第27話 試験魔王
魔王の納品まで、あと1日と13時間42分。
金曜の朝、ミカさんは机の上にそろばんを2つ並べていた。
「ミカさん、なんで2つなんですか」
「1400単位を払うからです」
ミカさんは右のそろばんで「400」をはじき、左のそろばんで「1」をはじいた。
「私のそろばんは3桁です。4桁の数字は、2つ並べないとはじけません」
「左のそろばん、1しか使ってないですね」
「1のために、そろばんを1つ使いました」
ミカさんは誇らしげだった。第七課のそろばんが生まれて初めて2つ同時に働いた朝だった。
試験リリースの前に実装の書類を確認することになった。
魔王の体はいろいろな魔物の器官を流用して組み立てる。第203条のおかげで設計費はかからない。かかるのは実装費だけだった。
部品の一覧が机に広げられた。
魔王(試験版)部品一覧
角:ハネマオウ(試作)より流用。においつき
鳴き袋:ナキマオウ(試作)より流用
寝言器官:蒼天竜ヴァルナ・改より流用
サナギになる器官:ハネマオウ(試作)より流用
若返りの器官:新規(ベニクラゲを参考)
「全部そろってますね」
試作品のナキマオウは、鳴き袋と寝言を魔王に譲って、ただのカエルに戻ることになった。堀は、久しぶりに静かになる。
「……待ってください」
ミカさんが一覧の一番下の小さな字を指でなぞった。
注:寝言器官は、首から上の一式で流用されます(第203条の注釈による。切り分けは別料金)
「一式」
「首から上の、一式です」
ルシアさんが第一課から竜の仕様書の該当ページを持ってきた。首から上の一式にはこう書いてあった。
寝言:古代語と現代語を1日おきに交互
くしゃみ:あり(かっこよく)
あくび:3種類(かっこよく、とても、かっこよく)
首の角度:勇者を見たら、23度傾げる(勇者対策部会)
大会議室が静まり返った。
「……首傾げ、入ってますね」
「入っとるな」
ヨルムさんが雲を吐いた。
「コンペの日、竜と勇者がどうなったか、覚えとるやろ」
「にらめっこになりました」
「魔王と勇者も、にらめっこになるで」
ミカさんがそろばんをはじいた。
「首傾げの機能だけを切り分けるのは、68単位です」
「残りの予算は」
「68単位です」
ミカさんはそろばんを胸に抱いた。
「端数が、なくなります」
ミカさんの目が潤んでいた。昨日「経理の夢です」と言った端数だった。
「……試験ですから」
ミカさんが小さな声で言った。
「試験で、首を傾げるかどうか、確かめてからでも、遅くないと思います」
ルシアさんが頷いた。
「勇者対策部会の機能よ。勇者との戦いで、何かの役に立つかもしれないわ」
「役に立ったこと、あったか」
ヨルムさんの問いに勇者対策部会の3人は首を傾げた。23度だった。
ヨルムさんは赤ペンで一覧の余白に書いた。
『知らんで』
ミカさんの端数はひとまず守られた。
*
昼前、魔王を下界に出した。
水鏡の中で魔王城の一番奥の部屋が光った。ツカモリの女王の部屋の隣、若返り用に空けてある一番暖かい部屋だった。
光の中から、魔王が現れた。
大きな黒い体。背中に魔王っぽい模様。頭には角が2本。のどの下にはたたんだ鳴き袋。
かっこよかった。
大会議室の全員が息をのんだ。角部会の3人が手を取り合っていた。低音部会の6人が静かに拳を握っていた。ついに、本物の魔王が下界に立った。
魔王はゆっくりと首を回した。それから、玉座の方へ歩き出した。
玉座の間の入口にゴブリンが立っていた。
ゴブリンは黙って、『順番です』と書かれた札を指さした。
ゴブリンは木札を1枚差し出した。
『58番』
玉座に座ると願いが叶う。噂を聞いた冒険者の行列が、玉座の間の外まで続いていた。魔王は木札を受け取った。
そして、行列の最後尾に並んだ。
「……並びましたね」
「並んだな」
