第24話 第二形態は時間がかかる
魔王の納品まで、あと4日と13時間42分。
第一課の大会議室の扉に、新しい貼り紙が増えていた。
『第二形態部会』
『第三形態部会』
『最終形態部会』
『真の最終形態部会』
『真の最終形態が倒された場合の、本当の最終形態部会』
一晩で部会が5つ増えていた。最後の1枚だけ、字が小さかった。紙に収まらなかったらしい。
「……最終形態って、最後の形態のことですよね」
「そうよ」
ルシアさんが目の下の隈を指で押さえながら答えた。
「最後のあとに、真の最後があって、その後に本当の最後があるんですか」
「下界の吟遊詩人の歌では、そうなってるの。魔王は最後だと言ってから、3回くらい変身するのよ」
前世のゲームもそうだった。「これが私の最終形態だ」と言った魔王が、倒されたあとにもう一度立ち上がる。最終という言葉を一番信じていないのは、魔王本人だった。
前世の会社の「最終版」の資料も同じだった。「最終版」「最終版2」「最終版(修正)」「最終版(本当に最終)」。最後のファイルが一番小さい字で名前をつけられていた。
どこの世界でも、最後は3回くらいある。
*
元四天王の4つの部会は、そろって第二形態部会に移っていた。300ページずつの四天王の仕様書は、表紙だけ貼り替えられて、第二形態の仕様書になっていた。
「第二形態、1200ページになったわ」
「1200……」
「炎と氷と雷と闇を、全部混ぜたの」
仕様書の1ページ目の絵は、燃えながら凍りながら光りながら暗い、何かだった。
「……これ、何色なんですか」
「それを決める部会を、今から作るところよ」
ミカさんが1200ページの最後をめくった。見積もりの欄だった。
「第二形態、2400単位です」
「予算は」
「2373単位です。城の4単位と、四天王の23単位を使いましたので」
27単位足りなかった。第二形態は第二形態の時点で予算を超えていた。第三形態から後ろの部会は、生まれる前から予算がなかった。
そして、問題はもう1つあった。
「第412条を、確認しました」
ミカさんが規程の本を開いた。
「姿が変わる魔物は、形態の数だけ、別の魔物として査定されます。第一形態と第二形態は、それぞれ種として繁殖を続けないといけません」
「……それぞれ、ですか」
「最終形態も、真の最終形態も、本当の最終形態も、それぞれ繁殖が必要です」
大会議室が静まり返った。
「本当の最終形態の、育休の手配は」
若手が震える声で聞いた。
「必要です」
貼り紙の一番下の部会が、音もなく青ざめた。
*
「形態が変わっても、1体として数えてもらえる方法はないんですか」
俺はミカさんに聞いた。
「……あります」
ミカさんが条文の注釈を指でなぞった。
「成長の段階で姿が変わる場合は、同じ種の、同じ個体として扱います。ヒヨコとニワトリが別の魔物にならないのと、同じです」
「成長で、姿が変わる……」
前世の記憶が浮かんだ。小学生のころ、夏休みの自由研究で飼ったアゲハの幼虫だった。
「チョウです」
課の全員がこっちを見た。
「イモムシが、サナギになって、チョウになるんです。形が全部変わるんですけど、同じ1匹です。サナギの中で、体を一度作り直すんです」
「作り直す?」
「サナギの中で、イモムシの体がどろどろに溶けるんです。それで、チョウの形に組み立て直される」
闇部会の3人が同時に身を乗り出した。
「一度、溶ける……」
「かっこいい……」
闇部会は、溶けることにこだわりがあるらしかった。
「魔王を倒したら、サナギになって、中で作り直されて、第二形態が出てくる。成長の段階なので、1体として査定されます」
ミカさんが条文と仕様書を見比べて、小さく頷いた。
「……規程上、問題ありません」
ルシアさんが腕を組んだ。
「つまり、第一形態は、イモムシってこと?」
「……そうなりますね」
「魔王が、イモムシ」
ルシアさんの巻き髪が、1房だけ力なく垂れた。
「イモムシにも、角があります」
俺は慌てて言った。角部会の3人がぱっと顔を上げた。
「アゲハの幼虫は、危ないときに頭からオレンジ色の角を出すんです。2本。先が分かれてて」
「角……!」
「ただ、その角から、すごく臭いにおいが出ます」
角部会の3人が顔を上げたまま固まった。
「……においの出る角」
「敵を追い払うための角なので」
角部会はしばらく相談していた。やがて、代表が手を挙げた。
「角が出るなら、においは、我慢します」
角部会はこの案件で初めて角を手に入れた。代わりににおいも手に入れた。
