第14話 お迎えの席
第一課とのコンペまで、あと16日。
朝、第七課の扉を開けると、鳩がいた。
1羽ではない。机の上に3羽、段ボール箱の上に5羽、課長の舟の模型の中に2羽。窓枠にずらりと並んだ分を合わせると、ざっと20羽はいた。全員、首に小さな筒を下げている。
「……何ですか、これ」
「第三課の伝書鳩や」
ヨルムさんが自分の机の上の鳩をどけながら言った。
「筒の中、見てみ」
1羽の筒から、丸めた紙を引き抜いた。金の縁取りの、第一課の書式だった。
『第一課 設計主任 募集要項
対象:ヨルム先輩
勤務地:第一課フロア(窓際、日当たり良好)
待遇:温かい昼食(毎日)、足温め机(優先利用権つき)、専用雲吸い所(屋上、第一課のみ)、金のパイプ(再支給)、背もたれとひじ掛けとキャスターのついた椅子
応募方法:第一課に来るだけ』
20羽の筒を全部開けたら、20枚とも同じ紙だった。
「念のため、20回送ってきたんやろ」
「1枚で足りますよね」
「あの子は、昔から念のためが多いねん」
ミカさんが、机に止まった鳩を見ながら、そろばんをはじいた。
「第三課の伝書鳩は、1羽1往復で0.5単位です。20羽で10単位。第七課の年間予算の、2倍です」
「求人1回で、うちの課が2年分……」
「なお、鳩の糞の清掃費は、到着先の課の負担になります」
ミカさんの視線が、舟の模型の中の2羽に注がれた。課長がそっと模型を覗き込んで、固まった。
*
2日目。
鳩は来なかった。代わりに紙袋が届いた。
中身は重箱だった。8段重ねだった。
「……増えてます」
「増えとるな」
「前回は4段でした」
「倍にしてきたな」
1段目から4段目までは、竜の形のおにぎりだった。5段目は竜の形の卵焼き。6段目は竜の形の煮物。7段目は竜の形の果物。8段目を開けると、竜の形に切られた紙が1枚だけ入っていた。
『食堂より(かっこよく)』
「食堂、まだ名乗ってますね」
「名乗っとるな」
ヨルムさんは8段を全部平らげた。先日の4段と合わせて、12段。雲しか吸っていなかった人の胃袋が、急速に第一課に掴まれつつあった。
「ヨルムさん、大丈夫ですか」
「何がや」
「胃袋から、引き抜かれかけてませんか」
「……うまいもんは、うまいんや」
否定はしなかった。
「俺にも1個、もらえませんか。竜のおにぎり」
「あかん」
「8段もあるのに」
「これは、うちが預かっとる食堂の資産や」
「食べたら、資産じゃなくなりますよね」
「せやから、うちが食べて、なくしとるんや」
理屈は通っていないのに、反論の糸口も見つからなかった。ミカさんが横で小さく頷いていた。資産の処理方法として、正しかったらしい。
*
3日目。
昼休みに廊下の方から、地響きのような音が聞こえてきた。
ゴゴゴ。
ドドド。
扉を開けると、第一課の設計士たちが、20人ほど、第七課の前の狭い廊下にぎっしり並んでいた。先頭の2人が大きな太鼓を抱えている。ゴゴゴとドドドは太鼓の音だった。
「第一課有志による、ヨルム先輩歓迎の舞です!」
20人が一斉に踊り始めた。両腕を翼のように広げ、首を右に傾げ、左に傾げる。竜の動きだった。首を傾げたところで全員がぴたりと止まった。
止まったまま、戻らなかった。
「……戻りません」
列の真ん中の天使が首を傾げたまま報告した。
「全員、首が、傾いたまま戻りません」
整体部会の天使たちが、担架を持って走ってきた。20人は首を傾げたまま、1人ずつ運ばれていった。太鼓だけが廊下に残された。
ヨルムさんは扉の陰から、その一部始終を見ていた。
「……あの子ら、ヴァルナの首の角度まで練習しとったんか」
「23度だそうです。仕様書の700ページに書いてありました」
「なんで知っとんねん」
「印鑑、押したので」
ヨルムさんは何とも言えない顔で、廊下に残された太鼓を見ていた。自分の竜の真似をして、20人が首を痛めた。その事実をどういう顔で受け止めればいいのか、ヨルムさん自身にも分からないようだった。
*
このままでは、まずい。
その日の夕方、俺と課長とミカさんは、ヨルムさんが雲吸い所に出ている隙に、課の隅で緊急会議を開いた。議題は1つだった。