「自分の玉座ですよね」
「宿の決まりや」
魔王の前に並んでいた冒険者が、振り返った。魔王を見上げて、しばらく固まった。
「……魔王様も、願い事ですか」
魔王は首を23度傾げた。冒険者も首を傾げ返した。2人は並んだまま、首を傾げていた。行列の前の方から順番に、首を傾げる人が増えていった。
あとで分かったことだが、57番の冒険者の願い事は「魔王に会えますように」だった。座る前に叶っていた。
下界の2日目の夕方、58番の札が呼ばれた。
魔王はついに自分の玉座に座った。
玉座の背もたれは高かった。玉座部会の要望どおりだった。魔王の頭が背もたれの上からぎりぎり見えた。
*
玉座の間に冒険者が押し寄せた。
「魔王が座った!」
「本物の魔王だ!」
「角がある!」
冒険者が近づくと、魔王は角を出した。においが出た。玉座の間から、冒険者が一斉に逃げ出した。脅威が作動していた。
ゴブリンが玉座の間の入口に新しい札を立てた。
『魔王様 ご在室中 においにご注意ください』
ゴブリンの札はいつも的確だった。
その夜、宿の食堂で冒険者たちが語り合った。
「ついに、魔王が玉座に座った」
「勇者様は、来るだろうか」
「来るさ。勇者様は、ずっと待ってたんだ」
勇者は宿の2階の部屋に泊まっていた。
*
翌朝、勇者レオンが玉座の間に向かった。
通路は前の晩に変わっていた。勇者の描いた5枚の地図は、どれも役に立たなかった。勇者は6枚目の地図を描きながら、迷路を進んだ。
昼過ぎに勇者は玉座の間の扉の前に立った。
大会議室の全員が水鏡の前に集まっていた。窓には、女神様の鳩が3羽とまっていた。女神様は3羽分の目で見ているらしかった。
勇者が扉を開けた。
玉座の上に、魔王がいた。
勇者は、剣を抜いた。
大会議室がどよめいた。
「抜いた……!」
「勇者が、剣を抜きました……!」
勇者が魔物の前で剣を抜くのは、モフルのとき以来だった。あのときの剣は首を傾げられて止まった。竜の前でもハネマオウの前でも、勇者の剣は鞘から出なかった。
今日の勇者は、違った。
魔王が、玉座から立ち上がった。
鳴き袋を膨らませた。膨らませた。まだ膨らませた。
「……グルォ」
金曜だった。古代語の日だった。
玉座の間の壁が震えた。声は城を抜けて、3つの山を越えた。山びこが3回、遅れて帰ってきた。宿の冒険者たちが、食堂で一斉に立ち上がった。
低音部会の6人が泣いていた。
勇者は一歩踏み出した。
魔王も一歩踏み出した。
そして、魔王は首を23度傾げた。
「あ」
大会議室の全員が同時に言った。
勇者も首を23度傾げた。
2人は玉座の間の真ん中で、剣と角を構えたまま、首を傾げて見つめ合った。
*
1時間が過ぎた。
勇者と魔王は動かなかった。
宿の冒険者たちが玉座の間の入口から覗いていた。においは、もう気にしていなかった。
「……何してるんだ、あれ」
「戦ってるんだろう」
「首を、傾げてるだけに見えるが」
「首で、戦ってるんだろう」
冒険者たちも首を傾げた。入口から覗く全員が23度になった。
モフルが玉座の間に転がってきた。勇者と魔王を見上げて、首を傾げた。四天王と魔王と勇者と冒険者が、全員同じ角度になっていた。
ゴブリンが首用の小さな枕を売り始めた。
『首がお疲れの方に 首まくら 銅貨2枚』
よく売れていた。
天界では、3時間が過ぎていた。女神様の鳩が窓を叩いた。
『まだー?』
ルシアさんが返事を書いた。
『首を傾げています。 第一課・第七課』
鳩はすぐに戻ってきた。
『かわいい! でも戦って!』
勇者対策部会の3人が、机の下に隠れていた。
*
天界の時計が夜の12時を指した。
土曜日になった。
下界の玉座の間では、勇者と魔王がまだ首を傾げていた。冒険者の半分は首まくらをしたまま寝ていた。
