第13話 第一課の竜
第一課とのコンペまで、あと17日。
「真壁さん。これを、局の経理課へ提出してきてください」
朝一番、ミカさんが俺に封筒を渡した。
中身は始末書だった。一昨日の滑空実験で湿らせた段ボール箱の分と、同じ実験でポケットの中で湿った始末書そのものの分。始末書を濡らした始末書である。
「始末書の始末書って、あるんですか」
「あります。規程第311条です」
ミカさんは封筒の口をきっちり糊で閉じた。
「局の経理課は、正面玄関から入って、第一課のフロアを抜けた先です。迷わないでください。第一課の中で迷うと、不審者として扱われます」
「第七課の職員が第一課にいたら、不審者なんですか」
「前例は」
課長が顔を上げた。
「あるよ。何度か」
あるらしい。どういう前例なのかは、聞かないことにした。
*
生物設計局の正面玄関をくぐるのは、初出勤の日以来だった。
第一課のフロアは相変わらずガラス張りで、明るかった。天井からは、ヴァルナの模型が翼を広げて吊るされている。その下をスーツ姿の天使たちが、書類を抱えて早足で行き交っていた。
そして、フロアの奥の大会議室から、声が漏れていた。
「――ですから、鱗の光沢は真珠系で統一すべきです」
「いや、オパール系の方が、下界の夕陽に映える」
「光沢部会の結論は、先週出たはずでは?」
「あれは朝日の場合の結論だ。夕陽は別の部会だ」
ガラスの壁越しに中が見えた。
長い机に30人ほどの設計士が座っていた。壁には、ホワイトボードが10枚並んでいる。10枚。第七課には段ボールの裏しかない。机の上には湯気の立つ飲み物と、焼き菓子の皿。会議におやつが出ている。
迷わないでください、とミカさんは言った。
俺は迷うことにした。
*
大会議室の扉の脇に立ち見用の空間があった。第一課の若手らしい天使が何人か立っていたので、その後ろに紛れ込んだ。背中の羽が小さいので、目立たなかった。この羽が役に立ったのは、転生して初めてだった。
正面のホワイトボードに、議題が書かれていた。
『蒼天竜ヴァルナ・改 第48回全体会議』
48回。お題が出てから、まだ3日しかたっていない。1日に16回は会議をしている計算だった。
議題は上から順に並んでいた。
1、鱗の光沢(真珠系かオパール系か)
2、寝言の言語(古代語か現代語か)
3、尾の振り方のかっこよさ(採点基準の見直し)
4、登場時の効果音(「ゴゴゴ」か「ドドド」か)
5、勇者対策部会からの報告
4番の議論がちょうど始まったところだった。
「『ゴゴゴ』は重厚感があります」
「『ドドド』の方が、接近してくる感じが出る」
「両方鳴らせばいいのでは」
「予算は?」
「あります」
両方鳴らすことになった。第七課なら、「ゴ」を1回鳴らすのに年度をまたぐ。
続けて、2番の寝言の議論が蒸し返された。
「古代語案です。『グルォ……ヴァルナ……ソラ……』。威厳があります」
「現代語案です。『……あと5分……』。親しみがあります」
「親しみは要らないだろう。竜だぞ」
「お待ちください。勇者対策部会としては、現代語案を推します。寝言で『あと5分』と言う竜を、勇者は起こせないはずです」
会議室がざわついた。説得力があった。前世の俺も、「あと5分」と言っている人を起こすのは苦手だった。
結局、古代語と現代語を1日おきに交互に言うことになった。月曜は「グルォ」、火曜は「あと5分」。予算はあった。
俺は隣に立っていた若手の天使に、小声で聞いた。
「あの、仕様書って、何ページあるんですか」
「1200ページです。……ところで、どちらの部会の方ですか」
しまった、と思った。
第七課です、と言えば、つまみ出される。とっさに、さっき聞いたばかりの部会の名前が口から出た。
「い、印鑑部会です」
「ああ、よかった!」
若手の天使は顔を輝かせた。
「印鑑部会、人手が足りなくて困ってたんです。1ページごとに決裁印が5つなので、全部で6000個。まだ4200個残ってます。これ、お願いします」
どさり、と腕の中に紙の束と印鑑が乗せられた。200ページ分だった。
俺は会議室の隅の小机で、ヴァルナ・改の仕様書に印鑑を押し始めた。
押しながら、つい中身を読んでしまった。
【仕様書(第612ページ)】
くしゃみ:あり(かっこよく)
あくび:3種類(かっこよく、とても、かっこよく)
寝返り:時計回りのみ(反時計回りは第2版で実装予定)
【仕様書(第613ページ)】
寝返り時の効果音:「ゴゴゴ」および「ドドド」
寝返りのたびに、「ゴゴゴ」と「ドドド」が鳴る竜だった。隣で寝る生き物はたまったものではない。
前世の商品企画部では、試食会の資料に1日300個、承認印をもらって回っていた。押す側の手つきは嫌というほど見てきた。俺の印鑑を押す速さは、みるみる上がった。
