第24話 二日酔い
松田先輩と別れて。
俺は一人で廊下を進んだ。
高志の部屋はもうすぐそこだ。
「あれか」
松田先輩に教えてもらった部屋の前まで行く。
俺は扉を軽く叩いた。
「高志」
「…………」
「おーい」
もう一度。
少し強めにノックする。
「高志、起きてるか?」
「……起きてる」
思ったより。
すぐに返事があった。
「何だ、起きてるじゃん」
「……入ってくれ」
「開いてる?」
「開いてる……」
声に。
まったく元気がない。
俺は扉を開けた。
「失礼しまーす」
部屋へ入る。
「…………」
そして。
すぐに高志を見つけた。
ベッドの上。
布団に半分埋まりながら。
完全に死んだような顔をしている。
「……ひどい顔だな」
「うるせえ……」
高志がゆっくりこちらを見る。
「声でかい」
「普通に喋ってるだけだろ」
「今はそれでもでかいんだよ……」
「二日酔い?」
「見れば分かるだろ……」
「めちゃくちゃ二日酔いじゃん」
「だから言ってんだろ……」
高志は再び枕へ顔を沈めた。
俺は思わず笑う。
「朝飯できてるぞ」
「…………無理」
「即答かよ」
「今食ったら絶対吐く」
「朝飯かなり良かったぞ」
「そういう問題じゃねえ……」
「パンとか卵とか、スープとか」
「やめろ」
「果物もあった」
「食い物の名前を出すな……」
「そこまで?」
「そこまで」
かなり重症らしい。
「でもさ」
「何だよ……」
「みんな心配してるぞ」
「……誰が?」
「千夏とか」
「…………」
「松田先輩も」
「松田先輩?」
「ああ。さっきまで一緒にここまで来てた」
「そうなのか……」
「俺はお前を起こしに来て、松田先輩は大野先輩を起こしに行った」
「わざわざ?」
「二人とも朝飯に来てなかったからな」
「……悪いことしたな」
「あと俺」
「お前は面白がってるだけだろ」
「バレた?」
「バレるわ」
高志が顔だけこちらへ向ける。
「神谷先輩とかは?」
「似たような感じだった」
「仲間いたのか……」
「朝から風呂二か所入ってたけど」
「元気じゃねえか!」
急に声を上げて。
「っ……」
すぐに頭を押さえた。
「ほら」
「お前が変なこと言うからだろ……」
「いや、事実だから」
「何だよ、風呂二か所って……」
「一階の小浴場入ってから、三階の大浴場まで行ったらしい」
「何やってんだ、あの人……」
「泳いでた」
「馬鹿だろ」
「俺もそう言った」
高志はしばらく黙ったあと。
ゆっくり身体を起こした。
「……朝飯」
「ん?」
「一応、行った方がいいかな」
「無理なんじゃなかったの?」
「食わなくても、顔くらい出した方がいいだろ」
「まあ、それはそうかもな」
「水くらい飲みたいし」
「部屋にもあるだろ」
「気分の問題だよ」
「分からん」
高志はベッドから降りる。
かなりゆっくり。
「大丈夫?」
「ギリギリ」
「倒れるなよ」
「誰のせいだと思ってんだよ」
「自分だろ」
「……そうだった」
素直だ。
「じゃあ行くか」
「ちょっと待て」
「何?」
「着替える」
「ああ」
「だから外出てろ」
「別に男同士だろ」
「いいから出ろ」
「はいはい」
俺は笑いながら部屋を出た。
「終わったら呼べよ」
「分かった……」
扉を閉める。
そのまま廊下で少し待つ。
数分して。
「弘」
中から声がした。
「終わった?」
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
扉が開く。
◇
高志が出てきた。
一応。
服はちゃんと着替えている。
ただ。
顔色はまだよくない。
「……やっぱりひどい顔」
「二回言うな」
「だってひどいし」
俺はふと。
少し先の部屋を見る。