*
昼過ぎに試作品の仕様書がまとまった。
いきなり本番の魔王を作るのは危ないので、小さな試作品を作って、第二形態への変身を確かめることにした。
仕様書(試作品)
名称:ハネマオウ(試作)
第一形態:黒い大きなイモムシ。背中に魔王っぽい模様。頭に、においの出る角が2本(角部会の要望)
体力:1(試作のため)
変身:倒されると、その場でサナギになる。サナギの中で体を作り直し、第二形態になって出てくる
第二形態:大きな羽を持つ、美しいチョウ(第二形態部会の1200ページから、羽の色だけ採用)
脅威:角のにおい
魔素:3単位
「3単位」
第一課の経理が呟いた。
「第二形態の1200ページは、羽の色のページだけ使いました」
「何ページ分ですか」
「2ページです」
第二形態部会の12人が、1198ページ分の涙を流していた。
ヨルムさんが赤ペンで仕様書を指した。
「サナギの期間は、どれくらいや」
「チョウだと、だいたい1週間から2週間です」
「女神様は『倒されたと思ったら変身するやつ』って言うたんやろ。すぐ変身せんで、ええんか」
「……たぶん、だめです」
「ほな、短くできんのか」
ミカさんがそろばんをはじいた。
「サナギの期間を1日短くするごとに、100単位です」
「1週間を、一瞬にしたら」
「700単位です」
予算はあった。ただ、第二形態の1200ページを却下した直後に、サナギの時短に700単位を使うのは、第一課の前で気まずかった。
「……まず、1週間のままで試してみましょう」
「前例が」
「ないですね」
課長の出番を今日は先に取った。課長は少しだけ寂しそうだった。
ヨルムさんが赤ペンを走らせた。
『字が汚い』
『イモムシの魔王。聞いたことないわ。けど、ワクワクはする』
*
夕方、ハネマオウ(試作)を下界に出した。
場所は魔王城の裏手の、小さな森にした。宿の冒険者が散歩で通る道の近くだった。
黒いイモムシが葉っぱの上をもぞもぞと歩き始めた。背中の模様がたしかに魔王っぽかった。
宿の冒険者がそれを見つけた。
「……魔王だ」
「魔王の模様だ」
「でも、イモムシだ」
冒険者が近づくと、ハネマオウは頭からオレンジ色の角を2本、にゅっと出した。
冒険者たちは鼻をつまんで逃げた。脅威が作動していた。
水鏡の前で角部会の3人が抱き合って泣いていた。自分たちの角が初めて魔物の役に立った瞬間だった。においのことは、忘れているようだった。
下界で夜が明けると、勇者レオンが通りかかった。
勇者は宿に連泊していたらしい。朝の散歩の途中だった。
勇者はハネマオウを見つけて、しゃがんだ。角が出た。においが出た。勇者は鼻をつまんだ。つまんだまま、じっとハネマオウを見ていた。
それから、剣の鞘の先でハネマオウをそっとつついた。
体力1だった。
ハネマオウはころんと転がって、動かなくなった。
大会議室がどよめいた。
「倒した……」
「勇者が、倒しました……!」
「初めて、魔物を倒しましたね、あの人」
勇者の本年の討伐実績が、0件から1件になった瞬間だった。倒した相手はイモムシだった。
ハネマオウの体がみるみる硬くなった。緑がかった茶色の殻に包まれていく。
サナギになった。
勇者はサナギの前にしゃがんだまま、首を23度傾げた。
それから、動かなくなった。
*
天界の2時間が過ぎた。下界では、半日が過ぎていた。
勇者はまだサナギの前にしゃがんでいた。
「……待ってますね」
「待っとるな」
下界の夜になると、勇者はサナギの隣に小さな天幕を張った。焚き火を起こした。サナギが冷えないように、焚き火との距離を何度も調節していた。
「スライムより、焚き火の扱いが上手いですね」
「勇者やからな」
翌日、勇者はサナギの前で座っていた。討伐記録を開いて、何か書いていた。
神殿経由で祈りが届いた。いつもの、大きな字だった。
『さなぎ 動かない 待つ』
下界の3日目。
『さなぎ まだ 待つ』
下界の4日目。雨が降った。
『雨 さなぎに 傘さした』
勇者は自分の傘をサナギに差していた。勇者本人はずぶ濡れだった。
下界の5日目。宿の冒険者が集まってきていた。勇者の天幕の周りに10人。20人。みんな、サナギを見ていた。
「何を待ってるんだ?」
「魔王の、第二形態らしい」
「勇者様が、倒したんだって」
「倒したのに、待ってるのか」
「倒したから、待ってるんだろう」
冒険者たちも天幕を張り始めた。ゴブリンが弁当を売りに来た。弁当の包み紙には、『羽化待ち弁当』と書いてあった。
