第25話 魔王の声
魔王の納品まで、あと2日と13時間42分。
月曜の朝、第一課の大会議室から、30人分の「これが私の真の姿だ」が聞こえてきた。
扉を開けると、長い机の前に1列の行列ができていた。先頭の設計士が紙を持って、震える声で読み上げていた。
「こ、これが、私の……真の、姿だ……」
「次」
審査員席には、低音部会の6人が並んでいた。声部会は、行列の整理係をしていた。昨夜のうちに、魔王の声のオーディションが始まっていたらしい。
「おはよう。第七課も並んでちょうだい」
ルシアさんが行列の最後尾を指さした。ルシアさんの手にも同じ紙があった。
「ルシアさんも受けるんですか」
「課長として、率先して受けたわ」
「結果は」
「高すぎるって」
ルシアさんの声はたしかに魔王というより、魔王に囚われている方の声だった。
*
第七課も並ばされた。
最初はミカさんだった。
「これが、私の、真の姿です。以上、ご報告いたします」
「次」
経理の月次報告にしか聞こえなかった。審査員の1人が思わず「承認します」と言いかけていた。
次はヨルムさんだった。
「これが、うちの真の姿や」
大会議室が静まり返った。
審査員の6人が顔を見合わせた。
「……関西弁の魔王は、前例が」
「前例のない魔王を、作っとるんやろ」
「勇者が、親しみを感じてしまうおそれがあります」
「ほな、ええやん。倒されるんやから」
声部会の中で30分の議論が始まった。関西弁の魔王は結局、保留になった。保留の書類が1枚増えた。
次は俺だった。
「これが、私の真の姿だ」
審査員が眉をひそめた。
「……謝っているように聞こえます」
「え」
「語尾に、『申し訳ございません』が隠れています」
前世で試作品の失敗を社長に報告するときの声だった。前世の癖は、転生しても抜けていなかった。
最後に窓際の課長が立ち上がった。舟の模型を机に置いて、紙を手に取った。
課長は息を吸った。
「これが、私の、真の姿だ」
大会議室の窓がびりびりと震えた。
低い声だった。腹の底から出た、山の奥から響いてくるような声だった。審査員の6人が同時に椅子から転げ落ちた。第一課の30人が首を23度傾げたまま固まった。
「……課長?」
「ああ、ごめんよ。大きすぎたかい」
課長はいつもの小さな声に戻っていた。
「舟に積むときにね、声を張ったんだよ。『つがいで並んで!』『ゾウは奥!』『スカンクは最後!』って。40日のあいだ、ずっとね」
舟の前例がここで役に立った。課長の喉は、全種の動物をつがいで並ばせるために鍛えられていた。
低音部会の6人が課長の前に並んで頭を下げた。
「魔王の声は、ノア課長で決まりです」
「……前例が、ないね」
課長は照れていた。舟の模型を撫でる手が、少しだけ速かった。
*
「それで、課長の声を、どうやって魔物に入れるの?」
ルシアさんが聞いた。
大会議室が静まり返った。
声を決めたところで魔物に言葉をしゃべらせる方法を、誰も考えていなかった。
ミカさんが規程の本を開いた。
「言葉を話す器官の新規設計は、1語につき100単位です」
「『これが、私の、真の、姿だ』で」
「区切り方にもよりますが、900単位です」
「課長の声で録音するのは」
「録音という技術が、天界にはありません」
課長の声は課長の中にしかなかった。課長を魔王の中に入れるわけにもいかなかった。課長が入ったら、魔王の第一声は「前例がない」になる。
ルシアさんがはっとした顔をした。
「……ヴァルナ・改の、寝言」
「寝言?」
「ヴァルナ・改には、寝言を言う器官があるの。月曜は古代語で『グルォ』、火曜は現代語で『あと5分』。1日おきに交互」
コンペの日の空を思い出した。女神様の前で竜は「あと5分」と言った。
ミカさんが規程をめくった。
「第203条。自分の課の器官の流用には、設計費がかかりません」
「でも、それは第一課の器官ですよね」
「合同案件です。予算を合算しているので、器官も合算されます。今は、第一課の器官も、第七課の器官です」
ミカさんの眼鏡が光った。合算という言葉の使い道を、一番よく分かっているのはミカさんだった。
「ただし、中身を変えると設計費がかかります。『あと5分』を『これが私の真の姿だ』に変えると、900単位です」
「変えなければ」
「0単位です」
課の全員が同時に黙った。
魔王の第一声が「グルォ」か「あと5分」になる。
「……まず、そのままで試しましょう」
