ」
鳴き袋が膨らんだ。
城の壁が震えた。尖塔の先の湯気が声に押されて横に流れる。山びこが3回、遅れて帰ってきた。
「……ずっと、寝言を言ってますね」
「試験のときから、ずっと寝とるからな」
試験の魔王が寝落ちしたのは、土曜に日付が変わった夜中。天界ではまだ1日もたっていない。でも、下界では5日がたっている。
5日間、魔王は玉座で寝ていた。5日間、寝言を言い続けていた。鳴き袋つきで。
宿の客は5日間眠れなかった。
*
神殿経由の祈りが段ボール箱に3箱。件名は全部『魔王城の宿』である。
『女神様。北の宿、夜中に何度も真の姿を名乗られて眠れません。前は最高の宿でした』
『女神様。5日間ずっと真の姿を名乗っているのに、まだ変身しません。どれが真の姿なのか分かりません』
『女神様。玉座に座って願い事をしたかったのに、魔王が座ったまま寝ています。どいてくれません』
『めがみさま。ゴブリンのおにいさんが、ねむそうです』
最後の1枚は苦情なのか、ゴブリンの体調の報告なのか、判断に迷った。
水鏡の中でゴブリンが宿の食堂の隅に座っている。目の下には真っ黒な隈。背中では、ゴブリンの赤ん坊がぐずって泣いている。魔王の寝言で赤ん坊も眠れないのだ。
子育て本能のゴブリンにとって、それは一番困ることだった。
「……困ってますね」
俺は言った。
「宿のゴブリンが、困ってます。お客さんも困ってます」
ヨルムさんがゆっくりとパイプを口から離した。
「傷ついた人は、おらん」
「いません。みんな寝不足なだけです」
「予算は」
「0です。何も足してません。魔王が、自分で困らせてます」
大会議室の全員が水鏡に目を向けた。
玉座で寝ている魔王は、何も悪いことをしていない。自分の城の、自分の玉座で寝言を言いながら寝ているだけである。
それが、宿にとっては一番困ることだった。
「前世の会社で、一番みんなを困らせてた人を思い出しました」
「誰や」
「会議室を1日中予約して、中で寝てた部長です」
第一課の30人が全員、何かを思い出した顔をした。天界にもいるらしい。
「新人」
ヨルムさんが俺の手の甲に赤ペンを走らせる。
『試験のつもりが、そのまま本番や』
前世の試食会の朝は、試作品が工場から届かず、本番に間に合わなかった。今日は逆だ。試作品の方が本番より先に会場に着いて、しかも寝ている。
「……今日は、間に合いましたね」
「間に合いすぎや」
*
40分後。
北の果ての荒れ地の上空に、見たことのない雲が浮かんでいた。
金色の雲。上には、玉座が1つ。それだけ。
『女神専用観覧雲(私物)』
と、札がかかっている。
「……私物、あるんですね」
「女神様やからな」
玉座の上で女神様が足をぶらぶらさせている。肩には絹のショール。手にはなぜか首まくら。宿のゴブリンから、鳩で取り寄せたらしい。
第一課と第七課は女神様の雲の端に並んで立たされていた。椅子はない。私物の雲なので席は1つだけなのだ。
「おまたせー! 本番、始めよっか!」
「女神様、実は」
ルシアさんが一歩前に出た。
「魔王は、もう下界におります。試験で出した魔王が、そのまま本番の魔王です」
「そうなの?」
「はい。今は、玉座で寝ております」
女神様が雲の縁から下界を覗き込んだ。
「……ほんとだ。寝てる。かわいい」
「宿の皆さんは、困っております」
「かわいいのに?」
「かわいいのに、です」
女神様は首を23度傾げた。女神様にもその機能があるらしい。
*
下界の夜が明けようとしている。
宿の2階の、一番奥の部屋。勇者レオンは起きていた。眠れないのは勇者も同じらしい。窓辺に座って、討伐記録を開いている。
部屋の扉が小さく叩かれた。
勇者が扉を開けた。
立っていたのは宿の番をしている、あのゴブリンだ。背中にはぐずる赤ん坊。目の下には真っ黒な隈。
ゴブリンは勇者に向かって、深く頭を下げた。
言葉はない。ゴブリンは、しゃべれない。
ただ、玉座の間の方を指さす。それから、背中の赤ん坊をそっと揺すった。
勇者はしばらくゴブリンを見ていた。
それから部屋に戻り、壁に立てかけてあった剣を取る。
観覧雲の上が静まり返った。
「……剣を、取りました」
「取ったな」
ヨルムさんの声が少しだけ震えていた。
「誰かが、困っとる。あの子が剣を抜く理由は、それだけで足りるんや」
同じことを前にも聞いた。コタツバチのとき。俺の設計した魔物が倒された日だ。
