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黄金の約束  作者: ハイエント
第一章 黄金の屋敷

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第8話 十年前の景色

 

 久世さんに案内され、俺は階段を上っていった。


 一階。


 二階。


 さらにその上へ。


「俺の部屋、三階なんですか?」


「はい。前回お越しになられた際も、若様のお部屋は三階にご用意しておりました」


「そうだったんだ……」


 まったく覚えていなかった。


 三階へ上がると、長い廊下が左右へ伸びていた。


 大きな窓がいくつも並び、そこから稲田の街を見下ろすことができる。


 俺は歩きながら、何となく窓の外を見た。


「……」


 この景色。


 やっぱり、見たことがある。


 丘の下に広がる街並み。


 遠くに見える駅。


 建物の中にはほとんど見覚えがないのに、この高さから見る景色だけは妙に懐かしかった。


「景色をご覧になられていたのですね」


 久世さんの声に、俺は振り返った。


「あ、はい。何となく見覚えがあって」


「それは当然かもしれません」


「え?」


「この辺りの景色は、前回お越しになられた頃と大きくは変わっておりませんので」


「やっぱりそうなんですね」


「ただ、屋敷のほうは以前とは少々造りが変わっております」


「そうなんですか?」


「はい。長い年月が経っておりますので、手を入れた箇所もございます」


「ああ……」


 それなら、建物に見覚えがないのも不思議じゃない。


 十年も経っている。


 かなり改装されていたとしても、おかしくはない。


 景色は同じ。


 でも、屋敷の中は変わっている。


 そう考えると、今まで感じていた違和感にも一応説明がついた。


「あの」


「はい」


「久世さん」


 そう呼ぶと、久世さんが振り返った。


「若様。私に『さん』は必要ございません。どうぞ久世とお呼びください」


「いや、それはちょっと無理です」


「無理、でございますか」


「だって俺よりずっと年上ですよね。いきなり呼び捨てはできないですよ」


「私はこの屋敷に仕える使用人でございますので、お気になさらず」


「いや、気にしますよ」


 俺は苦笑した。


「たぶん、これからも久世さんって呼びます」


「……左様でございますか」


「はい。そこは諦めてください」


 久世さんは一瞬だけ間を置いてから、静かに頭を下げた。


「承知いたしました」


「それなら、久世さんもそんなに丁寧に話さなくていいですよ」


「いえ。それはできかねます」


「俺、普通の大学生ですよ?」


「存じております」


「だったら若様っていうのも……」


「それも難しゅうございます」


「弘さんとかでいいですよ」


「それはできません」


「じゃあ、弘で」


「なおさらできません」


「ですよね……」


 思わず苦笑した。


 結局。


 俺は久世さんを「久世さん」と呼び。


 久世さんは俺を「若様」と呼ぶ。


 どうやら、お互いそこだけは譲れないらしい。


 若様。


 そう呼ばれる俺も相当だけど。


 そういえば久世さんは、親父のことを「旦那様」と呼んでいる。


 旦那様。


「……」


 家にいる親父の姿が頭に浮かんだ。


 休日に家でくつろいでいる姿。


 普段の話し方。


 俺の知っている親父と「旦那様」という言葉が、どうにも結びつかない。


 思わず少し笑ってしまった。


「いかがなさいましたか?」


「あ、いや。何でもないです」


「左様でございますか」


 久世さんは何事もなかったように歩き始める。


 俺もその後を追った。


「俺、ここに来たのって十年くらい前ですよね?」


「そうですね。そのくらいになるかと存じます」


「やっぱり」


「前回お越しになられた際は、若様もまだ随分とお小さかったと記憶しております」


「覚えてるんですか?」


「はい」


 久世さんは静かに頷いた。


「旦那様と奥様、それから妹様と、四名でお越しになられておりました」


「ああ……」


 言われて、ぼんやりと思い出した。


 確かに家族四人だった。


 親父と母さん。


 俺。


 そして、まだ小さかったひな。


「そうだったな……」


 そこで、ふと気づく。


 俺は今日、久世さんに妹がいるなんて一度も話していない。