ゴブリンはどんな商機も逃さなかった。
下界の6日目。サナギの周りに50人が集まっていた。リーナも来ていた。帳面を抱えて、最前列に座っていた。
勇者の祈りが届いた。
『さなぎ 人 増えた みんなで 待つ』
「……勇者、暇じゃなくなってますね」
「毎日、書くことがある」
ヨルムさんが言った。
「待つのも、仕事や」
*
下界で日にちが進むあいだ、天界では一晩が過ぎていた。第一課の大会議室には、夜通し明かりがついていた。
女神様の鳩が1時間おきに窓に来た。筒の中の紙は、毎回同じだった。
『まだー?』
12羽目で、窓の外に鳩の行列ができた。返事の鳩は、第一課の鳩小屋から借りた。借りるたびに、合議印が2つ要った。
「サナギの時短、700単位でしたよね」
「鳩の返事の合議印だけで、もう24個押しました」
ミカさんが言った。時短の相談より先に、朱肉が減っていた。
休憩室のコタツでは、ヨルムさんとルシアさんが並んで水鏡を見ていた。第一課のコタツは、今日も誰かが借りに来ていた。
「先輩。あの勇者、どうして待てるのかしら」
「待てる子なんやろ」
ヨルムさんは雲を吐いた。
「ヴァルナのときはな、誰も待ってくれへんかった。雲を吐いて、雨が降るまでの何日か。その何日かを、下界は待てへんかった」
ルシアさんは何も言わなかった。
「1週間、傘差して待ってくれる人間がおるなら」
ヨルムさんは水鏡の中の勇者を見ていた。ずぶ濡れの勇者が、サナギに傘を差していた。
「……魔王も、悪い仕事やないかもしれんな」
13羽目の鳩が窓を叩いた。
『まだー?』
ルシアさんが立ち上がって、返事を書いた。
『まだです。 第一課・第七課』
合同の署名は、それが初めてだった。
署名の順番を決める部会が生まれかけたが、ルシアさんが自分で却下した。却下の速さだけは、第一課の伝統だった。
*
下界の7日目。天界では翌日の夕方だった。
観覧雲の予約は取れなかったので、大会議室の水鏡の前に全員が集まっていた。第一課の30人と、第七課の4人と、窓から覗いている女神様の鳩が1羽だった。女神様本人は鳩の目を通して見ているらしい。
下界の夜明けだった。
サナギの殻に細い亀裂が入った。
50人の冒険者が息をのんだ。
亀裂から、濡れた羽の先が覗いた。黒い、しわしわの羽だった。ゆっくりとゆっくりと、殻の中から体が出てくる。
勇者は膝をついたまま、じっと見ていた。
羽が伸びていく。しわが、少しずつ広がっていく。
朝日が差した。
伸びきった羽は夜空の色をしていた。黒の中に青と紫の模様がゆらゆらと光っていた。第二形態部会の、2ページ分の色だった。
第二形態部会の12人が、声を上げて泣いていた。1198ページ分の悔しさと、2ページ分の嬉しさが、全部混ざった泣き方だった。
羽が乾いた。
ハネマオウの第二形態が、ふわりと宙に浮いた。
50人の冒険者から、拍手が起きた。ゴブリンも手を叩いていた。リーナは帳面に何か書こうとして、ペンを持ったまま泣いていた。
勇者が、ゆっくりと立ち上がった。
剣の柄に、手をかけた。
大会議室の全員が息を止めた。
第二形態との戦いが、始まる。
勇者は剣の柄から、手を離した。
そして、空に向かって、軽く手を振った。
ハネマオウの第二形態は、勇者の頭の上を1周して、朝の空へ飛んでいった。
大会議室が静まり返った。
「……見逃しましたね」
「見逃したな」
「1週間待って、見逃しましたね」
ルシアさんが額を押さえた。
「倒される前提の第二形態が、見逃されたら、意味がないわ」
その日の勇者の祈りは、いつもより少しだけ長かった。
『第二形態 きれい 見逃し』
『1週間 待った よかった』
*
夜、女神様の鳩が来た。
『きれいだった! 泣いた!』
女神様も鳩の向こうで泣いていたらしい。
『でも、待たされた! 1週間は長い! 途中で2回寝た!』
2回で済んだのは女神様にしては頑張った方だと思った。
『あと、変身のとき、魔王が何も言わないのは寂しい! 「これが私の真の姿だ!」とか言ってほしい! 声がほしい!』
「……声」
「声や」
「イモムシに、声帯ってありましたっけ」
「知らん。あんたの世界の話や」
第一課の席で誰かが「声部会」とメモを取った。
ルシアさんは止めなかった。止めるどころか、自分で2行目に「低音部会」と書き足していた。
魔王の納品まで、あと3日と1時間42分。
勇者の討伐実績は、1件になった。
試作品は、チョウになった。
本物の魔王は、まだ仕様書の3行のままだった。




