第26話 黒い塔
「おはようございます」
「おはよ」
藤崎先輩はこちらへ歩いてくる。
「ここいい?」
「どうぞ」
俺が答えると、藤崎先輩は俺の隣の席へ座った。
すぐに近くに控えていた使用人がやってくる。
「おはようございます」
「おはよう」
「お食事はいかがなさいますか?」
「そうね」
藤崎先輩が少し考える。
「パンとサラダ。それとスクランブルエッグある?」
「ございます」
「じゃあそれお願い。あとコーヒー」
「かしこまりました」
「あ、果物も少し欲しいかな」
「承知いたしました」
「ありがとう」
使用人は一礼すると、そのまま離れていった。
「……先輩、もう完全にここに馴染んでますね」
「そう?」
「注文するの、俺より自然ですよ」
「朝ご飯頼んだだけじゃない」
向かい側で高志が小さく笑う。
「すげえな、この人」
「田野君?」
「何も言ってません」
「聞こえてるけど?」
藤崎先輩が笑った。
「せっかく何でもお願いしていいって言われてるんだから、遠慮したらもったいないでしょ?」
「やっぱり先輩、この屋敷気に入ってますよね」
「気に入ってるよ」
即答だった。
「こんないいところ、なかなかないじゃない」
「それはそうですけど」
藤崎先輩は少し笑って。
それから。
「あ、そうだ」
思い出したように俺を見る。
「勝田君」
「はい?」
「この屋敷の裏にある黒っぽい塔、あれ何?」
「黒っぽい塔ですか?」
「うん。今朝、外から見えたんだけど」
「そんなのあるんですか?」
「あるよ。知らないの?」
「俺、いつも正門のある表側しか見てないんで……」
屋敷の裏側なんて。
まともに見たことがない。
「久世さんに聞けば分かるかな」
俺は近くにいた久世さんを呼んだ。
「久世さん」
「はい、若様」
「この屋敷の裏に黒い塔があるんですか?」
「はい。ございます」
「何に使ってるんです?」
「あちらは使用人用の区画でございます」
「使用人用?」
「はい。今で申しますなら、スタッフルームのようなものとお考えくださいませ」
「へえ」
藤崎先輩が少し興味を示す。
「中、入れるんですか?」
「申し訳ございません。入口には鍵がかかっておりますので」
「そっか」
「それに、内部には足元の悪い場所もございます。危険ですので、お入りにならない方がよろしいかと存じます」
「分かりました」
藤崎先輩はあっさり頷いた。
「スタッフ用なら、別に見るようなところでもないもんね」
「はい」
久世さんもそれ以上は何も言わなかった。
「あ、そうだ」
千夏が思い出したように声を上げた。
「藤崎先輩」
「何?」
「今日もまた、昨日みたいな宴会あるらしいですよ」
「本当?」
藤崎先輩の顔が明るくなる。
「今日も?」
「うん。弘のお父さんが、またグレートホールに夕飯用意してくれてるんだって」
「いいじゃない」
「でしょ?」
「昨日の料理、美味しかったし」
二人とも明らかに嬉しそうだ。
「ただし」
俺は口を挟んだ。
「今日は酒は禁止です」
「え?」
千夏が俺を見る。
「何で?」
「昨日みたいになるから」
「ならないって」
「昨日も最初はそう思ってただろ」
「でも宴会なんでしょ?」
「宴会するのはいいよ」
俺は言う。
「飯食って、みんなで騒ぐくらいなら別にいい」
「じゃあお酒も――」
「駄目」
「ええー」
「今日は酒なし」
「厳しくない?」
「全然」
俺は高志を見る。
「こうなりたいなら別だけど」
「俺を見本にするな」
「一番分かりやすいだろ」
「まあ……」
高志は少し考えて。
「でも俺は弘に賛成」
「田野まで?」
「今日は酒いらない」
高志は真顔だった。
「もう一滴も飲む気ない」
「二日酔いだからでしょ」
「だからこそだよ」
「それに」
俺は続ける。
「今日で帰るつもりだから」
「…………」
「え?」
千夏が聞き返した。
「今日帰るの?」
「ああ」
「今日?」
「今日」
藤崎先輩も俺を見る。
「泊まらないの?」
「はい」
「もう一泊くらいいいじゃない」
「そもそも何日も泊まる予定じゃないですから」
「でも、今日も宴会あるんでしょ?」
「だから宴会には参加します」
俺は言う。
「夕飯食べて、みんなで少し話して」
「うん」
「そのあと帰ります」
「何時に?」
「電車、十一時くらいまではあるんで」
「…………」
「宴会終わってからでも十分帰れますよ」
「ええー……」
千夏が露骨に嫌そうな顔をした。
「せっかくこんないいところなのに」
「昨日十分楽しんだだろ」
「まだ全然遊んでないところあるよ」
「シアタールームもあるし」
藤崎先輩も続ける。
「遊技室もあるし、お風呂もあるし」
「全部使い切るまで泊まるつもりですか?」
「それもいいかも」
「駄目です」
「即答なんだ」
「当たり前です」
俺は二人を見る。
「そもそも今回ここに来た目的、登山の計画ですからね」
「分かってるって」
「昨日一個も決まってないけど」
「…………」
千夏が黙る。
「だから今日の昼にちゃんと話し合う」
「はい」
「行く場所も日程も決める」
「はい……」
「それから夜は宴会」
「うん」
「ただし酒は禁止」
「そこ強調する?」
「します」
高志が頷く。
「俺もそこは大事だと思う」
「田野は黙ってて」
「何でだよ!」
「で」
俺は続ける。
「宴会が終わったら、そのままみんなで帰る」
「……」
千夏と藤崎先輩は、どちらも納得していない顔をしていた。
「本当に帰るの?」
藤崎先輩が聞く。
「帰ります」
「十一時まで電車あるから?」
「はい」
「終電ぎりぎりまで遊べるってこと?」
「そういう意味じゃないです」
「違うの?」
「余裕持って帰ります」
「真面目だなあ」
「普通です」
「私はもう一泊したいな」
千夏も小さく手を上げる。
「私も」
「多数決じゃないから」
「ええー」
二人から同時に不満の声が上がる。
でも。
俺は決めていた。
今日こそ。
登山の計画を終わらせる。
夕飯はみんなで食べる。
昨日みたいに楽しむのもいい。
ただし。
酒はなし。
そして。
宴会が終わったら。
今度こそ、みんなで帰る。




