第10話 誰も討伐しない魔物
第七課廃止まで、あと13日。
リリース先は、グラナ村の村はずれにした。
ゴブリンが保育所を営んでいる、あの村だ。畑があり、人がいて、子供がいる。人間のそばでしか生きられない魔物を放すなら、人間が一番たくさんいる場所がいい。
水鏡の中、村はずれの桑に似た木の根元に、白くてむっちりした幼虫が100匹、ころりと現れた。
シラタマである。
幼虫たちは、その場で、じっとしていた。
1分たっても、じっとしていた。
10分たっても、じっとしていた。
「……新人」
「はい」
「餌の葉っぱ、どこや」
俺は、水鏡を覗き込んだ。桑に似た木の葉は、幼虫たちの頭上、ちょうど30cmほどのところで揺れていた。
仕様書の採餌の欄を思い出す。『餌の葉は、口元に置かれたものだけを食べる』。
口元に、ない。
「……30cm、離れてます」
「30cm、歩かれへんのやな」
「歩かれへんように、設計しました」
ミカさんが、そろばんを胸に抱いたまま青ざめた。
「このまま誰も通りかからなければ、明日の朝には全滅です」
リリース初日で、全滅。魔素43単位。第七課の最後の予算を詰め込んだ魔物が、餌の30cm下で飢えようとしていた。
課長が、目を閉じて両手を組んだ。天使が、また祈っていた。
「風を吹かせて、葉を落とすのはどうですか」
「天候の操作は、第二課の管轄です」
ミカさんが、震える手で規程の本をめくった。
「申請から許可まで、最短で3週間」
「3週間後には、繭どころか骨も残らへんわ」
「虫に骨はありません」
「そういう話ちゃうねん」
ヨルムさんが、頭を抱えた。
「ほな、枝を曲げる」
「植物の形状変更も、第二課です」
「第二課、何でも持っとるな」
「第二課は、うちの課の10倍の予算があります」
予算が10倍ある課は、風も枝も持っている。予算のない課は、天使の祈りしか持っていなかった。
*
通りかかったのは、ゴブリンだった。
村はずれの保育所から、子供のゴブリンを3匹連れた大人のゴブリンが、散歩の途中で木の下に差しかかった。そして、足を止めた。
白い幼虫が、100匹、動かずにそこにいる。
大人のゴブリンは、しばらく首をかしげていた。それから、手を伸ばして木の葉を1枚ちぎり、幼虫の口元に置いた。
幼虫が、葉を食べ始めた。
ゴブリンは、満足そうにうなずいて、次の葉をちぎった。子供のゴブリンたちも、真似をして葉をちぎり始めた。
「……子育て本能や」
ヨルムさんが、呆然と言った。
「あんたがゴブリンに足した本能。自分で飯を食われへん小さいもんを見たら、面倒見てまうんや」
ゴブリンの仕様を直したとき、俺はゴブリンに「子供が独り立ちするまで面倒を見る本能」を足した。独り立ちの基準を書けと、ヨルムさんに赤ペンで言われた。結局、俺は「自分で餌を食べられるようになるまで」と書いた。
シラタマは、一生、自分で餌を食べられるようにならない。
つまり、ゴブリンにとって、シラタマは一生独り立ちしない子供だった。
「遺品整理係の引き継ぎが、ここでつながるんか」
「前例が」
「ないです」
課長が言い終わる前に、課の全員が答えた。課長は、少しだけ嬉しそうだった。
*
3日目。天界の3日は、下界の3週間である。
ゴブリン保育所の隅に、木の箱が置かれるようになった。箱の中には、桑に似た葉と、白い幼虫がぎっしり。保育所の子供たちは、ゴブリンの子も人間の子も、交代で葉を入れていた。
あの踊りのうまい少年もいた。少年は、箱の前にしゃがみこんで、幼虫に話しかけていた。
「白くて、まるくて、たまみたいだから、しらたまな」
水鏡の前で、俺は固まった。
「……名前、合ってます」
「合ってるな」
「仕様書、見られてませんよね」
「下界から天界の仕様書は見えへん」
下界の子供が、仕様書と同じ名前を、自分で思いついていた。二つ名ではなかった。怖がられてつけられた名前でもなかった。白くて、まるくて、たまみたいだから。それだけの名前だった。
ヨルムさんは、何も言わずに雲を吸っていた。雲は、いつもより長く吐き出された。
同じ週、祈りが届いた。
【祈りの写し】
差出人:グラナ村の主婦
内容:女神様。晴れているのに、村はずれから雨の音がします。今週、洗濯物を5回取り込みました。5回とも、晴れていました。どうにかしてください。