「あの人、速くない?」
「新人らしいよ。印鑑部会の」
「印鑑部会に、あんな逸材が」
背後で若手たちがひそひそと話していた。第七課では字が汚いと言われ続けているが、第一課では印鑑の才能を評価されつつあった。
200ページ、1000個を押し終えたところで、議題が5番に移った。
*
「では、勇者対策部会、報告を」
議長席に座っていたのは、ルシアさんだった。
立ち上がったのは眼鏡をかけた几帳面そうな天使だった。手元の資料は驚くほど分厚かった。
「前回のヴァルナは、目立ちすぎたことで下界の標的となり、1年で討伐されました。そこで本部会では、目立っても狩られない竜を実現するため、他の課の事例を徹底的に調査しました」
彼は資料の表紙を掲げた。
見覚えのある書式だった。
『第七課 リリース1号〜6号 査定報告書(写し)』
俺は思わず前のめりになった。
「第七課の事例から、以下の機能を採用します」
ホワイトボードに項目が書き出されていった。
・人間を見たら、首を傾げて見上げる(リリース2号より)
・危険を感じたら、全身の鱗を厚くする(リリース1号より)
・体色に警告の模様を入れる(リリース3号より)
・熱で敵を包む(リリース4号より)
・勇者に「守る」と書かれる(リリース6号より)
最後の1行だけ、機能ではなく願望だった。
「……首を傾げる竜?」
思わず声が出た。周りの若手たちが一斉にこっちを見た。
「全長45mの竜が、冒険者を見て、首を傾げて見上げるんですか」
「そうです。実物で、ご覧に入れましょう」
勇者対策部会の天使が合図をすると、会議室の奥の扉が開いた。10分の1の試作模型、全長4.5mの竜が台車に乗せられて運ばれてきた。
模型の前に冒険者役の天使が立った。
竜の模型がゆっくりと、首を傾げた。
傾げた。
さらに、傾げた。
首の重さに体がついていかず、竜の模型は首を傾げたまま、横倒しになった。台車ごと床に倒れ、冒険者役の天使の上に、鱗の山が崩れ落ちた。
「……戻りません」
冒険者役の天使が鱗の下から報告した。
「首が、傾いたまま戻りません」
会議室が静まり返った。
ルシアさんが議長席で、額を押さえた。
「……整体部会を、新設します」
「予算は?」
「あります」
第一課ではどんな問題も、部会と予算で解決するらしかった。
「40mだろうと45mだろうと、竜が首を傾げたら、見上げるのは冒険者の方です」
思わず声が出ていた。印鑑を持ったまま。
ルシアさんがゆっくりと、こっちを向いた。
「……真壁さん?」
ルシアさんは俺の手元の印鑑と、押し終えた1000個の決裁印を見比べた。
「なぜ、第七課の人が、うちの仕様書に決裁印を押しているの」
「……成り行きです」
「しかも、速いわね」
怒られると思ったら、褒められた。
*
不審者として扱われるかと思ったが、そうはならなかった。
ルシアさんは会議を「休憩」にして、俺を会議室の外に連れ出した。怒っているのかと思ったら、そうでもなかった。
「どうだった?」
「え」
「ヴァルナ・改。第七課の人から見て」
ルシアさんは腕を組んで、窓の外を見ていた。窓の外には、ヴァルナの模型の翼が広がっている。
「……第七課の報告書、全部読んでるんですね」
「当たり前でしょう。10期連続最下位の課が、最後に基準を達成したのよ。何をしたのか、知りたいに決まってる」
ルシアさんは、少しだけ口をとがらせた。
「首を傾げる竜は、そんなに変?」
「変です」
「……そう」
ルシアさんは手帳を取り出して、何か書き込んだ。書き込み終わってから、小さな声で言った。
「先輩は、ちゃんと食べてる?」
「ヨルムさんですか」
「雲ばっかり吸ってない?」
「……吸ってます」
「やっぱり」
ルシアさんはため息をついた。
「第一課に戻ってくれば、お昼は毎日、食堂で温かいものが出るのに」
それが、ルシアさんの言う「お迎え」の中身の1つらしかった。
ルシアさんは少し迷ってから、足元の紙袋を持ち上げた。
「これ、先輩に渡しておいて」
紙袋の中には、重箱が入っていた。4段重ねだった。
「……お弁当ですか」
「食堂の残りよ。たまたま余ったの。たまたま4段分」
たまたまにしては、重箱に家紋のような竜の模様が入っていた。
「わたくしからだとは、言わないで」
「じゃあ、誰からって言えば」
「……食堂から」
ルシアさんはそれだけ言って、会議室に戻っていった。紙袋の底に小さなメモが入っていた。
『ちゃんと食べてください(かっこよく)』
食堂はたぶん「かっこよく」とは書かない。
*
ルシアさんはついでだから、と言って、第一課のフロアを案内してくれた。
設計士1人に机が1つずつ。椅子には背もたれがあり、ひじ掛けがあり、キャスターがついている。俺の椅子はゴブリンの祈りの段ボール箱である。
