第26話 倒されても
魔王の納品まで、あと13時間42分。
木曜の朝、ミカさんは大会議室の机の下にいた。
「ミカさん、何してるんですか」
「数えています」
机の下から、そろばんの音がした。
「何度数えても、13時間42分です。『1日』の方が、なくなりました」
昨日の夜の「あと1日」は、寝て起きたら「あと13時間」になっていた。締め切りというのは寝ているあいだにも減る。前世の俺もこれを毎月学び直していた。
水鏡の中の下界では、ナキマオウが木曜の寝言を言っていた。
「……これが、私の、真の姿だ……むにゃ」
声は3つの山を越えて、王都まで届いていた。
王都の人々はもう二度寝はしなかった。代わりに朝起きるたびに伸びをして、同じことを言うようになっていた。
「これが、私の真の姿だ……むにゃ」
パン屋が言った。兵士が言った。国王も言った。寝癖のついた頭であくびをしながら言うのが、王都の新しい朝の挨拶になっていた。
「……魔王の決め台詞が、朝の挨拶になりましたね」
「真の姿が、寝癖やったんやな」
ヨルムさんが雲を吐いた。
低音部会の6人は机に突っ伏していた。
*
13時間42分で本物の魔王の仕様書を書かなければならなかった。
城はある。四天王は5人いる。第二形態の試作はチョウになった。声は、書き換えたので、もう毎日かっこいい。
足りないのは仕様書の3行目だけだった。
条件:倒されても、いなくならないこと
「案を出しましょう」
ルシアさんが言った。第一課の部会はほとんど解散していた。四天王部会も第二形態部会も、声部会もここ数日で役目を終えていた。残った設計士たちが1つの机に集まっていた。
「倒されない魔王にする」
「勇者の仕事がなくなります」
「倒されたら、予備の魔王が出てくる。予備を100体用意しておく」
「魔王が100体いたら、それはもう魔王軍や」
「倒されたら、実は影武者だったことにする」
「影武者の魔王を、誰が作るんですか」
「影武者部会を」
「却下よ」
ルシアさんが即答した。影武者部会は、影も形もないまま消えた。
「倒されたら、負けを認めない魔王にする」
「勇者が困ります」
「倒されたら、勇者を説得して、引き分けにする」
「前世の会社の、取引先との交渉みたいですね」
「どうなったの、それ」
「うちが全部持ち帰って、検討しました。検討は、まだ終わっていません」
大会議室の全員が、なぜか俺に同情する顔をした。
「倒されたら、蘇る呪文を入れる」
ミカさんが机の下から顔を出した。
「蘇生の器官は、3000単位です」
「予算は」
「1468単位です」
ミカさんは眼鏡を押し上げた。
「城、四天王、試作品2つ、寝言の書き換えで、ここまで減りました。寝言の『むにゃ』の分も入っています」
「むにゃは、いくらしたんですか」
「100単位です。900単位のうちの、100単位です」
寝言部会の2人がそっと目を逸らした。
*
倒されても、いなくならない生き物。
死なない生き物は、いない。
ただ、1つだけ、前世で聞いたことがあった。
水族館だった。商品企画部の研修でなぜか水族館の売店の売れ筋を調べに行かされた日があった。売店の一番の売れ筋は、クラゲのぬいぐるみだった。その隣の小さな水槽に、爪の先ほどの赤いクラゲが浮いていた。
水槽の札には、「不老不死のクラゲ」と書いてあった。
「……ベニクラゲです」
課の全員がこっちを見た。
「小さなクラゲなんですけど、弱ったり、傷ついたりすると、死なないで、若返るんです」
「若返る?」
「体が縮んで、赤ちゃんのころの姿に戻るんです。そこから、もう一度育つ。それを何回でも繰り返せるらしいです」
大会議室が静まり返った。
「……何回でも」
「何回でも」
ルシアさんがゆっくりと身を乗り出した。
「倒されたら、小さくなる。小さくなって、また育つ」
