第28話 勇者の仕様書
魔王の納品まで、あと13時間42分。
土曜の朝、生物設計局の全部の課に、同じ問い合わせが回った。
『勇者の仕様書を、お持ちの課はありませんか 第一課・第七課』
30分で全部の課から返事が来た。
第二課からはこうだった。
『当課は天気の課です。勇者の予報は出していません』
第三課からはこうだった。
『当課に勇者の資料はありません。ただ、勇者に見逃された魔物が、最近うちの森にも増えています。第七課さんの影響でしょうか』
第四課からは、ゴブリンの仕様書の写しが1枚だけ届いた。
『勇者の資料はありませんが、ゴブリンの育休の件、うちでも検討中です。参考までに』
第五課と第六課からは、返事の代わりに「前例がありません」と書いた紙が届いた。
窓際で課長がその紙を大事そうに引き出しにしまった。
「課長、それ、集めてるんですか」
「他の課の『前例がない』は、珍しいんだよ」
課長の引き出しは、要望書と「前例がない」で、そろそろ本当に閉まらなくなっていた。
*
「営繕課は」
「3000年待ちです」
「資材置き場は」
「ない。全部、見た」
「第一課の前例集は」
「ないわ。1万2千ページ、30人で2回見たの」
大会議室の机の上に30人分のため息が積もっていた。
勇者の仕様書は生物設計局のどこにもなかった。
「勇者は、魔物じゃないからな」
ヨルムさんが雲を吐いた。
「生物設計局が作るのは、魔物と動物や。人間は、うちの局の管轄やない」
「じゃあ、人間はどこが作ってるんですか」
大会議室の全員が顔を見合わせた。
誰も知らなかった。
天界で何百年も働いている天使たちが、人間を作っている部署を知らなかった。前世の会社にもあった。社内の誰も給料を振り込んでいる部署の場所を知らなかった。
俺はふと思い出した。
天界に来た日のことだった。白い役所。行列。番号札。窓口の横の掲示板。
『転生先 待ち時間のご案内』
勇者枠 3000年
「……転生受付です」
「転生受付?」
「俺が天界に来た日、転生受付の掲示板に『勇者枠』っていうのがあったんです。3000年待ちでした。勇者は、転生で作られるんじゃないでしょうか」
大会議室が静まり返った。
窓際で課長がゆっくりと舟の模型を置いた。
「……転生受付なら、私も行こう」
「課長も?」
「昔、よく通ったんだよ」
課長はそれだけ言って、礼服の上着を羽織った。どこに行くにも礼服だった。
*
転生受付は相変わらず白かった。
床も壁も天井も白く、長いカウンターの向こうで、背中に羽の生えた職員たちが無表情で判子を押し続けていた。
入口の機械から、番号札が出てきた。
『転生受付 98132番』
電光掲示板には「ただいまの受付:98090番」と出ていた。
「……並ぶんですか」
「並ぶ。死んだ人も、生きとる天使も、ここでは平等や」
俺たちは6人で長椅子に並んで座った。ヨルムさんと、ルシアさんと、ミカさんと、課長と、第一課の若手と、俺だった。若手は首まくらを持ってきていた。
ルシアさんは、番号札を両手で持って、しげしげと眺めていた。
「これ、どうやって使うの」
「番号が呼ばれるまで、待つんです」
「待つ……」
第一課は、並んだことがないらしい。第一課の用事は、いつも向こうから来るのだった。
「私の前に、42人いるわ」
「42人が終わったら、ルシアさんの番です」
「……42人を、飛ばす方法は」
「ありません」
ルシアさんは、生まれて初めて待つ人の顔になった。10分後には、若手の首まくらを借りて、背筋を伸ばしたまま待っていた。第一課の課長は、待つ姿勢まで完璧だった。
窓口の横の掲示板は少しだけ変わっていた。
『転生先 待ち時間のご案内』
勇者枠 3000年
聖女枠 5000年
悪役令嬢枠 受付停止中(希望者多数のため)
スローライフ枠 8000年(のんびり待てる方向け)
魔王城の宿・従業員枠 新設(ゴブリンと一緒に働ける方)
「……宿の求人が出てますね」
「ゴブリン、天界にまで手を回しとる」
「魔王枠は、ないんですね」
「魔王に転生したい人は、おらんのやろ」
ヨルムさんがパイプをくわえようとして、受付の職員に「禁煙です」と言われた。雲も禁止だった。
40分後、窓口に呼ばれた。
窓口の天使はあの日と同じ人だった。何の感情もこもっていない顔で、俺を見た。
「4721番の方ですね」
「……覚えてるんですか」
「第七課の。字の汚い」
俺の字の評判は転生受付にまで届いていた。ヨルムさんが横でそっぽを向いていた。
*
「勇者レオンの、転生体仕様書を見せていただけますか」
ルシアさんが言った。第一課の課長の、改まった声だった。
窓口の天使は少しだけ眉を動かした。
「勇者の仕様書は、閲覧制限がかかっています」
「どなたの許可が要りますか」
「決裁した方のうち、1人の許可です」
「決裁した方は」
窓口の天使は分厚い台帳をめくって、1か所で指を止めた。それから、顔を上げた。
俺たちではなく、俺たちの後ろを見ていた。
課長が立っていた。
「……私が、許可するよ」
課長の声はいつもの小さな声だった。
窓口の天使は黙って頷き、1枚の用紙を差し出した。
『閲覧申請書』
俺が記入した。
閲覧の目的:勇者が、魔王と戦ってくれないため
