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異世界の魔物、だいたい俺の設計ミスです ~天界の窓際部署に転生したら、予算0単位で魔王まで作らされた~  作者: 中原九尾
第2部:魔物コンペ編

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第20話 空に残るもの

 1200本の光る糸が、山の上の雨雲に届いた。


 水鏡の中で糸の群れが雲の中へ吸い込まれていった。竜が吐いた灰色の雲の中に、細い光の筋が何百本も縫い込まれていく。


 空を縫っている。


 ソラヌイという名前をつけた日のことを、俺は思い出していた。


 雲の中で糸が水の粒を集め始めた。細い糸の1本1本に霧のような水がまとわりつき、少しずつ大きな粒になっていく。粒は雲の中で重くなって、糸から離れた。


 1粒。


 2粒。


 山の頂から、雨が落ち始めた。


   *


 雨は、山の斜面を下りながら広がっていった。


 森に降った。川に降った。ベルン村の畑に降った。ガントさんの丘に降った。ミズヨロイがいた沼にも、モフルが転がっていた下草にも、アカマダラが食べていた毒虫の森にも、コタツバチが巣を作った木の洞にも、静かな雨が降った。


 東の空から、朝日が差していた。


 雨と朝日が同じ空にあった。


 ベルン村の上に虹がかかった。


 虹の下を、雨に濡れた糸がきらきらと光りながら漂っていた。雨粒の1つ1つが糸に沿って光っていた。空一面に光る縫い目ができていた。


 観覧雲の上は誰も口をきかなかった。


 女神様は、玉座から立ち上がったまま、手袋をはめた両手を胸の前で握りしめていた。第一課の30人は、首を傾げたまま、傾げていることも忘れていた。ルシアさんは口を半分開けたまま空を見ていた。


 ヨルムさんはパイプを持った手を、膝の上に下ろしていた。


「……降っとる」


 小さな声だった。


「ヴァルナの雲から、雨が、降っとる」


 ヴァルナ・改ではなく、ヴァルナ、とヨルムさんは言った。


 第一課の席で、ルシアさんが「改」を言い直させようと口を開き、そのまま閉じた。1200ページ分の「改」が、そのときだけ省略された。


   *


 下界でも騒ぎになっていた。


 ガントさんの丘では、82歳の凧揚げ名人が、雨に濡れながら虹を見上げていた。


「60年で、一番きれいな朝じゃ……」


 隣でリーナが帳面を胸に抱えたまま、ぽかんと口を開けていた。帳面に雨が落ちて、インクがにじんでいた。書き留めることを忘れていた。


 グラナ村では、踊りの上手な少年が村はずれの小屋から飛び出してきた。空を見上げて、両手を広げて、雨の中でくるくると回り出した。ゴブリンの子供たちも、一緒に回っていた。


 王都では、舞踏教室の生徒たちが、窓から身を乗り出していた。空から、雨に濡れた糸が1本、ふわりと降りてきた。1人の生徒の顔にかかった。生徒は糸払いの踊りを踊った。周りの全員がつられて踊った。王都の大通りが雨の中の舞踏会になった。


