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異世界の魔物、だいたい俺の設計ミスです ~天界の窓際部署に転生したら、予算0単位で魔王まで作らされた~  作者: 中原九尾
第2部:魔物コンペ編

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第12話 空の予算は5単位

 第一課とのコンペまで、あと19日。


 朝、くしゃみをしたら、口から小雨が出た。


 昨日、雲の海に落ちて、2時間かけて這い上がった。その間に雲をたっぷり吸い込んだらしい。くしゃみのたびに、机代わりの段ボール箱に、ぱらぱらと細かい雨が降る。


「新人、箱が湿気るからあっち向いてくしゃみし」


「すみません。体の中で、雨が降ってます。初日から、雲を吸ったらこうなるんじゃないかと思ってたんです」


「思っとったことが、ほんまになったな」


 ヨルムさんはなぜか少し嬉しそうだった。


 ミカさんが湿った段ボール箱を見て眉をひそめた。


「その箱、備品です」


「ゴブリンの祈りが入ってた箱ですよね」


「中身は祈りですが、箱は備品です。湿気で潰れた場合、始末書が必要です」


 くしゃみ1回につき、始末書の危険。俺は窓の外に向かってくしゃみをすることにした。窓の外は雲の海だった。雲に雨を返しているだけなので、誰にも迷惑はかからなかった。


   *


「整理するで」


 ヨルムさんが、段ボール箱の側面をはがして、裏返しに壁に貼った。ホワイトボードの代わりだった。予算5単位の課には、ホワイトボードがない。


 ヨルムさんは赤ペンで大きく書いた。


『空にいる方法』


「翼で飛ぶ。これは40単位。無理」


 1行目に赤い線が引かれた。


「ほな、他の方法や。何でもええから出せ」


「跳ぶ、はどうですか。カエルみたいに」


「跳んだら、すぐ下りてくる。空にいる時間、何秒や」


「……1秒くらいです」


「女神様が1秒でワクワクしてくれたらええけどな」


 2行目に赤い線。


 課長が、遠慮がちに手を挙げた。


「投げてもらう、というのは」


「誰にですか」


「人間に。下界の人間は、何でも使うのだろう? 魔物を投げる遊びが流行れば」


「課長、それは空の魔物ではなく、空を飛ばされる魔物です」


 ミカさんがそろばんをはじいた。


「ただ、他人に投げてもらう場合、魔物側の費用はゼロです」


「ミカさん、採用しようとしてません?」


「経理として、費用ゼロの案は一度は検討します」


 3行目は線を引くかどうかで3分揉めて、結局、細い線が引かれた。


「鳥の背中に乗る、はどうですか」


「鳥は、第三課の管轄や」


 ヨルムさんが即座に言った。


「他の課の魔物の背中に、無断で住みつかせたら、不法占拠や。第三課から苦情が来る。コタツバチのときみたいにな」


「乗車賃を払えば」


「乗車賃の規程は、ございません」


 ミカさんが、規程の本をめくりながら言った。


「規程がないということは、禁止もされていません。ただし、前例も」


「ない」


 課長がここぞとばかりに言った。今日の課長は口癖を言う機会を1度も逃さなかった。


 4行目に点線が引かれた。保留、という意味らしい。


「落ちる」


 俺が言うと、全員がこっちを見た。


「昨日、俺が実証しました。空にいる時間は、飛ぶより長かったです。落ちてる間は、ずっと空にいました」


「で、最後はどうなった」


「雲に刺さりました」


「下界に雲はあらへん。地面や」


 5行目に太い線。


 段ボールの壁は線だらけになった。残った方法はまだ1つもなかった。


   *


「滑空、を試させてください」


 俺はヨルムさんに頼んだ。


「翼を動かして飛ぶんじゃなくて、広げた膜で風を受けて、滑るように下りるんです。前世には、ムササビとか、トビトカゲとか、そういう生き物がいました。膜なら、翼より安いかもしれません」


「実験するんか」


「空を知らない奴に、空の仕様書は書けないので」


 ヨルムさんの口の端が上がった。昨日の自分の言葉をそのまま返されたのが面白かったらしい。


 膜の代わりになるものを、俺は部屋の中で探した。そして、見つけた。


 段ボール箱である。


 ゴブリンの祈りが入っていた箱を1つ開いて、平らに広げる。両端を持つと、畳1枚分くらいの面積になった。前世の俺の上に崩れてきたものと、同じ素材だった。俺を殺した素材で俺は空を飛ぼうとしていた。


「それ、備品です」


 ミカさんが言った。


「実験器具として使用し、返却します」


「濡れたら始末書です」


「雲の上なので、たぶん濡れます」


「では、始末書の用紙を先にお渡しします」


 ミカさんは始末書の用紙を1枚、俺の上着のポケットに差し込んだ。準備がよすぎる。


 ベランダの手すりの上に立った。段ボールを両手で広げ、雲の海を見下ろす。後ろでヨルムさんが砂時計を構えていた。課長は目を閉じて祈っていた。ミカさんは始末書の2枚目を用意していた。


