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瞳に映る坂の街  作者: 橘かすみ


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9/11

9

灯は、あの夜の順番を正確に覚えている。


夕食が終わっていた。

母は流し台に立ち、父は居間で新聞を読んでいた。

テレビでは天気予報をしていた。


特別なことは何もなかった。


灯が言った。


「海が見たい」


思いつきだった。


両親は顔を見合わせた。


父が時計を見た。

母は少しだけ黙った。


「今から?」


灯はうなずいた。


そこでやめることもできた。

「やっぱりいい」と言えた。


でも言わなかった。


父は新聞を畳み、立ち上がった。

車の鍵の音がした。


そこから先は、速かった。


港。

防波堤。

暗い海。

波の音。


振り向いたとき、二人はいなかった。


順番は変わらない。


自分が言った。

両親が動いた。

そして、いなくなった。


教会の長椅子に座りながら、灯はその順番を何度も頭の中でなぞる。


間違っていない。


どこにも飛躍はない。


「私が言ったけんやろ」


声に出してみる。


礼拝堂は静かだ。


少し離れた場所にいる湊が、こちらを見る。


「何が」


「海に行こうって」


灯は続ける。


「私が言わんやったら、あの夜は出かけんやった」


湊はすぐには否定しない。


灯はそれを、肯定に近いものとして受け取る。


「家におったら、死なんやったかもしれん」


可能性の話だとわかっている。

それでも、その可能性が消えない。


何年も考えてきた。


もし言わなかったら。

もし黙っていたら。

もし、あのとき空気を読んでいたら。


湊が言う。


「本気でそう思っとると」


「思っとる」


灯は即答する。


迷いはない。


迷いがないことのほうが、少しおかしいと自分でもわかっている。


湊はゆっくりと言う。


「人はな、ひとつの言葉だけで死なん」


灯は首を振る。


「きっかけにはなる」


声は強くない。


ただ、決めているだけだ。


自分の中で。


「私が言った。それは事実やろ」


湊は黙る。


否定しきれない沈黙。


灯はうなずく。


「やっぱり、私や」


その言葉は静かで、揺れていない。


揺れていないのに、どこか欠けている。


灯は気づいている。


何度同じ順番をなぞっても、答えは出ない。


それでもやめない。


やめたら、自分の中の均衡が崩れる気がする。


あの夜に意味を与えないと、立っていられない。


だから言い続ける。


「私が言ったけんや」


湊はそれ以上、何も言わなかった。


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