 そして、森の小道。


 勇者レオンはまだ首を23度傾げたまま、空を見上げていた。


 竜の方は、くしゃみの勢いで首がまっすぐに戻っていた。首を傾げているのは勇者だけになっていた。


 勇者はゆっくりと首を戻した。顔に雨が当たった。糸も何本かかかった。


 勇者は剣の柄から手を離して、両手で顔の糸をそっと払った。踊るようにではなく、丁寧に。払った糸を近くの枝にかけた。


 それから、空の竜に向かって、軽く手を振った。


 竜は勇者に向かって、もう一度首を傾げた。今度は23度より少しだけ深かった。


 その朝、勇者の討伐記録に2行が加わった。


『竜 くしゃみした かわいい 見逃し』


『雨 きれい 虹 糸 また会えた』


「……日記ですね」


「日記やな」


 ヨルムさんは笑っていた。目の端が少しだけ濡れていた。


「……雨や。雨が目に入っただけや」


「観覧雲には、屋根がありますよ」


「うるさい」


   *


 雨が上がると、女神様が手を大きく叩いた。


「はい! 結果発表ー!」


 観覧雲の上の全員が背筋を伸ばした。課長は舟の模型を抱きしめた。ミカさんはそろばんを胸に押し当てた。ルシアさんは自分の巻き髪を指でつかんでいた。


 女神様は玉座の前に立った。


「まず、第一課の竜! おっきかった! かっこよかった! 寝ぼけてた! かわいかった! くしゃみした! かわいかった!」


 第一課の30人が首を傾げたまま顔を見合わせた。褒められているのか、どうなのか、判断に迷っているようだった。


「次、第七課の糸! ちっちゃかった! なかなか生まれなかった! 待たされた! でも、きらきらした! 雨も降った! 虹も出た!」


 女神様は両手を広げた。


「で、雨はどっちのおかげかっていうと……竜が雲を作って、糸が雨にした。どっちか片方だったら、降らなかった。だよね、ヨルムちゃん」


 ヨルムさんが小さく頷いた。


「だから」


 女神様はにっこり笑った。


「両方、勝ち!」


 観覧雲の上が静まり返った。


「……両方、ですか」


 ミカさんが震える声で聞いた。


「うん。両方」


「規程上、コンペの勝者が2つの課になる場合の定めは、ございません」


「じゃあ、今作って」


「今……」


「負けた課は、勝った課に吸収、だったよね。両方勝ったから、負けた課はない。だから、吸収もなし!」


 女神様は指を1本立てた。


「あ、でも、せっかくだから、両方勝った課は、両方に吸収されることにしよ。第一課は第七課に、第七課は第一課に吸収!」


「……それは、つまり」


 ミカさんがすさまじい速さでそろばんをはじいた。はじき終えて、しばらく黙った。


「帳簿上、相殺されます。何も、変わりません」


「そういうこと!」


 女神様は満足そうだった。


 課長が舟の模型を抱えたまま、ゆっくりと立ち上がった。


「コンペの勝者が、2つ。互いに吸収して、何も変わらない」


 課長は胸を張った。


「前例が、ない」


 今日一番の「前例がない」だった。第一課の30人がなぜか拍手をしていた。


   *


 女神様が観覧雲から帰る直前、振り返って言った。


「あ、そうだ。今の、合体技だったよね。竜と糸の」


「……はい」


「すっごいワクワクしたから、次の案件、第一課と第七課で一緒にやって!」


「次の案件、ですか」


「魔王!」


 女神様は両手を大きく広げた。


「魔王、作って! 締め切りは、来週ね!」


 光の中に女神様は消えていった。


 観覧雲の上に長い沈黙が残った。


「……来週」


「来週や」


「来週って、たぶん」


「明日になるな」


 ヨルムさんと俺の声が、同時にため息になった。


 課長は礼服のまま気絶していた。今度はミカさんも支えなかった。ミカさんは、女神様が消えた光の跡を、呆然と見つめていた。


「……予算を」


「ミカさん?」


「魔王の予算を、聞きそびれました」


 経理として、最大の失敗だったらしい。ミカさんはそろばんを胸に抱いたまま、観覧雲の床に膝をついた。


 ルシアさんが第一課の席から歩いてきて、ミカさんの肩にそっと手を置いた。


「大丈夫よ。合同案件なら、予算は第一課と第七課の合算になるわ」


「……合算」


「第一課の予算と、第七課の予算を足すの」


 ミカさんの顔にみるみる血の気が戻った。


「第七課の予算は、0単位です」


「知っているわ」


「足しても、第一課の予算と、1単位も変わりません」


