第31話 ひなからの電話
神谷先輩と別れたあと、俺は一度、高志の様子を見に行くことにした。
朝食のときは、見ているこっちまで気分が悪くなりそうなくらい死んでいた。部屋へ戻って休むとは言っていたけど、昼までに本当に復活するのか少し心配だった。
高志の部屋へ向かおうとした、そのとき。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
「ん?」
取り出して画面を見る。
表示されていた名前に、少しだけ驚いた。
「ひな?」
妹からだった。
俺は電話に出る。
「もしもし?」
『お兄ちゃん?』
「うん。どうした?」
『今、大丈夫?』
「大丈夫だよ」
『何してたの?』
「友達と遊んでた」
『遊んでるの?』
「一応、登山の計画を立てに来てるんだけどな」
『一応って何?』
「いろいろあるんだよ」
『ふーん』
電話の向こうで、少しだけ間が空いた。
「ひなは?」
『家』
「それは分かるよ」
『今、一人』
「え?」
思わず足を止める。
「親父と母さんは?」
『二人とも出かけた』
「一緒に?」
『違うよ。お父さんは先に出て、お母さんもさっき出てった』
「どこ行ったんだ?」
『知らない。すぐ帰ってくるって言ってたけど』
「そうか」
ひなは十歳だ。
一人で留守番くらいはできる。
できるけど、兄としては少し気になる。
「寂しいの?」
『……別に』
「本当?」
『別に』
「じゃあ何で電話してきたんだよ」
『暇だったから』
「寂しいんじゃん」
『違うって』
少しだけむくれたような声が聞こえて、俺は笑った。
「はいはい」
『笑わないでよ』
「悪い悪い」
『お兄ちゃんは大丈夫なの?』
「俺?」
『うん』
「何が?」
『ちゃんと元気?』
「元気だよ」
『昨日から帰ってきてないじゃん』
「泊まっただけだって」
『いつ帰るの?』
「今日」
『本当?』
「本当」
『何時くらい?』
「夜かな」
『夜?』
「夕飯食べてから帰る予定だから」
『遅い』
「しょうがないだろ」
『もっと早く帰ってきてよ』
「何で?」
『だから……』
また少し黙る。
『暇だから』
「またそれ?」
『いいでしょ』
「はいはい」
「母さん、すぐ帰ってくるんだろ?」
『多分』
「じゃあ、それまでちゃんと待ってろよ」
『分かってる』
「知らない人来ても開けるなよ」
『子供じゃないんだから』
「十歳は子供だろ」
『もう十歳だもん』
「十歳は十分子供だよ」
『お兄ちゃんうるさい』
「心配してるんだよ」
『……分かった』
「何かあったらすぐ電話しろよ」
『うん』
「俺じゃなくても、親父か母さんでもいいから」
『うん』
そう答えてから、ひなが小さな声で聞いた。
『お兄ちゃん』
「何?」
『今日、ちゃんと帰ってくる?』
俺は少し笑った。
「帰るよ」
『絶対?』
「絶対」
『約束ね』
「分かったって」
『じゃあ待ってる』
「おう」
『早く帰ってきてね』
「分かった」
『じゃあね』
「またな」
電話が切れた。
俺はしばらく画面を見つめた。
寂しいなら、最初からそう言えばいいのに。
昔から、ひなは家に一人になると、たまにこうして俺へ電話をかけてくる。普段はそんなに甘えてこないくせに、こういうときだけは少し素直になる。
俺を待っていると言われれば、やっぱりできるだけ早く帰ってやりたかった。
今日こそ登山の予定を決める。
夜の食事が終わったら帰る。
ひなにも、そう約束した。
俺はスマートフォンをポケットへ戻した。
そして改めて、高志の様子を見るため、一階の客室へ向かった。




