2
翌朝も、灯は目が覚めた。
まだ暗い。
叔母の家は静まり返っている。
布団の中で天井を見つめる。
仕事をしていた頃と同じように眠れないのに、
焦りはもうない。
代わりに、あの声が思い出される。
——朝は、静かでよか。
灯は静かに家を出た。
坂を上る。
息が白い。
石段を登りきると、やはりそこにいた。
港を見下ろす背中。
朝焼けの色に溶け込みそうな横顔。
「今日も、早かね」
灯は小さく笑う。
「眠れんだけです」
湊は頷く。
それ以上は聞かない。
その距離が、心地いい。
しばらく並んで街を見下ろす。
屋根の連なり。
港に浮かぶ船。
朝靄。
灯はぽつりとこぼす。
「ここ、追い出す街やと思っとった」
湊は目を細める。
「どうして」
「坂ばっかりで、息切れて。
早よ出て行きたかった」
湊は少しだけ笑う。
「送り出す街やけん」
灯は顔を上げる。
「送り出す?」
「港があるやろ。
みんな、ここから出ていく」
湊の視線は遠い。
「戻ってくる人もおる」
その声は、どこか願いのようだった。
灯は胸の奥がひりつくのを感じる。
「戻らん人も、おる」
ぽつりと落とす。
湊は黙る。
風が吹く。
しばらくして、湊が言った。
「ここはな、よう泣く場所や。あんたも泣いとった。」
灯の鼓動が揺れる。
「見とったけん」
その言葉に、体が固まる。
「……いつの話ですか」
湊は港を見たまま言う。
「あの日も、雨やった」
喉が乾く。
灯は、小学生の自分を思い出す。
港。
濡れた桟橋。
泣き声。
波の音。
「大事な人を、送り出す日やった」
湊の声は静かだ。
灯は問いかける。
「湊さんは、誰ば送り出したと」
初めて、湊の目が揺れた。
ほんのわずか。
「……帰ってくるはずやった」
それだけ。
答えにはなってないが、
それ以上は言わない。
けれどその声には、
長い時間が滲んでいた。
灯は思う。
この人は、
ずっとここに立っているみたいだ、と。
「湊さん」
名前を呼ぶ。
でも湊は、灯を見ない。
遠い港を見ている。
湊の中には灯ではない誰かがいる。
それがわかる。
胸が、少しだけ静かに痛む。
そのとき、教会の鐘が鳴った。
朝の光が強くなる。
湊の輪郭が、淡くなる。
灯は息をのむ。
「……湊さん?」
振り返る。
そこにはもう、誰もいない。
ただ、朝焼けだけが広がっている。
灯は立ち尽くす。
怖くない。
むしろ——
置いていかれたような、さみしさ。
そして、確信。
——また、会える。
坂を下りながら、灯は思う。
この街は、追い出す街じゃない。
送り出す街。
けれど、
誰を、
どこへ、
送り出すのか。
その答えは、まだ見えない。