「行きます」


 俺は飛んだ。


 段ボールが風をはらんだ。一瞬、体がふわりと持ち上がった気がした。前に進んでいる。落ちていない。俺は確かに空を――


 段ボールが真ん中から折れた。


 俺は昨日とまったく同じ角度で、昨日とまったく同じ場所に、雲の中へまっすぐ刺さった。


 上から、ヨルムさんの声が降ってきた。


「滑空時間、0.8秒ー」


「跳ぶより、短いですかー」


「短いー」


 雲から這い上がるのに、今日は1時間半かかった。昨日より30分速くなった。上達したのは飛ぶことではなく、這い上がることだった。


 始末書はポケットの中でしっかり湿っていた。


   *


 ずぶ濡れで課に戻ると、課長が舟の模型を机の真ん中に置いて待っていた。


「真壁くん。1つだけ、昔の話をしてもいいかな」


「はい」


「舟に生き物を積んでいたころ、よく聞かれたんだよ。こんなに重いものが、なぜ沈まないのか、と」


 課長は舟の模型を指でなでた。


「舟は、自分の力で浮いているわけではない。自分より大きな水に、乗せてもらっているんだ」


 それだけ言って、課長はまた模型を磨き始めた。


 乗せてもらう。


 自分の力で飛ぶのではなく、自分より大きなものに、乗せてもらう。


 俺は、濡れた前髪をかき上げながら、窓の外を見た。雲の海の上を風が吹いていた。雲の切れ端が風に乗って、ゆっくりと流れていく。


 雲は翼を持っていない。それでも、ずっと空にいる。


「……風に、乗せてもらえばいいんだ」


 前世の、秋の夕方を思い出した。


 実家の庭の植え込みに、細い糸が何本もきらきら光りながら空に向かって伸びていた。糸の先には、ごま粒ほどの小さなクモがぶら下がっていた。糸が風を受けて、クモごと、ふわりと浮き上がる。そのまま、どこまでも飛んでいった。


 あのとき見ていたドキュメンタリーでは、確か、こう言っていた。


 生まれたばかりのクモの子は、お尻から糸を出して、風に乗って旅に出る。翼も膜もないのに糸1本で、何千mの上空まで上がることがある。海を越えて、何百kmも先の島にたどり着くこともある。


 飛ぶのではない。浮くのだ。


「ヨルムさん」


「なんや」


「糸です」


 ヨルムさんが雲のパイプを口から離した。


「糸で、風に乗る魔物を作ります。翼はいりません。膜もいりません。小さな体と、糸を出す仕組みだけあればいい」


「糸を出す器官は、40単位です」


 ミカさんが即座に言った。


「シラタマのときと同じ金額です」


「……ですよね」


 俺は段ボールの壁の前で頭を抱えた。翼も40単位。糸も40単位。空はどこから入っても40単位の入場料を取る。


   *


「お待ちください」


 ミカさんが規程の本を開いた。付箋の森の中から、迷いなく1枚を引き抜く。


「第203条。『自課が過去に設計し、決裁を受けた器官を、新たな魔物に流用する場合、設計費は要しない』」


 部屋が静かになった。


「……シラタマの糸の器官は、うちの課が設計して、決裁を受けています」


「はい」


「それを流用すれば」


「設計費は、ゼロです」


 ミカさんの眼鏡が光った。第412条の穴を見つけたときと、同じ光り方だった。


「実装費は、個体の大きさで決まります。体をシラタマの100分の1にすれば、1匹あたり0.01単位。予算5単位で、500匹です」


「500匹」


「ただし、小さい糸で、小さい体です。竜の100分の1ではなく、竜の10万分の1くらいの大きさになります」


 竜の10万分の1。ルシアさんの設計図の竜の、爪の先の、そのまた先くらいだった。


 ヨルムさんが段ボールの壁に近づいて、赤ペンで最後の行を書き足した。


『浮く(風まかせ)』


 線は引かれなかった。


 ヨルムさんはしばらくその文字を見ていた。


「竜に勝つ魔物が、風まかせのちっこい虫か」


「……だめですか」


「だめとは言うてへん」


 ヨルムさんは赤ペンのキャップを閉めた。


「ただな、新人。竜は、自分の翼で、行きたい方へ飛ぶ。風まかせは、風が吹いた方へしか行かれへん。女神様の前で、行き先も決められへん魔物を出すんか」


「……考えます」


「考え。19日ある」


「18日です。今日が終わるので」


「細かいな。ミカが移ったんちゃうか」


 ミカさんが少しだけ嬉しそうな顔をした。


   *


 終業後、俺はベランダに出た。


 ヨルムさんは雲吸い所で1人、パイプをくわえていた。パイプの持ち手には、グラナ村の白い絹が巻いてある。


「ヨルムさん」


「なんや」


「実験を、もう1回だけ」


「今日はもう這い上がる元気ないやろ」


「糸を貸してください」


 俺はヨルムさんのパイプを指さした。


「その絹をほどいて、風に乗れるか試させてください。本物の、シラタマの糸なので」


 ヨルムさんはパイプを胸に抱え込んだ。


「あかん」


「1回だけ」


「あかん。これは、あかん」


「でも、課の資産ですよね。ミカさんがそう言ってました」


「私が預かっとる資産や。預かっとるもんは、貸されへん」


 経理の論法をヨルムさんが使っていた。どうやら、この課では大事なものを守るときには全員がミカさんの口調になるらしい。


 結局、糸は借りられなかった。代わりにヨルムさんは、パイプの煙――正確には雲――を、俺の顔にふうっと吹きかけた。


 俺は盛大にくしゃみをした。


 口から出た小雨が風に乗って、雲の海の方へふわりと流れていった。


「……浮きましたね、今の」


「あんたの雨がな」


 風まかせの小雨は夕焼けの中を、どこまでも流れていった。行き先は誰にも分からなかった。


 第一課とのコンペまで、あと18日。


 空の魔物の予算は5単位。そのうち、使い道が決まったのは、まだ0単位だった。

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