『ヨルムさん引き留め対策』
「第一課の待遇に、対抗しなければなりません」
俺は段ボールの裏に第一課の募集要項を書き写した。温かい昼食。足温め机。専用の雲吸い所。金のパイプ。背もたれ付きの椅子。
「こちらも、第七課の福利厚生を、紙にまとめましょう。魅力を伝えるんです」
「第七課の福利厚生……」
課長が腕を組んだ。
「……前例が、ない」
「作りましょう。今から」
30分後、段ボールの裏に第七課の募集要項ができあがった。
『第七課 設計士 待遇のご案内
昼食:なし(雲は吸い放題)
暖房:なし(コタツ、貸し出し申請中)
雲吸い所:あり(第六課と共用、日当たり普通)
パイプ:木の枝(絹巻き)
椅子:段ボール(ゴブリンの祈り由来)
その他:課長の「前例がない」が毎日聞ける』
3人でしばらく黙って眺めた。
「……負けてますね」
「全項目、負けています」
ミカさんが正確に言った。
「ただ、1つだけ、第一課にない項目を追加できます」
ミカさんは段ボールの一番下に、ペンで書き足した。
『経費精算:最優先で処理します(経理担当ミカより)』
「……それ、魅力になりますか」
「経理にとっては、最大の魅力です」
たぶん、この課で一番それを喜ぶのは、ミカさん本人だった。
「私からも、1つ」
課長が舟の模型を差し出した。
「これを、ヨルムくんの机に置いてもいい。毎日、磨いてくれていい」
「課長の宝物ですよね」
「引き留めのためなら、前例のないこともする」
課長の目は本気だった。ただ、舟の模型の中には、まだ鳩の糞がついていた。
俺も何か出さなければならなかった。俺にできることで第一課にできないこと。
「……絵を描きます」
「絵?」
「ヨルムさんに、赤ペンで『絵だけは上手い』って言われたので。感謝状に、ヨルムさんの似顔絵を描きます」
その夜、俺は段ボールの裏にヨルムさんの似顔絵を描いた。雲のパイプをくわえて、赤ペンを持って、少しだけ笑っている顔。その下に、『いつも赤ペンをありがとうございます。字はこれから上手くします』と書いた。
書いた字はやっぱり汚かった。
*
4日目の朝、最後の筒が届いた。
鳩ではなく、ルシアさん本人が持ってきた。細長い、布張りの箱だった。
「先輩に。第一課から、正式に」
ヨルムさんが箱を開けた。
中には、金のパイプが入っていた。
昔、ヨルムさんが第一課で使っていたという、あのパイプだった。磨き上げられて、窓からの光を受けて、ぴかぴかに光っていた。
「保管庫にあったのを、磨かせたわ。整体部会の手が空いていたから」
ヨルムさんは金のパイプを手に取った。長いこと、黙って眺めていた。
ミカさんが俺の耳元で小さくささやいた。
「あのパイプ、資産価値は魔素800単位です」
「800」
「第七課の予算の、160年分です」
ヨルムさんの手の中で、第七課の160年が光っていた。
俺は息を止めていた。課長は舟の模型を抱きしめていた。ミカさんはそろばんを胸に押し当てていた。第七課の全員がヨルムさんの手元を見ていた。
「……先輩」
ルシアさんの声が少しだけ揺れた。
「コンペの結果がどうであっても、わたくしは、先輩の席を空けておきます。それだけ、伝えに来ました」
ルシアさんはそれだけ言って、帰っていった。
ヨルムさんは金のパイプを箱に戻さなかった。机の上に置いたままにした。木の枝に絹を巻いたパイプの、すぐ隣に。
2本のパイプが並んでいた。
*
その夜、ヨルムさんは雲吸い所に来なかった。
俺は段ボールの似顔絵を抱えて、生物設計局の中を探し回った。資材置き場にもいなかった。第七課にもいなかった。
最後に第一課の休憩室を覗いた。
コタツ――足温め机に、ヨルムさんが入っていた。
肩まで布団に潜り込んで、眠っていた。机の上に食べ終わった重箱の9段目が置いてあった。いつの間にか、9段に増えていた。
向かい側にルシアさんが座っていた。書類を読んでいるふりをしていたが、書類は逆さまだった。
ルシアさんは俺に気づくと、人差し指を口に当てた。それから、ずり落ちかけたヨルムさんの布団を、そっと肩まで引き上げた。
俺は何も言わずに休憩室を出た。