「前例が」
「ないです」
課長の声はいつもの小さな声だった。
*
問題はもう1つあった。
「寝言は、小さいのよ」
ルシアさんが言った。
「竜の体に合わせて作ったから、竜が言えば大きく聞こえる。でも、小さな魔物に入れたら、つぶやきにしかならないわ」
吟遊詩人の歌では魔王の高笑いは3つの山を越えることになっていた。つぶやく魔王では下界の期待に応えられない。
小さい体で大きな声を出す生き物。
「カエルです」
俺は言った。
「小さいカエルでも、夜になると、びっくりするくらい大きな声で鳴くんです。のどの下に鳴き袋っていう袋があって、それを風船みたいに膨らませて、声を大きくするんです」
「袋で、声が大きくなるの?」
「太鼓の胴みたいなものです。中が空っぽだと、音が響くんです」
前世の田舎の祖母の家は、田んぼの真ん中にあった。夏の夜はカエルの声で眠れなかった。小さなアマガエルが、家の窓ガラスが震えるほど鳴いていた。
「鳴き袋を大きくすれば、声も大きくなるわね」
低音部会の6人が身を乗り出した。
「鳴き袋を、城くらいに」
「城くらいはやめとき」
ヨルムさんが止めた。
「城は、もう宿や」
仕様書(試作品)
名称:ナキマオウ(試作)
外見:黒いカエル。背中に魔王っぽい模様(ハネマオウの模様を流用)
声:蒼天竜ヴァルナ・改の寝言器官を流用(月曜は古代語、火曜は現代語。1日おきに交互)
鳴き袋:3つの山を越える大きさ(吟遊詩人の歌に合わせる)
生息地:魔王城の堀(ミズヨロイの隣)
脅威:声が大きい
魔素:2単位
ヨルムさんが赤ペンを出した。
『字が汚い』
その下にもう1行あった。
『脅威が「声が大きい」。前世の上司みたいな魔物やな』
「……なんで分かるんですか」
「あんたが脅威の欄を書くとき、ちょっとだけ嫌な顔しとった」
*
月曜の昼過ぎ、ナキマオウを下界に出した。
水鏡の中で黒いカエルが魔王城の堀に飛び込んだ。ミズヨロイが匂いを嗅いで、鎧を作り始めた。カエルは鎧のミジンコを見て、首を傾げた。四天王と試作品の、初めての顔合わせだった。
下界の夜になった。
ナキマオウが堀の石の上に登った。のどの下の鳴き袋をゆっくりと膨らませた。膨らませた。まだ膨らませた。ナキマオウの体の3倍になった。
そして、鳴いた。
「……グルォ」
夜の荒れ地に低い声が響き渡った。
声は1つ目の山にぶつかって、跳ね返った。2つ目の山を越えた。3つ目の山の向こうの村で、犬が一斉に遠吠えを返した。
グルォ。
グルォ。
グルォ。
山びこが3回、遅れて帰ってきた。
魔王城の宿の窓が一斉に開いた。冒険者たちが顔を出した。
「今の、何だ」
「魔王の声だ……」
「ついに、魔王が目覚めたんだ……!」
宿が沸いた。ゴブリンが『魔王の声を聞いた記念』と書いた木札を売り始めた。
大会議室も沸いていた。低音部会の6人が抱き合っていた。3つの山を越えた。吟遊詩人の歌の通りだった。
女神様の鳩が来た。
『グルォってかっこいい! これこれ!』
「……よかったですね」
「よかったな」
ヨルムさんがパイプの雲を吐いた。
「今日が、月曜で」
俺ははっとした。
天界の時計を見た。夜の11時だった。
あと1時間で火曜日だった。
*
「止めましょう」
俺は言った。
「今すぐ、ナキマオウの寝言を止めましょう。火曜になったら、あれが」
「止める器官は、ないわ」
ルシアさんが青ざめていた。
「ヴァルナ・改の寝言は、止まらない仕様よ。寝言を止める部会の案は、48回目の会議で却下されたの」
「なんで却下したんですか」
「止まる寝言は、寝言じゃないって」
第一課の哲学が今夜、下界に牙をむこうとしていた。
天界の時計が12時を指した。
水鏡の中の下界は、7倍の速さで夜が更けていた。ナキマオウが鳴き袋を膨らませた。膨らませた。まだ膨らませた。
そして、鳴いた。
「……あと、5分……」
声は荒れ地を越えて、山を越えた。
山びこが、帰ってきた。
あと5分。
5分。
ふん。
3つ目の山びこは、ほとんど寝息だった。
声はそのまま、風に乗って南へ流れていった。北の村を越えて、ベルン村を越えて、王都の城壁を越えた。
下界はちょうど夜明けだった。
王都のパン屋が窯に火を入れようとしていた。
「……あと、5分……」
空から声が降ってきた。パン屋は窯の前でうなずいた。そのまま、窯の前で寝た。
兵士が城門を開けようとしていた。
「……あと、5分……」