「そうね」


「それでも、帳簿に『合算』と書けるのは、第七課の歴史上初めてです」


 ミカさんは、立ち上がった。目が少し潤んでいた。0を足しても何も変わらない。それでも、ミカさんにとってはたぶん大きな1行だった。


   *


 観覧雲が片づけられる前に、ルシアさんが第七課の席にやって来た。


「先輩」


「なんや」


「席は、空けたままにしておきます。第一課の、設計主任の席」


 ヨルムさんは雲のパイプを指でくるりと回した。


「……うちの机は、第七課や」


「知っています」


「段ボールの似顔絵も、立てかけてあるしな」


 ヨルムさんはちらりと俺を見た。


「けど」


 ヨルムさんはルシアさんに向き直った。


「第一課のコタツは、たまに借りに行く。重箱も、まだ返してへん段がある」


 ルシアさんの顔がぱっと明るくなった。それから、慌てて真顔に戻った。


「……食堂に、伝えておきます」


「食堂な」


「食堂です」


 ルシアさんは踵を返して、第一課の席へ戻っていった。巻き髪が1房だけ、嬉しそうに跳ねていた。


   *


 その夜、雲吸い所でヨルムさんと並んで雲を吸った。


 俺は今日は1回しかむせなかった。


「新人」


「はい」


「昨日、言いかけてやめたこと、言うとくわ」


 ヨルムさんは夜の雲の海を見ていた。


「ヴァルナはな、雲を吐いても、なかなか雨にならんかった。降るまでに何日もかかって、その間、空は暗いままやった。それで、怖がられた」


「……はい」


「今日、分かった。ヴァルナに足りへんかったのは、強さやなかった。雲を雨にする、ちっこい糸やった」


 ヨルムさんはパイプの持ち手に巻いた絹を、指でなでた。シラタマの糸だった。今日、空を縫ったソラヌイの糸も、この絹を吐いた虫から流用した器官の糸だった。


「100年前に、あんたのちっこいのがおったらな」


「……今日は、いました」


「おったな」


 ヨルムさんは雲を吐いて笑った。


「字、汚いくせに」


「それ、まだ言うんですか」


「一生言う」


 ヨルムさんは胸ポケットから赤ペンを出して、俺の手の甲に何か書いた。


『2番目、取り消し。今日のが、1番や』


 俺は手の甲を見つめた。ソラヌイの仕様書に、「今まで読んだ仕様書の中で2番目にええ」と書かれた日のことを思い出した。1番目はヴァルナの仕様書のはずだった。


「……1番って」


「言わんでも分かるやろ」


「分かりません」


「分からんでええ」


 ヨルムさんはそれ以上は何も言わなかった。


   *


 翌朝、ギルドの図鑑が改訂された。


 【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第16版】

  ソラヌイ(ガントさんの命名。空を縫うように見えるから、とのこと)

  二つ名:雨迎え

  危険度:☆☆☆☆☆

  解説:空を漂う小さなクモ。朝の風に乗って山へ昇り、糸で雲を集めて雨にする。顔にかかるとくすぐったいが、その日は畑に雨が降るので、村では歓迎されている。

  (編纂係注:正体が分かったので、二つ名をつけました。凧揚げ名人ガントさんと、相談して決めました)


 その下にもう1つ、新しい項目があった。


  蒼天竜ヴァルナ・改

  二つ名:寝ぼけ竜

  危険度:★☆☆☆☆(くしゃみに注意)

  解説:山に雨雲を作る巨大な竜。朝に弱く、ときどき「あと5分」と言う。勇者に見逃された。


「……名前、合ってます」


 俺は図鑑の写しの1行目を指さした。


「ソラヌイ。仕様書と、同じ名前です」


「また合うたな。シラタマのときと一緒や」


 ヨルムさんは少しだけ得意そうだった。


「ええ名前は、下界からも同じに見えるんや」


「……寝ぼけ竜」


 第一課のフロアでルシアさんが図鑑の写しを握りしめていたらしい。怒っているのか、笑っているのか、分からない顔だったそうだ。


 ただ、1つだけ確かなことがあった。


 「災厄」とはもう誰も書かなかった。


 ヨルムさんは図鑑の写しを自分の机の、段ボールの似顔絵の隣に立てかけた。


 女神様からの鳩が窓から飛び込んできた。筒の中の紙にはこう書いてあった。


『魔王の締め切り、来週って言ったけど、明後日にしよ!』


 第一課との合同案件、魔王の締め切りまであと2日。


 たぶん、明日になる。


(第2部 完)

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