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瞳に映る坂の街  作者: 橘かすみ


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4

翌朝も、灯は教会へ向かった。


石段の上には、やはり湊が立っている。


いつも同じ位置。

敷地の内側には入らない。


「今日は曇りですね」


灯が声をかけると、湊は空を見上げた。


「雨になるかもしれん」


その言葉に、灯は昨日の声を思い出す。


——あの日も、雨やった。


思い切って聞く。


「湊さんの言う“あの日”って、いつのことですか」


湊は一瞬、目を伏せる。


「港は、よう人を連れていく」


それだけ。


はぐらかされたとわかる。


灯は教会の扉を見る。


重たい木の扉。


幼い頃、両親の棺が運ばれていった場所。


「中、入らんとですか」


問いかけた瞬間、湊の表情がわずかに固まった。


「……ここからでよか」


柔らかい声だった。


でも、はっきりとした拒絶。


灯は気づく。


湊は、石段から一歩も内側へ入らない。


境界線を越えない。


理由がある。


そう思った。



その日の午後、灯はひとりで教会を訪れた。


扉を押すと、冷えた空気と古い木の匂いが流れ出る。


中は静かだった。


長椅子が整然と並び、祭壇の奥には大きなステンドグラスがある。


赤、青、金色。


聖人の姿が描かれている。


曇り空のわずかな光を受けて、色が床に落ちていた。


色の影が、揺れる。


子どもの頃、この光が怖かった。


祝福の色なのに、なぜか裁かれているような気がして。


灯は視線を外し、奥の小さな事務室へ向かう。


棚には、古い名簿や記録が並んでいる。


戦没者名簿と書かれた冊子を手に取る。


紙は黄ばんでいる。


頁をめくる。


整然と並ぶ名前。


その中に、“湊”という姓があった。


珍しくはない。


それでも鼓動が速くなる。


さらに頁を進める。


そのとき、指が止まった。


番号が一つ、抜けている。


一行分、空白。


破れた跡はない。


最初から、なかったかのような空白。


灯は眉を寄せる。


別の冊子も開く。


戦時中の記録。


そこでも、同じように番号が欠けている箇所があった。


偶然とは思えない。


まるで、名前をひとつ消したような。


喉が乾く。


次に、両親の事故記録を探す。


すぐに見つかった。


名前。


日付。


「海難事故」


それだけ。


詳細は、驚くほど短い。


『港付近で転落』


証言者の欄は、空白。


灯は息を止める。


二人同時に転落して、目撃者がいない?


嵐でもなかったはずだ。


どうして、こんなに簡単な記録なのか。


冊子を閉じる。


そのとき、ステンドグラスに一瞬だけ光が差した。


赤い色が、灯の手元を染める。


まるで血のように見えて、息が詰まる。


罪を告げる色。


けれど、次の瞬間には青い光が重なり、やわらかく溶かした。


赦すような色。


灯は思う。


湊は、この光の中に立てないのだ。


だから外にいる。


罪を抱えたまま。


教会を出ると、石段の向こうに湊が立っていた。


最初からそこにいたように。


「中、どうやった」


灯は一瞬、言葉を選ぶ。


「……光がきれいでした」


本当は、空白のことを言いたかった。


でも、まだ言えない。


湊は教会を見ない。


視線は港へ。


「名前が残らんこともある」


昨日と同じ言葉。


灯の胸がざわつく。


忘れられたのか。


それとも、消されたのか。


ステンドグラスの色が、まだ瞼の裏に残っている。


赤と青。


罪と赦し。


この場所には、何かが隠れている。


灯は確信する。


真実は、教会の内側にある。


そして湊は、


その扉を越えられない。


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