さっき松田先輩と別れたのも、ほんのすぐ近くだった。
「高志」
「ん?」
「大野先輩の部屋ってどこ?」
「大野先輩?」
「ああ」
「そこだよ」
高志が同じ廊下の少し先を指さした。
「あの部屋」
「近いな」
「みんなこの辺だぞ」
「そうなんだ」
俺は大野先輩の部屋の方を見る。
松田先輩の姿はない。
廊下も静かなままだった。
「まだ中にいるのかな」
「大野先輩も昨日かなり飲んでたんだろ?」
「うん」
「じゃあ起こすのに時間かかってるんじゃね?」
「そうかもな」
俺はもう一度だけ。
大野先輩の部屋の方をちらっと見た。
やっぱり。
松田先輩の姿はなかった。
でも。
別に気にするほどのことでもない。
「じゃあ行くか」
「ああ」
俺たちはそのまま。
ダイニングホールへ向かった。
「しかしさ」
「何だよ」
「せっかく昨日、うまいワインもいっぱいあったのに」
「…………」
「お前、ビールばっか飲みすぎなんだよ」
「しょうがねえだろ」
「何が?」
「あれは」
高志が少しだけ真面目な顔をする。
「俺たちの苦労の結晶だろ」
「……は?」
「駅からあそこまで運んだんだぞ」
「うん」
「坂上って」
「うん」
「重い荷物持って」
「うん」
「俺たちが飲まなくて誰が飲むんだよ」
「何でそうなるんだよ!」
意味が分からない。
「普通にみんなで飲めばいいだろ」
「違う」
「何が違うんだよ」
「俺たちが一番苦労した」
「まあ、それはそうだけど」
「だから俺たちが一番飲む」
「その理屈で二日酔いになってんじゃねえか!」
「…………」
「反論しろよ」
「今考えてる」
「考えないと出てこない時点で負けだよ」
高志が不満そうに俺を見る。
「お前も飲んでただろ」
「俺は途中からだし」
「ビールも飲んだだろ」
「飲んだけど、潰れるほどじゃない」
「体質の差だ」
「飲み方の差だよ」
俺は呆れながら聞く。
「そもそも、お前昨日どれくらい飲んだんだ?」
「…………」
「高志?」
「覚えてない」
「おい」
「十までは数えた」
「何を?」
「ビール」
「十!?」
「そのあと覚えてない」
「馬鹿じゃないの!?」
「うるせえ……」
「それ二日酔いになるに決まってるだろ!」
「途中から楽しくなってきたんだよ」
「そんな馬鹿な飲み方やめろ!」
「分かったよ……」
高志が面倒そうに返事をする。
「次から気をつける」
「本当に?」
「ああ」
少し歩いて。
高志が続けた。
「まあ、でも」
「何?」
「しばらくあんな宴会もないだろ」
「…………」
「だから、もうあんな飲み方しねえよ」
「…………」
「何だよ」
「いや」
俺は前を向いた。
今日の夜も。
昨日と同じように。
グレートホールで夕食が用意される。
親父はそう言っていた。
料理だけじゃなく。
たぶん。
酒も出るだろう。
でも。
俺は高志に言わなかった。
「何でもない」
「変なやつ」
言ったら。
こいつは絶対。
また飲む。
今日こそ。
昼までに登山の計画を決める。
そして。
夜に飯を食ったら。
帰るつもりだ。
なら。
わざわざ今から酒の話をして。
その気にさせる必要もない。
「そういや」
高志が口を開いた。
「昨日さ」
「ん?」
「俺、最後どうなった?」
「覚えてないの?」
「途中から全然」
「完全に潰れてたよ」
「マジ?」
「マジ」
「どこで?」
「グレートホール」
「そこまでは何となく覚えてる」
「そのあと使用人さんたちが部屋まで運んでくれた」
「……俺、運ばれたの?」
「正確には支えてもらって歩いてたけど」
「全然覚えてねえ」
「『分かった』とか言ってたぞ」
「何が?」
「部屋戻るぞって言ったら」
「……俺が?」
「うん」
「覚えてねえ」
「だと思った」
