第27話 交渉
しばらくして、遊技室へ行っていた神谷先輩がダイニングホールへ戻ってきた。
「何だ。まだみんないるじゃん」
「神谷先輩、早かったですね」
「ちょっと見てきただけだからな」
そう言いながら、神谷先輩は空いている席へ座った。
藤崎先輩はまだ朝食を食べていて、千夏ものんびり飲み物を飲んでいる。高志も少しずつお粥を食べていて、さっきよりは多少顔色が良くなってきたように見えた。
俺は紅茶を飲み終えると、椅子から立ち上がった。
「じゃあ俺、ちょっと久世さん探してきます」
「え? 何で?」
千夏がすぐにこっちを見る。
「早めに言っとかないと。今日の宴会、酒は持ってこなくていいって」
「ちょっと待って!」
千夏が慌てたように声を上げた。
「何?」
「何で今言いに行くの?」
「何でって、さっき言っただろ。今日は酒禁止」
「言ってたけど、まだ決めなくてもいいじゃん」
「もう決めたよ」
「弘が勝手に!」
そう言われて、俺は千夏を見る。藤崎先輩もどうやら同じ意見らしく、こっちを見ながら苦笑していた。
「二人とも、ちょっとよく考えてください」
「何を?」
「そもそも俺たち、何のためにここへ来たと思ってるんですか?」
千夏は少し考えてから言った。
「お酒飲みに来たんでしょ?」
「違う!」
「宴会しに来たとか?」
今度は藤崎先輩までそんなことを言い出す。
「それも違います! 登山ですよ、登山!」
「ああ」
「そうだった」
「忘れないでくださいよ!」
思わず声が大きくなった。
「俺たちは秋の登山の計画を決めるためにここへ来たんでしょう? なのに昨日、何か一つでも決まりました?」
二人が揃って黙る。
「行く山も決まってないし、日にちも決まってない。日帰りなのか泊まりなのかも決まってない。何一つ決まってないじゃないですか」
「まあ、それは……」
千夏が少し目を逸らした。
「当初の目的、完全に変わっちゃってるでしょう。昨日なんて途中から登山の話し合いどころじゃなかったじゃないですか」
「でも楽しかったよ?」
「楽しいかどうかの話じゃないです」
藤崎先輩が笑う。
「勝田君、真面目だね」
「普通です。とにかく、今一番大事なのは登山の計画を決めることです。そのために酒は必要ないでしょう?」
「必要ないけど……」
「むしろ昨日の惨状を見たら、ない方がいいです」
俺は高志を見る。
「実際、こうなってる人もいるし」
「俺を見ながら言うなよ」
「一番分かりやすいから」
「反論できねえけどさ……」
高志はそう言って、また味噌汁を飲んだ。
「それに神谷先輩だって、昨日あれだけ酔いつぶれてたんだから、今日は飲みたいわけないでしょう?」
俺は当然味方してくれると思って神谷先輩を見る。
「ですよね?」
「いや、俺は今日も飲みたいぞ」
「……え?」
「飲みたい」
「昨日潰れてたのに? まだ?」
「ああ」
「何でですか!」
神谷先輩は楽しそうに笑った。
「昨日は昨日だろ」
「千夏と同じこと言ってる!」
「ほら!」
千夏が急に嬉しそうになる。
「神谷先輩も飲みたいって!」
「喜ぶところじゃないだろ!」
藤崎先輩まで笑っている。
「じゃあ、今のところ三人?」
「三人じゃないよ」
千夏がすぐに言った。
「奈緒も絶対飲みたがるから」
「いや、奈緒は今ここにいないだろ」
「でも絶対賛成するって」
「本人に聞いてないのに勝手に数えるのは駄目だろ」
「大丈夫だって。奈緒のことなら分かるもん」
「そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ、あとでちゃんと聞いとく」
「あとで?」
「うん。LINEでも送っとく。もし飲まないって言ったら、そのとき一人減らせばいいでしょ?」
「……まあ、それなら」
藤崎先輩も頷いた。
「奈緒ちゃんは飲みたいって言うと思うよ」
「俺もそう思う」
神谷先輩まで言う。
「じゃあ、ほぼ四人だな」
「ほぼって何ですか」
俺は指を折って数えてみた。
千夏、藤崎先輩、神谷先輩。
それに、たぶん奈緒。
