第25話 朝食
高志と二人でダイニングホールへ戻る。
扉を開けると。
「お」
神谷先輩がすぐにこちらを見た。
「生きてたか」
「……先輩にだけは言われたくないです」
高志が低い声で返す。
「なぜだ?」
「昨日、一緒に潰れてたって聞きましたけど」
「俺はもう復活したぞ」
「朝から風呂二か所入ったんですよね」
「そう」
「何でそれで復活するんですか……」
高志は本当に辛そうだ。
千夏も高志を見る。
「田野、顔やばいね」
「朝からみんな同じこと言うなよ……」
「だってやばいもん」
「鏡見たから知ってる……」
千夏と神谷先輩は、まだ朝食を食べながら話していた。
俺と高志も、二人のすぐ近くの席へ座る。
高志と向かい合う形になった。
すると。
久世さんがこちらへやってきた。
「田野様」
「……はい」
「お加減がよろしくないようですが」
「ちょっと二日酔いで……」
「左様でございますか」
久世さんは少し考える。
「でしたら、しじみのお味噌汁をご用意いたしましょうか」
「しじみ……」
高志が顔を上げる。
「あります?」
「もちろんでございます」
「それなら……ちょっと飲みたいです」
「かしこまりました」
「それと」
久世さんが続ける。
「もし少しでも召し上がれそうでしたら、お粥もご用意できますが」
「お粥……」
高志が少し考えた。
「それなら、何とかなるかも」
「では、少量ご用意いたしましょう」
「お願いします」
「かしこまりました」
久世さんが俺を見る。
「若様はいかがなさいますか?」
「俺はさっき食べたんで……」
少し考える。
「紅茶だけお願いします」
「承知いたしました」
久世さんが近くに控えていた使用人へ声をかける。
何かを伝えると。
使用人は静かに頭を下げ、ダイニングホールを出ていった。
「何でも出てくるな……」
高志が呟く。
「二日酔い用の飯まであるとは思わなかった」
「昨日あれだけ飲んだんだから、それくらい用意してあるんじゃない?」
千夏が言う。
「それもそうか……」
「というか田野」
「何?」
「本当に大丈夫?」
「今のところ死んではない」
「今のところなんだ」
「頭痛い……」
神谷先輩が笑った。
「酒弱いなあ」
「先輩に言われたくないですって」
「だから俺はもう元気だって」
「昨日潰れた事実は消えませんよ」
「細かいこと気にすんな」
「細かくないです」
しばらくすると。
先ほどの使用人が戻ってきた。
高志の前には、湯気の立つしじみの味噌汁。
小さな器に入ったお粥。
水。
そして俺の前には紅茶が置かれた。
「ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
高志も少し遅れて頭を下げる。
「何かございましたら、お申し付けくださいませ」
「はい」
使用人は一礼すると、また少し離れた場所へ下がった。
高志が味噌汁を一口飲む。
「…………」
「どう?」
「生き返る」
「大げさだな」
「今の俺にはこれくらいがちょうどいいんだよ」
もう一口。
高志の表情が少しだけ緩んだ。
「これなら食えそう」
「最初から来ればよかったじゃん」
「さっきまで食い物のこと考えるだけで無理だったんだよ」
「今も顔色悪いけどな」
「うるせえ」
俺も紅茶を一口飲む。
そのとき。
さっき高志の部屋からここへ来る途中で交わした会話を思い出した。
「……ふっ」
「弘」
高志がすぐに俺を見る。
「何だよ」
「今、何思い出した?」
「いや、別に」
「絶対さっきのことだろ」
その言い方がおかしくて、余計に笑いそうになる。
「何?」
千夏が俺たちを見る。
「二人で何かあったの?」
「いや、さっきこいつに――」
「弘、やめろ!」
「何でだよ」
「言わなくていいだろ!」
神谷先輩までこちらを見る。
「何だよ。気になるじゃん」
「大したことじゃないですよ」
俺は笑いながら高志を見る。
「こいつ、昨日の途中から全然記憶ないらしくて」
「おい」
「『俺、変なことしてなかったよな?』って聞いてきたんですよ」
「ああ」
神谷先輩が笑う。
「田野、完全に潰れてたもんな」
「そうなんですよ。それで」
「弘」
「途中で服脱ぎ始めて、奈緒たちの方に行こうとしてたから、俺が必死に止めようとしたって言ったら」
「…………」
一瞬。
千夏が黙った。
それから。
「え、それ信じたの?」
「信じるだろ!」
高志がすぐに言い返した。
「俺、何も覚えてないんだぞ!」
「はははっ!」
千夏が吹き出した。
神谷先輩も笑い始める。
「田野、お前ずっと寝てたじゃん」
「だから俺は知らないんですよ!」
「私も見てたけど、そんなことしてないよ」
「今は知ってる!」
高志が俺を指さす。
「こいつ、途中まで本気みたいな顔して話すんだぞ!」
「だって信じるから」
「そりゃ信じるって!」
「どこまで信じたの?」
千夏が笑いながら聞く。
「こいつ、このあと藤崎先輩とか奈緒とか千夏に、どんな顔して会えばいいんだって本気で悩んでた」
「言うな!」
「しかも『裸になってすみませんでしたって謝るのか?』って」
「ははははっ!」