俺は笑う。
「目もまともに開いてなかったし」
「最悪だな……」
「だから飲みすぎなんだって」
「でも」
高志が少し考える。
「俺、変なことしてないよな?」
「変なこと?」
「誰かに絡んだりとか」
「ああ……」
「何だよ、その反応」
「いや。大したことじゃないけど」
「何した、俺」
「途中で服脱ぎ始めてた」
「…………は?」
「それで奈緒たちの方行こうとしてたから、俺が必死に止めようとした」
「…………」
高志の顔から。
二日酔いとは別の意味で血の気が引いていく。
「マジで?」
「マジで」
「俺、そんなことしたの?」
「全然言うこと聞かなかったぞ」
「うわ……」
高志が頭を抱えた。
「やっちまった……」
「酒癖悪いんだな、お前」
「知らなかった……。俺、そこまで飲んだことなかったし」
「これからは気をつけろよ」
「というか弘」
「ん?」
「そういうとき、ちゃんと見ててくれよ」
「見てたぞ」
「本当か?」
「ああ。お前の面白い裸踊り」
「そういう意味で見てろって言ってんじゃねえよ!」
高志が声を上げて。
「痛っ……」
すぐに頭を押さえた。
「大丈夫?」
「お前のせいだろ……」
「いやあ、なかなか面白かった」
「止めろよ!」
「止めようとはしたって」
「もっと本気で止めろよ!」
「無茶言うなよ」
高志はしばらく頭を抱えていた。
「最悪だ……」
「そんなに?」
「そんなにって、お前……」
高志が青い顔のまま俺を見る。
「俺、このあと藤崎先輩とか奈緒とか千夏にも会うんだぞ?」
「そうだな」
「どんな顔して会えばいいんだよ……」
「普通でいいんじゃない?」
「無理だろ!」
「『昨日はすみませんでした』って」
「何て謝るんだよ! 裸になってすみませんでしたって!?」
俺はとうとう我慢できなくなった。
「ははははっ!」
「……おい」
「悪い、無理」
「弘?」
「嘘だよ」
「…………は?」
「何もしてない。お前は普通に寝てただけ」
「…………」
「裸にもなってないし、誰にも迫ってない」
高志が無言で俺を見る。
その顔がまたおかしくて。
笑いが止まらない。
「お前……」
「いや、あまりにも信じるから」
「ふざけんな!」
「はははっ!」
「俺、本気でどうしようかと思ったんだぞ!」
「悪かったって」
「全然悪いと思ってねえだろ!」
「ちょっとは」
「絶対嘘だ!」
高志は頭を押さえながら。
恨めしそうに俺を睨んだ。
俺はまだ笑いながら。
その隣を歩いていった。
「大野先輩と神谷先輩と松田先輩も一緒に潰れてたから」
「そんなに?」
「男全滅」
「お前いたじゃん」
「俺以外」
「女は?」
「三人とも普通に飲んでた」
「嘘だろ」
「しかも最後まで歩いて部屋戻ってた」
「何者だよ……」
「俺もそう思った」
高志が深いため息をつく。
「俺、もう酒やめようかな」
「どうせ今日だけだろ」
「失礼だな」
「じゃあ本当にやめる?」
「…………」
「ほら」
「少しくらいは飲む」
「もう答え出てるじゃん」
「少しくらいならいいだろ」
「昨日も最初はそうだっただろ」
「……そうだっけ?」
「知らないよ」
二人でそんな話をしながら。
朝の静かな廊下を歩いていく。
「もうすぐ着くぞ」
「……朝飯、食えるかな」
「無理ならスープくらいにしとけば?」
「それならいけるかも」
「あと水飲め」
「分かってる」
「果物もあるぞ」
「だから食い物の話するなって」
「今から朝飯食いに行くんだろ!」
「そうだった……」
本当に大丈夫か。
俺は呆れながら、それでも少し笑った。
ダイニングホールはもうすぐだった。
俺たちは。
昨日のことをくだらなく話しながら。
そのまま朝食の待つ場所へ向かっていった。