「……三人と、奈緒か」
「ほら、ほとんど半分じゃん」
千夏が得意そうに言う。
「全員で八人なんだから」
「奈緒はまだ確定じゃないからな」
「分かってるって。あとで聞いとくから」
「大野先輩は?」
「修平もたぶん飲むぞ」
神谷先輩が言うが、俺は首を振った。
「大野先輩はまだ本人に聞いてないんだから、勝手に数に入れたら駄目でしょう」
「たぶん飲むと思うけどな」
「たぶんは数に入れません。松田先輩だってまだ分からないし」
高志が笑いながら言った。
「でも奈緒が飲むって言ったら四人なんだろ? 半分じゃん」
「お前は飲まない側だろ。余計なこと言うなよ」
「俺は飲まないけど、別に他のやつまで禁止しなくてもいいと思うぞ」
「さっきから全然味方してくれないな、お前」
「俺は自分の胃を守るので精一杯なんだよ」
千夏がまた俺を見る。
「ねえ、ちょっとだけならいいでしょ?」
「昨日も最初はちょっとだけだっただろ」
「今日は本当にちょっとだけ」
「信用できない」
「じゃあ弘が見張ってればいいじゃん」
「何で俺が酒の量まで管理しないといけないんだよ」
神谷先輩が吹き出した。
「勝田君、完全に保護者だな」
「誰のせいですか」
「俺じゃないだろ」
「昨日潰れてた人が言わないでください」
藤崎先輩もコーヒーを飲みながら俺を見る。
「勝田君、本当に少しだけ。駄目?」
千夏まで手を合わせてくる。
「お願い」
「何でそんなに必死なんだよ……」
「だって宴会なのにお酒なしって、ちょっと寂しいじゃん」
「飯はあるだろ」
「そういう問題じゃないの」
そこまで言われて、俺はため息をついた。
飲みたいと言っているのは、今のところ三人。
それに千夏の言う通りなら、奈緒も加わって四人になる。
全員で八人だから、ちょうど半分だ。
大野先輩と松田先輩がどうするかはまだ分からないが、もし奈緒まで飲みたいと言うなら、俺一人の判断で完全禁止にするのもやりすぎかもしれない。
「……分かった。仕方ないな」
「本当?」
千夏の顔が一気に明るくなった。
「少しだけならいいよ」
「やった!」
「ただし、条件付きだからな」
「はい!」
さっきまで文句を言っていたくせに、こういうときだけ返事がいい。
「まず、今日帰るのは絶対。宴会が終わったら、ちゃんと電車で帰る。終電ぎりぎりまで飲むとかもなし」
「分かってるって」
「それから、昼の話し合いで登山の計画をちゃんと決めること」
「全部?」
「全部。行く場所も日にちも、日帰りか泊まりかも。必要なことは今日の昼に全部決める」
「結構あるね」
「昨日やるはずだったことだからな」
「ああ……」
千夏がまた気まずそうに目を逸らす。
「ちゃんと計画が決まったら、夜の宴会で少しくらい酒を飲むのはいい。でも本当に少しだけだからな。昨日みたいに誰かが潰れるまで飲むのは禁止」
「はーい」
「ちゃんと帰れる量までですよ」
藤崎先輩が笑いながら頷く。
「分かりました」
「神谷先輩もですよ」
「分かってるって」
「昨日潰れた人の返事って信用できないんですよね」
「今日は大丈夫だって」
「何を根拠に?」
「気をつけるから」
「そこが一番不安なんですけど」
高志が横で笑った。
「俺は酒なしでいいからな」
「お前はそれでいいよ」
「今日は本当に飲む気しない」
「その判断だけは正しい」
「だけって何だよ」
千夏が楽しそうに手を叩いた。
「じゃあ決まりね。昼に登山の計画をちゃんと決めて、夜は宴会。お酒は少しだけ飲んで、そのあと電車で帰る」
「そう。特に最初のところ忘れるなよ」
「分かってるって」
「本当に?」
「お酒がかかってるから、今日はちゃんとやる」
「最初からそれくらいやる気出せよ……」
俺は呆れながら椅子へ座り直した。
結局、酒を完全に禁止するのは諦めることになった。
ただ、本来の目的まで変えるつもりはない。
まずは昼のうちに、登山の計画を全部決める。
そのあと夜は宴会をして、酒は少しだけ。
そして宴会が終わったら、今夜こそみんなで帰る。
そこだけは譲るつもりはなかった。