「来ました」
ミカさんが、祈りの紙を掲げた。珍しく、声が弾んでいた。
「脅威の実績です。第88条、証拠つきで満たしました」
下界の主婦の苦労が、天界の経理を喜ばせていた。申し訳なかった。
*
5日目。幼虫たちは、白い繭を作った。
保育所の子供たちは、急に動かなくなった幼虫を見て、泣きそうになっていた。そこへ、村の老婆が杖をついてやってきた。村長の母親らしい。老婆は、繭を1つ手に取り、光に透かして、目を細めた。
「こりゃあ、糸が取れるよ」
老婆は、繭を湯に浸し、指先で糸の端をつまんで、ゆっくりと引いた。細い、きらきらした糸が、どこまでも続いていた。
前世の教室で、先生が見せてくれた光景と、同じだった。
その夜、グラナ村の広場に、村中の人間が集まった。村長が、老婆の紡いだひと巻きの糸を掲げていた。
祈りが、また届いた。
【祈りの写し】
差出人:グラナ村の村長
内容:女神様。村はずれに現れた白い虫から、見たこともないほど美しい糸が取れました。
村で、大事に育てます。虫のための小屋を建てます。世話はゴブリンの皆さんが引き受けてくれるそうです。
洗濯物は、屋根の下に干すことにしました。
なお、小屋の名前は、村の子供たちの投票で「しらたま保育所 第2分室」に決まりました。
洗濯物の問題は、下界で解決されていた。人間は、脅威と共存する方法を、脅威の設計者より先に見つけていた。
*
7日目。事件が起きた。
水鏡の端に、茶色い髪の青年が映った。
課の全員が、立ち上がった。4度目だった。慣れる気配は、少しもなかった。
勇者レオンは、グラナ村の広場を抜け、村はずれへ歩いていった。そこには、完成したばかりの小屋があった。木の壁に、ゴブリンの子供たちが描いた白い虫の絵が貼ってある。
勇者は、小屋の戸を開けた。
中では、棚という棚に木の箱が並び、白い幼虫が、さああ、と雨のような音を立てて葉を食べていた。大人のゴブリンが2匹、せっせと葉を配っている。
勇者は、剣の柄に手をかけた。
ミカさんが、そろばんを落とした。
そのとき、小屋の奥から、あの少年が飛び出してきた。両手を広げて、勇者の前に立ちふさがった。
「だめ! しらたまは、村の子だから!」
勇者は、柄に手をかけたまま、少年を見下ろした。
少年の後ろで、ゴブリンが2匹、葉っぱを抱えたまま、勇者を見上げていた。その後ろで、白い幼虫たちが、何も知らずに葉を食べ続けていた。
長い沈黙があった。
勇者は、柄から手を離した。しゃがみこんで、少年と目線を合わせ、何か話していた。水鏡の音声は、少年の笑い声しか拾わなかった。
勇者は、帰り際、村の雑貨屋で、白い糸で縫った小さな布を1枚買っていった。
ヨルムさんが、勇者の討伐記録の綴りを開いた。最新の行を読んで、そのまま俺に回してきた。
『シラタマ 守る』
「守る……」
「討伐記録に『守る』が書かれたの、初めてや」
課長が、口を開きかけた。
全員が、課長を見た。
課長は、口を閉じた。今回は、言わせてあげようと思っていたのに、課長の方が遠慮した。
翌日、討伐記録には、もう1行増えていた。
『白い布 汗がよく拭ける』
「……魔物の記録ですよね、これ」
「あの子、たまに日記と間違えるねん」
勇者の討伐記録は、少しずつ、勇者の生活記録になりつつあった。
*
13日目。期末の日だった。
第七課の扉を開けると、机の上に段ボール箱が1つ置いてあった。
俺は、反射的に3歩下がった。
「神殿経由の供物です」
ミカさんが言った。
「下界の祈りと一緒に、神殿に供えられた品が、担当の課に届くことがあります。前例は、少ないですが」
箱を開けると、白い布が1枚、きれいに畳まれて入っていた。光に当てると、つやつやと輝いた。添え状が1枚。
『グラナ村より。村はずれの白い虫の、最初の糸で織りました。女神様、ありがとうございます』
ヨルムさんが、布を手に取った。しばらく眺めてから、それを雲のパイプに、くるくると巻きつけた。
「……何してるんですか」
「持ち手が冷たいねん。前から」
木の枝を削ったパイプに、白い絹が巻かれていた。金のパイプよりも、ずっと似合っていた。
「その布、備品台帳に」
「私物や」
「供物は、課の資産です」