窓口の天使は、用紙を一目見て突き返した。
「字が読めません」
ルシアさんが、金のペンで書き直した。窓口の天使は、今度は黙って受け取った。
窓口の天使は、奥の棚から1枚の紙を持ってきた。写しだった。
【転生体仕様書】
名前:レオン
種別:人間(勇者枠)
剣の腕:規格外
魔法:規格外
体力:規格外
性格:まっすぐ
字:大きい
倒すもの:
備考:
俺はその紙を3回読んだ。
「倒すもの」の欄が、空欄だった。
空欄のまま、決裁印が5つ押されていた。
「……知能:空欄、と同じですね」
天界に来た最初の日、俺が最初に見た仕様書は、知能の欄が空欄のスライムだった。5人の上司が「まあ、スライムだし」で通した空欄だった。
「スライムは、知能が空欄やったから、焚き火に飛び込んだ」
ヨルムさんが言った。
「勇者は、倒すものが空欄やから」
「……何を倒せばいいか、自分で決めてるんですね」
モフルは倒さなかった。シラタマは守った。コタツバチは、木こりが困っていたから、倒した。ハネマオウは体力1で、つついただけで倒れた。魔王には毛布をかけた。
勇者はいつも自分で決めていた。倒すかどうかを1匹ずつ。
「あの子が剣を抜く理由は、誰かが困っとることや」
ヨルムさんが紙を指でなぞった。
「前にも、そう言うたな。コタツバチのとき」
「……言ってました」
「仕様書に書いてなかったから、あの子は自分で見つけたんや。倒すものを」
字:大きい。
その1行だけは、なぜか誰かがちゃんと書いていた。
俺の仕様書より、よほど読みやすい1行だった。窓口の天使が、なぜか俺の方を見ていた。
*
ミカさんが紙の一番下の決裁印を順番に指でなぞっていた。
1つ目。2つ目。3つ目。4つ目。
5つ目で指が止まった。
小さな印だった。丸でも四角でもなかった。細長くて、両端が少し反り返っていた。
舟の形だった。
ミカさんはゆっくりと顔を上げた。
第七課の課長印も舟の形をしていた。木曜に魔王の仕様書に押した印だった。ミカさんは第七課の書類に毎日押されるその印を、誰よりも多く見ていた。
「……課長」
課長は窓口のカウンターに片手をついていた。舟の模型は持っていなかった。第七課に置いてきたらしかった。
「課長が、勇者を」
「昔の話だよ」
課長は小さく笑った。
「空欄にしたのは、わざとかって、聞きたいんだろう」
誰も答えなかった。聞きたかった。全員が聞きたかった。
「……それは、前例がない話だからね」
課長は窓口の天使に紙を返した。
「本番が終わったら、話すよ。今は、魔王の方が先だ」
課長はそれだけ言って、1人で転生受付を出ていった。背中がいつもより少しだけ小さく見えた。
窓口の天使が、閉まった扉を見ながら、ぽつりと言った。
「あの方、昔は、この建物の一番上の階にいらしたんですよ」
「一番上?」
「私が新人のころの話です。次の方、どうぞ」
窓口の天使は、もう次の番号札の人を呼んでいた。
ルシアさんが俺の袖を小さく引いた。
「……第七課の課長って、何者なの」
「前例がない、が口癖の人です」
「それは知ってるわ」
「あとは、舟に動物を積んだことがある人です」
「それも知ってるわ」
俺もそれ以上は知らなかった。
ただ、1つだけ思い出したことがあった。
天界に来た最初の日。知能の欄が空欄のまま決裁された、スライムの仕様書。あの仕様書の設計者の欄にも、課長の名前が書いてあった。
課長は、空欄を2つ残していた。
スライムの知能と、勇者の倒すもの。
*
大会議室に戻ると、机の上に女神様の鳩がとまっていた。
『本番、明日の朝ね! 下界の朝日の中で見たい!』
締め切りは今夜だった。女神様は、朝日の方が大事らしかった。
『勇者くんが魔王と戦うとこ、楽しみ!』
大会議室が静まり返った。
勇者が剣を抜くのは、誰かが困っているとき。
今の魔王は誰も困らせていなかった。宿の行列にちゃんと並び、においで冒険者を追い払い、寝言で真の姿を名乗って、毛布をかけてもらって寝ている。困っているのは玉座の順番待ちの冒険者くらいだった。
「魔王に、誰かを困らせる仕様を足さないと、勇者は戦いません」
「でも、本当に誰かを傷つける魔王は、作りたくないわ」
ルシアさんが言った。
「うちも、それは嫌や」
「俺もです」
困らせるけど、誰も傷つかない。
前世の俺の商品は誰も困らせなかった。ただ、誰も買わなかった。困らせずに人を動かすのは、それくらい難しい。
「仕様を足すなら、予算は」
全員がミカさんを見た。
ミカさんはそろばんを1つだけ、机に置いた。
「0単位です」
そろばんの玉は、全部端に寄っていた。
大会議室が静まり返った。第一課の30人が、0という数字を前にして途方に暮れていた。第一課の設計士たちは、0単位で仕事をしたことがなかった。
ヨルムさんだけが、少しだけ楽しそうに雲を吐いた。
「0なら、第七課の得意分野や」
「得意なんですか」
「慣れとるだけや。あんたが来てから、第七課の予算は、だいたいずっと0みたいなもんやったやろ」
言われてみれば、そうだった。第七課の予算は、いつも使う前から端数だった。
魔王の納品まで、あと12時間。本番は下界の朝日の中。
予算は0で、勇者の倒すものは空欄で、課長の話は本番のあとだった。




