第9話 母の魔法
雨はいつの間にか上がっていた。
雲の切れ間から夕日が差し込み、濡れた森と道を赤く染めている。
「なぁ?それ、本当に持って帰るのか?」
「え?ダメ?」
狼の魔物の死骸を嬉々として運ぶセトを見て、ゼラムは呆れた声を出した。
「もうちょっと遊び道具は他にあるだろう?」
「これがいい」
そんなゼラムを気にすることなく、ベルコンはガラガラと動いて進んでいく。
「なぁ、セト。それ、疲れないのか?」
「ん?ベルコン?」
「そう、それだ」
「まぁ疲れるけどさ、大した範囲動かしてないから、そうでもないよ」
ベルコンはキャタピラのように進んでいく。
2人の歩幅に合わせて。
村に着く頃には、日はもう山の向こうへ沈みかけていた。
やがて家に着くと、とりあえず庭先に戦利品の遺骸を放り出して、悠々とドアを開けて凱旋した。
「ただいま!」
エーコはセトの後ろに視線を向けた。
そして、庭先に転がる狼の死骸を見て、目を見開いた。
「セト!なにそれ!?」
「凄いでしょ!もらってきた!」
「いらないから!捨ててきて!」
「嫌だ!調べたい!」
「………なにを?」
「んーー?いろいろ?」
セトには漠然と調べたいという欲求があったが、そこに具体性は1ミリもなかった。
「ゼラム?あなたが許可したの?」
「してない。けど、まぁいいかって……」
「どこが?腐るよ?魔物でしょ?魔素が高すぎて食べるとこなんてないのに」
魔物の肉は食べられない。
体内の魔素が高すぎて、人には毒素の排出が追いつかない。
「ねぇねぇ!父さんの魔法凄かったんだよ!」
「父さんの魔法?見えたの?」
「体が大きくなってね!筋肉がこう、ぶわって!」
セトは嬉しそうに、さっき見た父の姿を思い出していた。
両手を使って、全身でその様子を表現する我が子を見て、エーコは目を細めた。
「全然見えないんだ!早すぎて!」
「見えないよね」
(あれが見えたのかと思ったわ)
規格外の息子も、視力は普通だったと思って安堵した。
「母さんの魔法ってどんなの?」
「お母さんね、魔法苦手なんだ……ほら」
エーコの指先に火が灯るが、その色は赤、青と変わり、燃焼が安定しない。
そして火が一瞬大きくなり、エーコは慌てて消した。
「お母さんね、体の魔素を使う場所があんまり良くないんだ」
そういうエーコの顔は、どこか寂しそうに見えた。
ただ、母が魔法を使うときは、いつも少しだけ困った顔をしているように見えた。
「ゼラム、あなた怪我しなかったの?」
「ん?ああ、かすった」
「あなたのかすったは普通の人はちゃんとした怪我なの。ほら、見せて」
傷口を確認したエーコはため息をついた。
「……これ、かすっただけじゃないでしょ」
「いや、本当にかすっただけだ」
「筋肉で止血した?」
「まあな」
「馬鹿」
エーコはゼラムの脇腹に、腰の入ったボディブローを入れる。
「ぜっんぜん痛くない」
ゼラムは胸を張って痛くないとアピールする。
「はぁ……もういいわ。ご飯食べるよ。セト手伝って」
エーコは夕ご飯の準備を始めた。
その後ろをセトがついていく。
「母さん、父さんの魔法って凄い?」
「凄いよ。でもね」
エーコはセトの目線の高さまで腰を落とした。
「身体を強くする魔法は、身体が丈夫じゃないと使えないの」
「じゃあ、母さんは身体が弱いの?」
「弱いっていうのとは違うよ」
「弱くないけど、使えない?」
「魔素ってね、身体に入れるだけじゃ駄目なの。身体の中で余計なものを取り除いて、使える形にしなきゃいけないの。母さんはね、それが少し苦手なの」
セトは少しだけ考えた。
「じゃあ、母さんは魔法を使わないほうがいいの?」
「うん。だから、必要なときだけ」
「じゃあ、代わり僕が魔法使うね」
母さんが使えないなら、自分が使えばいい。
セトにとっては、それだけの話だった。
エーコはセトの頭を撫でた。
「アンタはまだ早いでしょ」
「だってケメルさんが教えてくれるって言ってたよ?」
それを聞いたエーコはスクッと立ち上がり、食卓で既に酒を飲み始めたゼラムを睨む。
「魔法教わるってどういうこと?聞いてないけど?」
「あ、ケメルさんが教えてくれるって」
エーコの笑顔が消えた。
ゆっくりとゼラムを見る。
ゼラムが酒を飲みながら「あ」と小さく声を漏らす。
「聞いてない」
「いや、今言った」
スタスタとゼラムに近づいたエーコは、もう一度腰の入ったボディブローをゼラムの脇腹に入れた。
エーコの拳が、再びゼラムの脇腹にめり込んだ。
「ぐっ……!」
ゼラムの腰が椅子から半分浮き上がった。
セトは目を丸くする。
「父さん、大丈夫?」
「……大丈夫じゃない」
「さっき大丈夫って言ってたじゃん」
「これは別だ……」
魔法は父さんのほうが凄い。
でも、父さんは母さんの一撃で痛がっている。
実は母さんの方が強いのか?
セトはエーコを見た。
その頭には角があるように見えた。