廊下で段ボールの似顔絵を見下ろした。第一課のコタツと、9段の重箱と、逆さまの書類に、段ボールの似顔絵1枚で勝てる気は、まったくしなかった。
*
5日目の朝、ヨルムさんはいつもどおりの時刻に第七課に出勤してきた。
「おはようさん」
「……おはようございます」
課の全員が、ヨルムさんの顔色をうかがっていた。ヨルムさんは自分の机に座り、机の上の2本のパイプを眺めた。
それから、金のパイプを手に取って、布張りの箱に戻した。蓋を閉めて、箱の上に1枚のメモを貼った。
『持ち手が、冷たい』
ヨルムさんは絹を巻いた木のパイプをくわえて、ベランダの雲吸い所に出ていった。
ミカさんがそっと箱を持ち上げた。
「第一課への返却物として、処理します」
「……はい」
課長は舟の模型をそっと自分の机に戻した。鳩の糞はいつの間にか拭き取られていた。
俺は段ボールの似顔絵を、渡すかどうか迷った。迷っているうちにベランダからヨルムさんの声がした。
「新人。机の上の段ボール、何や」
「……感謝状です。引き留め用の」
「見してみ」
ヨルムさんは似顔絵をしばらく眺めていた。
「絵は、上手いな」
「ありがとうございます」
「字は、汚い」
ヨルムさんは段ボールの似顔絵を、自分の机の、金のパイプが置いてあった場所に立てかけた。
「コタツは、ええもんやったで」
ヨルムさんは雲を吐いた。
「でも、うちの机は、ここや。……今のところはな」
今のところは。
その一言が俺の胸に小さく引っかかった。コンペに負ければ、第七課は吸収される。そうなれば、ヨルムさんの机は自動的に第一課になる。
「新人。ぼさっとしとる暇あったら、仕様書書き」
「はい」
「行き先の決まらん魔物の、行き先を決めてき」
はい、と答えて、俺は自分の机の段ボール箱の前に座った。
そして、気づいた。
この4日間、俺が何をしていたか。
1日目、鳩の糞を掃除していた。2日目、重箱を1個ももらえずに見ていた。3日目、首を傾げたまま運ばれていく20人を見送っていた。4日目、似顔絵を描いていた。
コンペの魔物の仕様書は、1行も進んでいなかった。
机の上には空の方法を出し合った日の段ボールの壁が、まだ貼ってあった。『浮く(風まかせ)』。その下は白紙のままだった。糸で風に乗る、というところまでしか決まっていない。どんな体で何匹でどこへ行って、女神様の前で何をするのか。何ひとつ、決まっていなかった。
「……ミカさん」
「はい」
「コンペまで、あと12日ですよね」
「はい。ただし」
ミカさんは日程表を広げた。
「コンペの前に、下界での試験リリースが必要です。試験リリースの申請締め切りは、あと3日です」
「3日」
「申請には、完成した仕様書が必要です」
3日で白紙の仕様書を完成させなければならない。引き留め作戦に4日使った結果、魔物を作る時間は3日しか残っていなかった。
前世でもこういうことはあった。大事な企画書の締め切りの週に限って、部署の送別会の幹事を任され、送別会の出し物の練習をしているうちに、締め切りの前日になっている。送別会は大成功して、企画書は白紙のまま出した。
今回は白紙では出せない。白紙で出したら、ヨルムさんが送別される側になる。
「新人、顔が青いで」
ベランダから、ヨルムさんの声がした。
「……今、そろそろ本気で考えないとまずいことに、気づきました」
「今気づいたんか」
「今気づきました」
「遅いわ」
ヨルムさんは雲を吐いて、笑った。
「まあ、ええ。3日あったら、仕様書1枚くらい書けるやろ」
「第一課の竜の仕様書は、1200ページあります」
「知っとる」
「こっちは、1枚です」
「ほな、1枚で勝ち」
ヨルムさんはあっさり言った。
「どこへ行って、何をする魔物なんか。その1行が決まったら、残りはなんとかなる。1200ページあっても、寝返りの向きまで決めとる竜より、あんたの1行の方が大事や」
「寝返りの向き、なんで知ってるんですか」
「あんたが帰ってきて、3回は話しとったやろ」
話していたらしい。
第一課とのコンペまで、あと12日。試験リリースの申請締め切りまで、あと3日。
第七課の福利厚生に段ボールの似顔絵が1枚、加わった。コンペの魔物の仕様書は、まだ白紙だった。