「はい。勇者に倒されたら、赤ちゃんに戻って、城の奥で育ち直す。何年かして大きくなったら、また魔王として出てくる」
「そしたら、また勇者に倒される」
「倒されて、また若返ります」
ヨルムさんがパイプを口から離した。
「……勇者の仕事が、ずっとある」
「はい」
「倒されても、いなくならへん」
「はい」
ヨルムさんはそれ以上は何も言わなかった。
*
ミカさんが規程の本を抱えて机の上に上がってきた。
「確認します。第412条」
ミカさんの声が少しだけ硬かった。
「生存とは、下界において、種として繁殖を継続していること」
「……若返りって、繁殖なんですか」
大会議室が再び静まり返った。
若返ったのは同じ1体だ。新しい個体が生まれたわけではない。子供を産んだわけでもない。
ミカさんは規程の本の最後の方、用語の定義のページを開いた。細かい字を指で1行ずつなぞった。
「……世代」
ミカさんの指が止まった。
「世代とは、誕生日が同じ個体の集まりをいう」
「誕生日」
「若返った魔王は、若返った日に、もう一度生まれ直します。誕生日が、変わります」
ミカさんは顔を上げた。眼鏡が光っていた。
「誕生日が変われば、別の世代です。前の世代の魔王が、次の世代の魔王を残した。規程上は、繁殖です」
「……本人が、本人の次の世代なんですか」
「規程上は、そうなります」
ミカさんはきっぱりと言った。
「経理は、書いてあることしか信じません」
窓際で課長が舟の模型を撫でていた。
「前例が、あるよ」
全員が課長を見た。課長が「前例がある」と言ったのは、たぶん天界の歴史上初めてだった。
「舟に乗ったウサギのつがいがね。降りるとき、3匹になっていた」
「……それは、ただの繁殖です」
「3匹目は、舟の上で生まれた子でね。舟で生まれた日が、1回目の誕生日。それから、陸に降りた日を、2回目の誕生日にしていた。1匹で、誕生日が2回あったんだ」
課長は懐かしそうに目を細めた。
「あの子は、自分のことを、2代目だと言っていた」
ウサギがしゃべったのかどうかは、聞かないことにした。
*
昼過ぎ、ヨルムさんの姿が見えなくなった。
俺は第一課の休憩室を覗いた。
コタツにヨルムさんが入っていた。向かい側にルシアさんが入っていた。2人の間に紙が1枚置いてあった。
「……新人。入り」
俺はコタツの角に足を入れた。暖かかった。
紙にはヨルムさんの字で1行だけ書いてあった。
倒されたら、ちっこくなって、また育つ
字は俺より少しだけきれいだった。
「ヴァルナはな」
ヨルムさんが言った。
「倒されて、それで終わりやった。資材置き場の、布をかけた台の上で、100年終わったままや」
ルシアさんは黙って聞いていた。
「100年前に、若返りを思いついとったらな。ヴァルナは今ごろ、何代目やったやろ」
俺は思わず指を折っていた。
「……10代目くらいでしょうか」
「数えんでええ」
ヨルムさんは笑った。
ルシアさんがそっと紙に手を伸ばした。第一課の金のペンでヨルムさんの1行の下に1行書き足した。
ちっこくなっている間は、城の一番奥の、一番暖かい部屋で眠る
きれいな字だった。
「先輩の竜には、帰る場所がなかったでしょう」
ルシアさんの声は小さかった。
「魔王には、帰る城があるわ。第七課の人が作った、暖かい城が」
ヨルムさんはしばらく黙って、それから赤ペンを出した。ルシアさんの行の横に、何か書いた。
『字がきれい』
「……先輩、それ褒めてます?」
「褒めとる。100年ぶりに」
ルシアさんの巻き髪が、1房だけ跳ねた。
2人はそれから黙って、交互に1行ずつ書いていった。ヨルムさんが1行書くと、ルシアさんが1行書く。赤と金の字が紙の上で交互に並んでいった。
俺はコタツの角でそれを見ていた。