休憩室には、飲み物の機械が3台あった。雲吸い所は、第一課専用のものが日当たりのいい屋上にあった。第七課は第六課との共用である。
そして、休憩室の一番奥にそれはあった。
低い机の下に熱源があり、上から布団がかけてある。何人かの天使が足を入れて、うとうとしていた。
「……コタツ」
「コタツ?」
「前世の、暖房器具です。これ、何ていう名前なんですか」
「足温め机。前からあるわよ。冬は取り合いになるの」
課長が、1回は書く前に止められ、1回は書いて却下されたものが、第一課の休憩室に普通に置いてあった。
前例はあった。第一課に。
この事実を課長に伝えるべきかどうか、俺は、第一課の廊下を歩きながら、ずっと考えていた。
*
帰り際、ルシアさんはヴァルナ・改の仕様書の1ページ目だけを見せてくれた。
「コンペの前だから、全部は見せられないわ。でも、1ページ目くらいはいいでしょう」
1ページ目は基本情報だった。
【仕様書(第1ページ)】
名称:蒼天竜ヴァルナ・改
全長:45m
飛行:自力。風向きに左右されない
行き先:設計者が指定した空域を、正確に巡回する
特殊能力:雲を吐き、雨を降らせる(かっこよく)
「かっこよく、が残ってるんですね」
「先輩の仕様書の、一番好きなところよ」
ルシアさんは仕様書を閉じた。
「風まかせの魔物には、負けないわ」
俺は黙った。第七課の案が糸で風に乗る魔物だということを、ルシアさんは知っているのだろうか。
「……第七課の案、知ってるんですか」
「知らないわ。でも、予算5単位で空を飛ばせるなら、翼じゃないでしょう。風に頼るしかない」
ルシアさんは手をひらひらと振った。
「行き先を決められない魔物は、女神様の前で、どこへ飛んでいくか分からないわよ。気をつけなさい」
一昨日、ヨルムさんに言われたことと、同じだった。先輩と後輩で同じことを言っていた。
*
局の経理課は第一課のフロアを抜けた、さらに奥にあった。
扉が2つ並んでいた。『経理課会議室』と、『経理課会議準備室』。ミカさんが言っていた、規程の穴で増やした会議室だった。
どちらの部屋も空だった。
受付の天使に始末書を渡すと、天使は封筒を開け、湿った2枚の用紙を眺めた。
「始末書の始末書ですね」
「はい」
「規程第311条に基づき、受理します。なお、始末書の始末書を湿らせた場合は」
「……場合は」
「始末書の始末書の始末書になります」
俺は封筒を両手で持って、慎重に第七課へ帰った。
*
「遅かったな」
ヨルムさんが雲吸い所から顔を出した。
「迷いました。第一課で」
「迷うな言われたやろ」
「迷うことにしました」
俺は見てきたことを全部話した。48回目の会議。1200ページの仕様書。月曜と火曜で言語が変わる寝言。1000個押した印鑑。首を傾げたまま戻らなくなった模型。
ヨルムさんは首を傾げる竜のところで、雲にむせた。
「……45mの竜が、首傾げるんか」
「傾げます。第七課の報告書を読んで、採用したそうです。今は、戻らないので、整体部会ができました」
「うちのモフルを、竜に」
ヨルムさんはしばらく咳き込んでから、窓の外の第一課を見た。
「あの子、うちの課の報告書、全部読んどるんか」
「全部読んでました。付箋もついてました」
ヨルムさんは何も言わなかった。雲のパイプを指の間でくるりと回した。
「それと、これ。食堂からです」
俺は紙袋を差し出した。ヨルムさんは4段の重箱を開けた。1段目に竜の形のおにぎりが並んでいた。
「……食堂が、竜の形のおにぎり握るか」
「握るそうです。たまたま」
「たまたま4段か」
「たまたま4段です」
ヨルムさんは竜のおにぎりを1つ手に取って、しばらく眺めていた。それから、尻尾の方から、がぶりとかじった。
「……味付けが、昔から変わってへん」
食堂の味を昔から知っているらしかった。
ヨルムさんは重箱を4段とも平らげた。雲以外のものを食べているヨルムさんを、俺は初めて見た。
俺はもう1つの報告を、最後に回していた。
「課長」
「なんだい」
「第一課の休憩室に、コタツがありました」
課長の手から、舟の模型が落ちた。
「……前例が」
「あります。第一課に。冬は取り合いになるそうです」
課長は落ちた舟を拾い上げて、そっと机に置いた。それから、引き出しを開けて、便箋を取り出した。
『第一課のコタツの、第七課への貸し出しについての要望書』
「予算は、かかりません」
課長が先回りして言った。
ミカさんがそろばんを置いて、少し考えてから言った。
「……貸し出しなら、予算はかかりませんね」
課長の要望書が初めて却下されなかった。
第一課とのコンペまで、あと17日。
竜は首を傾げることになり、課長はコタツに1歩近づき、俺はまだ、行き先の決まらない魔物の仕様書を1行も書いていなかった。