「ほな、課の資産を私が預かっとる」
ミカさんは、帳面に何か書き込み、何も言わなかった。書き込んだ文字は、見えなかった。
*
午後、ミカさんが最後の査定用紙を読み上げた。
「リリース6号、シラタマ。査定結果」
課の全員が、息を止めた。
「野生での生存、0日」
俺の心臓が、止まりかけた。
「下界での生存、91日。現在も繁殖継続中。飼育数、推定3000匹。飼育場所、グラナ村、および近隣の村3か所」
ミカさんは、査定規程の本を開いた。
「第412条。『生存とは、リリースした魔物が、下界において種として繁殖を継続している状態をいう』」
顔を上げた。眼鏡の奥の目が、少しだけ赤かった。
「基準、達成です」
誰も、すぐには声を出さなかった。
それから、課長が、ゆっくりと立ち上がった。舟の模型を机に置いた。
全員が、課長を見た。今度こそ、誰も遮らなかった。
「第七課が、期末の査定基準を達成した」
課長は、胸を張って言った。
「前例が、ない」
3か月分の「前例がない」の中で、一番いい「前例がない」だった。
課長は、そのまま机の引き出しを開け、便箋を取り出した。
『第七課存続に伴う、コタツの導入についての要望書』
「課長」
「存続したのだから、前例を作るのも悪くないと思ってね」
「予算はありません」
ミカさんが、祝福の空気を1秒で締めた。課長は、便箋を引き出しにしまった。第七課の育休の要望書の、上に。
*
夕方、雲吸い所で、ヨルムさんと並んで雲を吸った。俺は、今日は3回しかむせなかった。
「新人」
「はい」
「これは、勝ちなんか。負けなんか」
ヨルムさんは、絹を巻いたパイプを見ていた。
「シラタマは、1回も飛ばへん。竜は、1年だけ飛んで、狩られた。どっちが、ええんやろな」
俺は、しばらく考えた。
「ヴァルナは、雨を降らせて、森を残しました。シラタマは、飛ばないで、糸を残してます。どっちも、何か残してます」
「……」
「それに、ヨルムさんのパイプに巻いてある絹、下界の子供たちが葉っぱをあげて育てた虫の糸です。飛ばなくても、ちゃんと天界まで届いてます」
ヨルムさんは、長いこと黙っていた。
それから、雲を吐いて、笑った。
「字、汚いくせに」
「それ、褒めてます?」
「褒めとる」
ヨルムさんは、胸ポケットから赤ペンを取り出して、俺の手の甲に、何か書いた。
『字、ちょっとだけ上手なった』
「……手に書かないでください」
「紙がなかってん」
*
雲吸い所の扉が、勢いよく開いた。ルシアさんだった。
「おめでとう、先輩。第七課、存続ですって」
「わざわざ言いに来たんか」
「通達を届けに来ただけよ。それと」
ルシアさんは、少しだけ声を落とした。
「ミニドラ、王都で飽きられたわ」
「そうなんか」
「貴族の奥様方、今は白い絹のドレスに夢中なんですって。どこかの村はずれの虫の糸で織った」
ルシアさんの笑顔の端が、わずかに引きつっていた。モフルの市場を奪ったミニドラの市場を、今度はシラタマの糸が奪っていた。王都の流行は、天界の課の順番どおりには回らないらしい。
ルシアさんは、1枚の紙をヨルムさんに差し出した。
『来期、第一課と第七課による新規魔物コンペを実施する。女神アルマ様がご覧になる』
「女神様、直々に?」
「ええ。第七課の糸の噂が、女神様のお耳に入ったそうよ。『地味で、しぶとくて、面白い』って」
ルシアさんは、ヨルムさんを見て、少しだけ口の端を上げた。
「今度は、手加減しないわ」
「いつ手加減したんや」
「……さあ」
ルシアさんは、踵を返して去っていった。扉の向こうで、第一課の玄関の竜の模型が、夕陽を受けて光っていた。
ヨルムさんは、通達の紙を丸めて、ポケットに突っ込んだ。
「新人。宿題、出したるわ」
「今度は、何ですか」
「竜に勝てる、地味な魔物」
「……矛盾してませんか」
「矛盾を仕様書に落とすのが、うちらの仕事や」
第七課廃止まで、あと――。
ミカさんが、課の壁に貼ってあったカウントダウンの紙を、そっと剥がした。代わりに、新しい紙を貼った。
『第一課とのコンペまで、あと30日』
廃止されない代わりに、締め切りが増えた。前世と同じだった。
グラナ村の小屋では、今夜も、雨の音がしているらしい。外は、晴れているのに。
(第1部 完)