魔王の目がとろんとしてきた。長いにらめっこで眠くなってきたらしい。まぶたが半分閉じた。
魔王の口から、寝言がこぼれた。
「……これが、私の、真の姿だ……むにゃ」
土曜だった。現代語の日だった。
勇者がはっと身構えた。
冒険者たちが跳ね起きた。
「真の姿だ……!」
「変身するぞ……!」
「第二形態だ……!」
玉座の間の全員が息をのんで魔王を見つめた。
魔王は首を傾げたまま、すやすやと寝ていた。
変身は、しなかった。倒されていないのでサナギになる理由がなかった。
勇者は剣を構えたまま、魔王が変身するのを待っていた。1時間待った。2時間待った。
魔王は寝ていた。ときどき「むにゃ」と言った。
勇者の首が23度から24度になった。混乱が1度分、深くなったらしかった。
「……真の姿、出てきませんね」
「出てくるわけない。寝言や」
ヨルムさんが額を押さえた。
「真の姿を名乗って、寝とる。魔王の中で、一番ようない名乗り方や」
*
下界の夜が明けた。
勇者はゆっくりと剣を下ろした。寝ている魔王の前でしばらく立っていた。
それから、剣を鞘に納めた。
勇者は玉座の脇にあったゴブリンの毛布を1枚取って、寝ている魔王の肩にかけた。
大会議室が静まり返った。
勇者は魔王に一礼して、玉座の間を出ていった。冒険者たちが道を開けた。誰も何も言わなかった。
神殿経由で祈りが届いた。いつもの、大きな字だった。
『魔王 首 傾げた 寝た 戦えない』
もう1枚あった。
『毛布 かけた 風邪 ひかないように』
「……勇者、魔王の体調を気にしてますね」
「倒しに来たんやなかったんか」
「倒しに来たんだと思います。たぶん」
女神様の鳩が来た。
『かわいかった! 毛布のとこ泣いた!』
女神様は今週もよく泣いていた。
『でも、戦ってない! 本番は、ちゃんと戦うとこ見せてね!』
大会議室が静まり返った。
ミカさんがそろばんを胸に抱いたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「首傾げの機能を、切り分けます」
「ミカさん」
「68単位です」
ミカさんはそろばんを1つだけはじいた。
「残りは、0単位です」
ミカさんの端数は、首1本分の角度に消えた。
ミカさんは特大の合議印を押した。押す楽しさも押さない楽しさも、なかった。ただ、少しだけ手が震えていた。ルシアさんが隣で第一課の合議印をそっと重ねて押した。
*
土曜の朝、ヨルムさんが水鏡を覗きながら言った。
「首傾げを取っても、あの勇者は戦わん気がするわ」
「……俺も、そう思います」
モフルのとき、勇者は首を傾げて見逃した。アカマダラは茂みに戻した。シラタマは守った。ソラヌイは枝に戻した。竜とはにらめっこした。ハネマオウは1週間待った。
そして、魔王には毛布をかけた。
首を傾げる機能のせいだけではない。あの勇者には、倒さない理由が何かある。
「勇者が、なんで戦わへんのか」
ヨルムさんはパイプの持ち手の絹を指でなでた。
「知らんと、本番も同じことになる」
「勇者の仕様書を見れば、分かりますかね」
俺は何気なく言った。
大会議室が静まり返った。
第一課の30人が顔を見合わせた。ルシアさんもヨルムさんも、ミカさんも黙っていた。
「……勇者の仕様書」
ルシアさんが呟いた。
「第一課の前例集にも、なかったわ。見たことがない」
「うちの資材置き場にも、ない」
「経理の記録にも、ありません」
勇者は生き物だった。下界の生き物は、全部どこかの課が設計している。スライムもゴブリンも、竜もミジンコも。
なら、勇者は、どの課が設計したのか。
窓際で課長が舟の模型を磨いていた。
磨く手が、止まっていた。
魔王の納品まで、あと13時間42分。
試験で下界に出た魔王は、勇者にかけてもらった毛布にくるまって、玉座でまだ寝ていた。