前世の会社で仕様書を2人で書いたことはなかった。仕様書はいつも1人で書いて、5人に判子をもらうものだった。
2人で書く仕様書は、1人で書くより少しだけ遅い。
その代わり、1行ごとに誰かが読んでくれていた。
*
夕方、仕様書が完成した。
第一課の歴史上、最も薄い仕様書だった。第七課の歴史上、最も厚い仕様書だった。
10ページだった。
提出の前に、1つだけ揉めた。名称の欄だった。
「暗黒魔帝ディアボロス・ノワール・ヴァルナ三世」
第一課の若手が、紙を掲げた。
「三世って、一世と二世はどこにいるんですか」
「若返るたびに、代が増えるので。先に三世にしておけば、貫禄が出ます」
「一世の立場は」
ミカさんがそろばんをはじいた。
「名称は、1文字1単位です。今の案で、22単位です」
「……魔王、なら」
「2単位です」
若手は紙をそっと下ろした。20単位の差で、三世は生まれなかった。
「名前は、短い方がええ」
ヨルムさんが言った。
「どうせ下界で、勝手に二つ名がつく。盛られる余白は、残しといた方がええ」
名前をつけなかった魔物が、竜の仔にまで盛られたことがある。今回は、盛られるのも仕様のうちだった。
仕様書(本番)
名称:魔王
住処:北の果ての魔王城(ツカモリの巣)の一番奥
部下:四天王(5人)
第一形態:黒く大きな体。背中に魔王っぽい模様。頭に、においの出る角が2本
声:鳴き袋つき。寝言は1日おきに交互(古代語は「グルォ」、現代語は「これが、私の、真の姿だ……むにゃ」)
第二形態:倒されるとサナギになり、1週間後、夜空の色の羽で出てくる
若返り:第二形態も倒されると、体が縮み、赤ん坊の姿に戻る
若返りの間:城の一番奥の、一番暖かい部屋で眠る。ゴブリンが面倒を見る
育ち直し:何年かかけて育ち、また魔王として城の玉座に座る
繁殖:若返った日を、新しい誕生日とする(第412条、用語の定義による)
脅威:勇者の仕事になること
魔素:1400単位(名称の2単位を含む)
「1400単位」
ミカさんがそろばんをはじいた。
「残りは、68単位です」
ミカさんの目が少しだけ潤んでいた。
「端数が、残りました」
「端数、嬉しいんですか」
「予算を使い切らずに案件を終えるのは、経理の夢です」
ヨルムさんが最後のページに赤ペンを入れた。
『字が汚い』
隣にルシアさんが金のペンで書いた。
『先輩の方が汚いです』
最後に俺が書いた。
『全員、字が汚いです』
ミカさんが特大の合議印を押した。ルシアさんが第一課の合議印を押した。課長が課長印を押した。
3つの印が並んだ。紙が少しだけたわんだ。
*
日が暮れるころ、女神様の鳩が来た。
『倒されても、ちっちゃくなって、また大きくなる! いい!』
大会議室の全員が息を吐いた。
『勇者くん、ずっとお仕事あるね!』
女神様はちゃんと仕様書を読んでいた。
『あと、ゴブリンが魔王の赤ちゃんを育てるの、かわいい! 泣いた!』
今週、女神様はよく泣いていた。
紙には続きがあった。
『じゃあ、試験リリースして! 勇者くんが魔王と戦うところ、本番の前に1回見たい!』
「……試験」
「試験や」
『そのかわり、締め切り延ばしてあげる! 下界の14日!』
ミカさんがそろばんをはじいた。
「天界の2日です。あと、2日と4時間42分」
締め切りが延びるのは、仕様が増えるときだけ。
今回増えたのは、勇者と魔王の最初の1戦だった。
窓の外でヨルムさんとルシアさんが並んで雲を吐いていた。ヨルムさんは木の枝のパイプで、ルシアさんは、いつか先輩に突き返された金のパイプだった。持ち手には、どちらもシラタマの絹が巻いてあった。
いつ巻いたのかは聞かないことにした。
魔王の納品まで、あと2日と4時間42分。
魔王は、まだ10ページの紙だった。
今の魔王なら、勇者が指1本で破れる。破れた紙は、若返らない。