兵士は城門にもたれて寝た。
王宮では、国王が起きようとしていた。今日は勇者制度の見直しを決める会議の日だった。
「……あと、5分……」
国王は布団をかぶり直した。
王都が、丸ごと二度寝した。
*
天界の火曜日は、長かった。
ナキマオウは1日中「あと5分」と鳴き続けた。天界の1日は下界の7日だった。
王都は1週間、二度寝した。
正確には二度寝をしては起き、起きかけては「あと5分」と言われて、また寝た。二度寝の回数は1週間で数えきれなかった。三度寝という言葉が下界で生まれた。
魔王城の宿でも冒険者たちが寝ていた。ゴブリンは子守唄だと思ったらしく、冒険者の布団を肩までかけ直していた。
堀の脇では、勇者レオンが寝ていた。剣を抱いて、ナキマオウの隣ですやすやと寝ていた。
ナキマオウが「あと5分」と鳴くたびに、勇者も寝言で答えていた。
「……あと、5分……」
カエルと勇者が交互に「あと5分」を言い合っていた。1週間、どちらも起きなかった。
「……止められへんの、ほんまに」
「止められないわ」
「第一課の哲学、あとでちゃんと直しとき」
「……会議を開くわ」
「会議も、止まらへんのやろ」
ルシアさんは答えなかった。
*
天界の時計が水曜の夜中の12時を過ぎると、ナキマオウの鳴き声が古代語に戻った。
「……グルォ」
下界で王都が目を覚ました。
窓が一斉に開いた。人々が顔を出した。みんな、髪がぼさぼさだった。みんな、よく寝た顔をしていた。
神殿経由で祈りが届いた。段ボール箱に5箱だった。
『女神様。起きたら1週間たっていました。パンが全部、石になっていました』
『女神様。1週間ぶりに起きたら、腰の痛みが治っていました。ありがとうございます』
『女神様。夫が1週間、いびきをかきませんでした。何が起きたのか、分かりません』
『めがみさま。1週間ねてたのに、しゅくだいがおわっていません』
最後の1枚は苦情なのか、宿題の相談なのか、判断に迷った。
一番上には、封蝋つきの手紙が入っていた。
『神々へ 王国より』
『勇者制度の見直しの会議を、寝過ごした』
『次の会議は、半年後とする』
『なお、国王は1週間の睡眠で、たいへん体調がよい』
「……勇者制度の廃止、延びましたね」
「延びたな」
「魔王の声が、勇者を救いましたね」
「救ったのは、あと5分やけどな」
勇者の祈りも届いていた。いつもの、大きな字だった。
『カエル あと5分 言った 寝た』
『よく寝た』
*
夜、女神様の鳩が来た。
『声よかった! グルォかっこいい!』
紙には続きがあった。
『でも、あと5分って言われて、私も二度寝した! 1日なくなった!』
女神様の火曜日もなくなっていたらしい。
『なくなった分、締め切り延ばしてあげる! 下界の7日!』
「……延びました」
「延びたな」
締め切りが延びるのは、仕様が増えるときだけ。
紙の裏に字が書いてあった。
『そろそろ、本物の魔王が見たい! 倒されても、いなくならないやつ!』
大会議室が静まり返った。
城ができた。四天王が5人そろった。第二形態はチョウになった。声は月曜ならかっこいい。
肝心の「倒されても、いなくならない」だけが、まだ3行目のままだった。
ヨルムさんが俺を見た。ルシアさんも俺を見た。第一課の30人も首を23度傾げて俺を見た。
「……考えます」
窓際で課長が小さく咳払いをした。
「前例が」
いつもの、小さな声だった。
「ないからね。ゆっくりでいいよ」
課長の小さな声は、今日初めて少しだけ頼もしく聞こえた。
ミカさんがそろばんを抱えたまま、小さく手を挙げた。
「あの。明日は、木曜です」
大会議室が静まり返った。
月曜は古代語。火曜は現代語。水曜は古代語。
木曜は、現代語だった。
「……王都が、また1週間寝ます」
ルシアさんが第一課の合議印を机に置いた。
「寝言の中身を、変えましょう。900単位」
ミカさんも特大の合議印を取り出した。今度は押す楽しさも押さない楽しさもなかった。王都の1週間がかかっていた。
どん、どん、と2回、机がたわんだ。
ナキマオウの現代語の寝言は、こう書き換えられた。
旧:あと、5分……
新:これが、私の、真の姿だ……むにゃ
「むにゃは、要るんですか」
「寝言部会が、どうしても譲らなかったのよ」
魔王の納品まで、あと1日と1時間42分。
木曜になれば、魔王城の堀でカエルが寝言で真の姿を名乗る予定だった。