千夏が声を上げて笑った。
神谷先輩も肩を揺らしている。
「田野、それは見たかったな」
「何がですか」
「本気で信じたままここまで来るところ」
「はい?」
神谷先輩が俺を見る。
「勝田君、何で途中で冗談だって言っちゃったんだよ」
「いや、さすがに可哀想かなって」
「そのまま連れてくればよかったのに」
「ちょっと神谷先輩!」
高志が思わず身を乗り出した。
「何だよ」
「何で先輩までそっち側なんですか!」
「だって面白そうじゃん」
「俺は本気で悩んでたんですよ!」
「だから見たかったんだよ」
「ひどくないですか!?」
千夏がさらに笑う。
「確かに、田野が入ってきていきなり『昨日はすみませんでした』って謝り始めたら面白かったかも」
「千夏まで!」
「それで『何のこと?』って聞きたかった」
「最悪だ!」
高志が頭を抱える。
「お前ら絶対友達じゃないだろ……」
「俺は友達だぞ」
「弘が一番ひどいんだよ!」
「はははっ!」
また大きな声を出して。
「っ……」
高志がすぐに頭を押さえた。
「痛え……」
「大丈夫?」
「誰のせいだと思ってんだ……」
「酒飲みすぎた自分のせいだろ」
「それとこれは別だ!」
俺と千夏と神谷先輩は、そんな高志を見てまた笑った。
しばらくして。
高志がお粥を一口食べる。
「……うまい」
「食えるじゃん」
「これならな」
「よかったな」
「ほんとに」
すると。
久世さんがこちらへ近づいてきた。
「若様」
「はい?」
「田野様のお食事につきましては、こちらの者が対応いたしますので」
「あ、ありがとうございます」
「私は一度、下がらせていただきます」
「分かりました」
久世さんは高志にも軽く頭を下げる。
「田野様も、どうぞご無理のないようにお召し上がりください」
「ありがとうございます」
「何かございましたら、近くの者へお申し付けくださいませ」
「はい」
「それでは、失礼いたします」
久世さんは一礼すると、そのままダイニングホールを出ていった。
「…………」
高志がその背中を見る。
「すげえな、久世さん」
「何が?」
「俺の顔見ただけで、しじみ汁とお粥出してくれるんだぞ」
「まあ、確かに」
「ホテルでもここまでしてくれるか?」
「知らない」
「やっぱ金持ちってすげえな」
「またそれかよ」
「だってすげえもん」
高志がお粥をもう一口食べる。
「……うまい」
「さっきも言ってたぞ」
「うまいもんは仕方ねえだろ」
そんな俺たちを見て。
神谷先輩が立ち上がった。
「じゃあ俺、そろそろ行くかな」
「どこ行くんです?」
「遊技室」
「もう遊ぶんですか?」
「せっかく来たんだから、使わないともったいないだろ」
「昼には戻ってきてくださいよ」
「分かってるって」
「絶対ですよ。今日はちゃんと登山の話するんですから」
「はいはい」
神谷先輩が笑う。
そして高志を見る。
「ちゃんと食っとけよ」
「先輩に言われると何か腹立つな……」
「何でだよ」
「昨日一緒に潰れてたからですよ」
「俺はもう復活した」
「何回言うんですか、それ」
「じゃあな」
神谷先輩はそう言って、ダイニングホールを出ていった。
千夏はまだ残っている。
俺と高志も、そのまま朝食を続ける。
しばらくして。
高志が口を開いた。
「そういやさ」
「何?」
「昨日」
「うん」
「結局、何決まったんだっけ?」
「…………」
俺は高志を見る。
「何も」
「え?」
「何も決まってない」
「マジで?」
「マジ」
「山は?」
「決まってない」
「日にちは?」
「決まってない」
「泊まりか日帰りかは?」
「それも」
「…………」
高志がしばらく黙る。
「俺たち、昨日何の話してたんだ?」
「酒」
「ああ……」
「あと飯」
「ああ……」
「それくらい」
「…………」
高志が頭を抱えた。
「何しに来たんだ、俺たち」
「俺も昨日同じこと思った」
「だよな」
「だから今日こそ決めるぞ」
「昼にみんな集まるんだろ?」
「ああ」
「じゃあ、それまでには治しとく」
「ちゃんと参加しろよ」
「分かってるって」
「松田先輩も、今日は自分がまとめるって言ってたし」
「松田先輩が?」
「ああ。副部長だからって」
「え、松田先輩って副部長だったの?」
「……お前も知らなかったの?」
「知らなかった」
「お前、俺より前からサークルいるだろ」
「いるけど、そんな話聞いたことないぞ」
「そうなのか?」
「少なくとも俺は初耳」
高志はそう言って、少し首を傾げた。
すると。
千夏が一瞬、不思議そうな顔をした。
「……松田先輩が?」
「どうした?」
「ううん。何でもない」
千夏はそう言って、また飲み物に口をつけた。
そのとき。
ダイニングホールの扉が開いた。
「おはよう」
「あ」
藤崎先輩だった。
俺は何となく。
隣にいる高志の顔を見た。
「……何だよ」
「いや、別に」
「笑うなよ」
「笑ってないって」
さっきまで藤崎先輩にどんな顔をして会えばいいのか、本気で悩んでいた男が。
今は何事もなかったような顔で座っている。
そう思ったら。
また少しだけ笑いそうになった。