 もちろん親父が事前に伝えていた可能性はある。


 けれど。


 十年前に家族四人で来たこと。


 その頃の俺がまだ小さかったこと。


 そして、この景色。


 少なくとも、久世さんが適当なことを言っているようには思えなかった。


「若様は、よく窓から外をご覧になっておられました」


「俺が?」


「はい」


 俺はもう一度、廊下の窓を見る。


 丘の下に広がる街。


 遠くに見える駅。


 確かに、この眺めには覚えがある。


 だから、この景色だけ妙に懐かしく感じるのかもしれない。


 だったら。


 やっぱり俺は、ここへ来たことがある。


 屋敷の中が記憶と噛み合わないのは、俺がまだ子供だったから。


 それに、久世さんが言ったように建物にも手が入っている。


 十年も経っているんだ。


 変わっていても、おかしくはない。


 そう考えると、少しだけ納得できた。


「こちらでございます」


 久世さんが立ち止まった。


 三階の廊下の奥にある一室だった。


「ここ?」


「はい。こちらを若様のお部屋としてご用意しております」


 久世さんが扉を開ける。


「どうぞ」


「……広っ」


 思わず声が出た。


 一人で使うには広すぎる。


 大きなベッド。


 ソファとテーブル。


 机。


 大きな収納。


 窓際にも十分すぎるほどの空間がある。


 大学の寮で使っている俺の部屋なんて、この部屋の何分の一だろう。


「前も、こんな感じの部屋だったんですか?」


「前回も三階のお部屋をご利用いただいておりました」


「そうなんだ……」


 それでも、この部屋そのものには何の記憶もない。


 家具も。


 壁も。


 窓の位置も。


 何一つ思い出せなかった。


 まあ、十年前だ。


 屋敷自体も以前とは変わっているらしい。


 なら、この部屋に見覚えがなくても不思議じゃない。


 久世さんが廊下側を示した。


「なお、隣が旦那様と奥様のお部屋でございます」


「親父と母さんの?」


「はい。前回も、若様のお部屋の隣をご利用になられておりました」


「へえ……」


 昔も、親父と母さんの部屋の隣だったらしい。


 それすら、ほとんど覚えていない。


 俺は改めて部屋を見回した。


「必要なものは一通りご用意しております」


 久世さんが言う。


「何かご不便なことや、ご入用のものがございましたら、いつでもお申し付けください」


「どうやって呼べばいいんですか?」


「そちらをお使いくださいませ」


 久世さんが壁際を示した。


 見ると、壁に小さな真鍮製のボタンが取り付けられている。


「これは?」


「使用人の呼び出し用でございます」


「呼び出し?」


「はい。押していただければ、近くの者が参ります」


「これ押すだけで?」


「はい」


「……すごいな」


 さっきみんなでホテルみたいだなんて話をしていたけれど。


 ボタン一つで使用人が部屋まで来るなんて、ホテル以上じゃないだろうか。


「まあ、たぶん使わないと思いますけど」


「必要な際は、どうぞ遠慮なくお呼びくださいませ」


「分かりました」


「このあと、グレートホールでしたっけ?」


「はい。皆様のお支度が整いました頃に、改めてお迎えに参ります」


「あ、それは大丈夫ですよ」


「と申しますと?」


「場所を教えてもらえれば、自分で行きますから」


「では、一階のエントランスまでお戻りください。皆様がお揃いになりましたら、そこからご案内いたします」


「分かりました」


「それでは、どうぞごゆっくりお過ごしください」


 久世さんが深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


「失礼いたします、若様」


 久世さんは静かに部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


「……」


 俺は一人になった広い部屋を見回した。


 この部屋には、まったく覚えがない。


 でも。


 十年前も俺は三階に案内されていた。


 親父と母さんの部屋も、その隣だった。


 久世さんは、ひなのことまで知っていた。


 屋敷そのものは、昔とは少し変わっているらしい。


 そして何より。


 窓から見える景色には、確かに覚えがある。


 だったら。


 やっぱり、俺が覚えていないだけなんだろう。

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