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翌朝も、灯は教会へ向かった。
石段の上には、やはり湊が立っている。
いつも同じ位置。
敷地の内側には入らない。
「今日は曇りですね」
灯が声をかけると、湊は空を見上げた。
「雨になるかもしれん」
その言葉に、灯は昨日の声を思い出す。
——あの日も、雨やった。
思い切って聞く。
「湊さんの言う“あの日”って、いつのことですか」
湊は一瞬、目を伏せる。
「港は、よう人を連れていく」
それだけ。
はぐらかされたとわかる。
灯は教会の扉を見る。
重たい木の扉。
幼い頃、両親の棺が運ばれていった場所。
「中、入らんとですか」
問いかけた瞬間、湊の表情がわずかに固まった。
「……ここからでよか」
柔らかい声だった。
でも、はっきりとした拒絶。
灯は気づく。
湊は、石段から一歩も内側へ入らない。
境界線を越えない。
理由がある。
そう思った。
⸻
その日の午後、灯はひとりで教会を訪れた。
扉を押すと、冷えた空気と古い木の匂いが流れ出る。
中は静かだった。
長椅子が整然と並び、祭壇の奥には大きなステンドグラスがある。
赤、青、金色。
聖人の姿が描かれている。
曇り空のわずかな光を受けて、色が床に落ちていた。
色の影が、揺れる。
子どもの頃、この光が怖かった。
祝福の色なのに、なぜか裁かれているような気がして。
灯は視線を外し、奥の小さな事務室へ向かう。
棚には、古い名簿や記録が並んでいる。
戦没者名簿と書かれた冊子を手に取る。
紙は黄ばんでいる。
頁をめくる。
整然と並ぶ名前。
その中に、“湊”という姓があった。
珍しくはない。
それでも鼓動が速くなる。
さらに頁を進める。
そのとき、指が止まった。
番号が一つ、抜けている。
一行分、空白。
破れた跡はない。
最初から、なかったかのような空白。
灯は眉を寄せる。
別の冊子も開く。
戦時中の記録。
そこでも、同じように番号が欠けている箇所があった。
偶然とは思えない。
まるで、名前をひとつ消したような。
喉が乾く。
次に、両親の事故記録を探す。
すぐに見つかった。
名前。
日付。
「海難事故」
それだけ。
詳細は、驚くほど短い。
『港付近で転落』
証言者の欄は、空白。
灯は息を止める。
二人同時に転落して、目撃者がいない?
嵐でもなかったはずだ。
どうして、こんなに簡単な記録なのか。
冊子を閉じる。
そのとき、ステンドグラスに一瞬だけ光が差した。
赤い色が、灯の手元を染める。
まるで血のように見えて、息が詰まる。
罪を告げる色。
けれど、次の瞬間には青い光が重なり、やわらかく溶かした。
赦すような色。
灯は思う。
湊は、この光の中に立てないのだ。
だから外にいる。
罪を抱えたまま。
教会を出ると、石段の向こうに湊が立っていた。
最初からそこにいたように。
「中、どうやった」
灯は一瞬、言葉を選ぶ。
「……光がきれいでした」
本当は、空白のことを言いたかった。
でも、まだ言えない。
湊は教会を見ない。
視線は港へ。
「名前が残らんこともある」
昨日と同じ言葉。
灯の胸がざわつく。
忘れられたのか。
それとも、消されたのか。
ステンドグラスの色が、まだ瞼の裏に残っている。
赤と青。
罪と赦し。
この場所には、何かが隠れている。
灯は確信する。
真実は、教会の内側にある。
そして湊は、
その扉を越えられない。