今日は、倒されてほしい魔物だった。
*
勇者は迷路を進んだ。
通路は前の晩に変わっていた。それでも、勇者は地図を描かない。魔王の寝言の方へまっすぐ歩いていく。真の姿だ、と聞こえる方へ。
寝言は道案内として優秀だった。
宿の冒険者たちが寝不足の顔で部屋から出てきた。勇者の後ろに1人、また1人と並ぶ。誰も何も言わない。ついていくしかない、という顔だった。
玉座の間の扉の前には、四天王が並んでいた。
モフル。アカマダラ。コタツバチの群れ。カッコカリは床の土から顔だけ出している。ミズヨロイは堀から出られないので欠席だ。
四天王が勇者の前で道をふさいだ。
観覧雲の上で第一課の元四天王部会が息をのんだ。
「四天王が、戦う……!」
モフルが勇者を見上げて、首を傾げる。
勇者はしゃがんでモフルの頭を撫でた。
「……ごめん。通して」
起きている勇者の声を、天界の誰もが初めて聞いた。寝言の「あと5分」とは違う、低くも高くもない、まっすぐな声だった。
モフルが首を戻して、道をあける。アカマダラもコタツバチも、カッコカリもそれに続いた。
「……四天王、通しましたね」
「通したな」
「戦わへんかったな、四天王」
元四天王部会の設計士たちが、静かに泣いていた。四天王の最弱は今日も決まらなかった。
勇者が玉座の間の扉を開けた。
*
玉座の上で魔王が寝ている。
勇者は玉座の前まで歩いて、剣を抜いた。
それから、左手で魔王の肩を揺する。
魔王が、目を開けた。
大きな黒い体が、玉座から立ち上がる。肩から、毛布が落ちた。
勇者は落ちた毛布を拾って、玉座の背もたれにかける。
「……拾いましたね」
「拾うんや、あの子は」
魔王が勇者を見下ろす。首は、傾げない。68単位で切り分けた首である。
ミカさんがそろばんを胸に抱きしめた。
「……傾げません」
「ミカさんの端数が、効いてます」
魔王が鳴き袋を膨らませる。膨らませる。まだ膨らませる。
寝言ではない。起きている魔王の声だ。言葉にはならない、低く大きな声が玉座の間を揺らした。
冒険者たちが耳をふさいだ。ゴブリンの赤ん坊が泣きやんだ。あまりに大きな声でびっくりしたらしい。
勇者は、剣を構えた。
魔王が頭の角を出す。においが広がる。
勇者は、息を止めた。
観覧雲の上で女神様が玉座から立ち上がった。首まくらが足元に落ちる。
下界の窓の外で朝日が昇り始めた。
勇者と魔王が、ぶつかった。
*
戦いは、長かった。
魔王の体は大きく、勇者の剣は速い。魔王の角がにおいを出すたびに、勇者は息を止めて間合いを取る。勇者の剣が届くたびに、魔王は鳴き袋を膨らませて勇者を押し返す。
冒険者たちは声も出さずに見ている。
観覧雲の上でも誰も口をきかない。角部会の3人は、角が使われるたびに拳を握った。低音部会の6人は、声が響くたびに目を閉じる。第一課の30人も第七課の4人も、女神様もただ見ていた。
前世で試食会の会場の隅から、社長が試作品を口に運ぶのを見ていたことがある。あのときの感じに少しだけ似ている。
自分の作ったものが自分の手を離れて、誰かの前にある。
ただ、今日は、誰の顔色もうかがっていない。
ゴブリンが、背中の赤ん坊を揺すりながら見守っている。
勇者が踏み込んだ。
剣が、魔王の胸に届いた。
魔王の大きな体がゆっくりと傾く。玉座の前に膝をつき、それから、床に倒れた。
玉座の間が、静まり返った。
勇者は剣を下ろして、倒れた魔王を見つめている。
魔王の体がみるみる硬くなっていく。緑がかった茶色の殻が、大きな体を包んでいった。
サナギになった。
冒険者たちがどっと歓声を上げた。
「倒した……!」
「勇者様が、魔王を倒した……!」
観覧雲の上でも第一課の30人が抱き合っていた。ルシアさんはヨルムさんの腕をつかんでいる。ミカさんはそろばんを掲げていた。課長は舟の模型を胸に抱いていた。
女神様が両手を握りしめたまま、言った。
「……わあ」
それから、少しだけ首を傾げた。
「で、第二形態は?」
ミカさんがそろばんを下ろした。
「……サナギの期間は、下界の1週間です」
「1週間」
「天界では、1日です」
女神様の足がぶらぶらと揺れ始めた。
勇者は、サナギの前にしゃがんだ。剣を置いて、討伐記録を開く。
神殿経由で大きな字の祈りが届いた。
『魔王 倒した さなぎ なった』
『待つ』
魔王の納品まで、あと0分。
魔王は、サナギの中で第二形態を組み立てている。




