第23話 副部長
一階の廊下を、松田先輩と並んで歩く。
昨日の夜はあれだけ騒がしかったのに、朝の屋敷は妙に静かだった。廊下には俺たち二人の足音だけが響いている。
しばらく歩いたところで、松田先輩が口を開いた。
「なあ、勝田君」
「はい?」
「今さらなんだけどさ」
「何ですか?」
「本当に、俺たちただで泊まってていいのか?」
「え?」
俺は松田先輩を見る。
「昨日も聞いたけど」
松田先輩は周囲を見回した。
「こんな立派な部屋用意してもらって、飯も酒もあれだけ出してもらってさ」
「はい」
「今日の夕食までまた用意してくれるんだろ?」
「そうみたいですね」
「さすがに、ちょっと悪い気がしてきた」
「大丈夫ですよ」
「本当に?」
「親父が自由に使っていいって言ってますから」
「でもなあ」
「さっきの電話でも同じこと言ってましたよ」
「ならいいけど」
それでも、松田先輩は少し気にしているようだった。
「何か払った方がいいなら言ってくれよ」
「いやいや、いらないですって」
「食費くらいはさ」
「本当に大丈夫です」
「そうか?」
「はい」
俺は思わず笑った。
「松田先輩って、結構真面目なんですね」
「何だよ、それ」
「いや、昨日みんなあれだけ盛大に飲み食いしてたから」
「俺まで修平たちと一緒にするなよ」
「松田先輩も食べてたじゃないですか」
「それは食うだろ。目の前にあれだけ並べられたら」
「じゃあ一緒じゃないですか」
「違うって」
松田先輩も笑った。
そのまま少し歩いていると、松田先輩がまた口を開いた。
「あ、そうだ」
「はい?」
「勝田君の親父さんにも、あとでまた礼言っといてくれよ」
「さっき直接言ってたじゃないですか」
「それはそれだよ」
松田先輩が笑う。
「昨日からずっと世話になってるんだし、改めてちゃんとな」
「分かりました」
「あと、おふくろさんにも」
「母さんですか?」
「ああ。親父さんだけじゃなくて、家の人たちみんなに世話になってるようなもんだろ?」
「まあ、そうですね」
「だったら、ありがとうございますって伝えといて」
「分かりました」
「それと」
「まだあるんですか?」
「あるよ」
松田先輩が笑った。
「みんな楽しんでるって伝えといてくれ」
「みんな?」
「ああ。少なくとも俺はかなり楽しませてもらってるし、他のみんなもそうだろ」
「まあ、それはそうですね」
「昨日なんか、楽しみすぎたやつもいたけどな」
「いましたね」
「あと、まだちゃんと礼言ってないやつもいるだろ。その分も一緒に伝えといてくれ」
「分かりました」
「楽しみすぎたやつ、俺じゃないぞ」
「まだ何も言ってませんよ」
「顔が言ってた」
「言ってないですって」
二人で笑う。
でも。
松田先輩は、やっぱりちゃんとしている人なんだと思った。
これだけ豪華なものを用意されても、それを当然だと思っていない。
親父だけじゃなく、母さんにまで礼を伝えてほしいと言う。
それに、自分が楽しかったというだけじゃなく、みんなが楽しんでいることまで伝えてほしいと言ってくれた。
まだちゃんと礼を言っていない人たちの分まで気にしている。
そういうところは、素直に信用できる。
しばらくそのまま歩いていると、昨日のことが頭に浮かんだ。
「そういえば」
「ん?」
「昨日みたいになったら、今日も何も決まらないですよね」
「ああ……」
松田先輩が少し気まずそうな顔をした。
「それは悪かった」
「いや、松田先輩だけのせいじゃないですけど」
「俺ももう少しちゃんと止めればよかったな」
「でも」
俺は首を傾げる。
「そもそも、このサークルって誰がまとめるんですか?」
「俺だよ」
松田先輩が、ごく普通に答えた。
「え?」
「副部長だから」
「……松田先輩、副部長だったんですか?」
「あれ、言ってなかった?」
「聞いてないですよ」
「そうだったか?」
松田先輩は少し考えてから笑った。
「まあ、とにかく今日は大丈夫」
「本当ですか?」
「ああ。昼に一回みんな集まるんだろ?」
「その予定です」
「そのときは俺がちゃんと仕切るよ」
「お願いしますよ」
「昨日みたいにはならないって」
「それなら安心しました」
副部長。
そう聞いて、妙に納得した。
さっき、みんなの分まで親父たちに礼を伝えてほしいと言っていたのも、こういう立場だからなのかもしれない。
金のことを気にして、親父や母さんへの礼まで忘れない。
ちゃんと周りのことも考えている。
こういう人が副部長なら、普段からサークルをまとめているんだろう。
正直。
昨日、真っ先に酒や料理に食いついていた大野先輩とか。
今朝、大浴場で泳いでいた神谷先輩とか。
冗談とはいえ、俺と付き合おうなんて言い出した藤崎先輩とか。
あの人たちが「俺がまとめる」と言っても、たぶん俺は少し不安になる。
でも、松田先輩なら大丈夫そうだ。
むしろ。
この人が副部長でよかった。
俺の中で、松田先輩への信頼が一気に上がった。
この人が仕切ってくれるなら、今日はさすがにちゃんと話が進むだろう。
俺はそう思った。
そのとき、さっきの親父との会話が頭に浮かんだ。
『登山の話は、結局ほとんど進まなかったみたいだな』
「……」
やっぱり。
俺、それ親父に話してないよな。
久世さんから聞いた。
親父はそう言っていた。
それなら、別におかしなことではない。
でも。
久世さんが、そんな細かいことまでわざわざ親父に話したのだろうか。
「勝田君?」
「え?」
「どうした?」
松田先輩が俺を見ていた。
「いや。何でもないです」
「そう?」
「はい」
別に大したことじゃない。
親父と久世さんが普段から連絡を取り合っているなら、昨日の様子を聞いていたっておかしくはない。
俺はそれ以上考えるのをやめた。
少し進むと、松田先輩が廊下の先を指さした。
「あ」
「どうしました?」
「田野君の部屋、あっち」
「どこです?」
「あの辺。もうすぐ」
「ありがとうございます」
「俺も途中までは同じだから」
そのまま二人で歩いていく。
やがて、廊下が二つに分かれている場所まで来た。
「俺はこっち」
松田先輩が片方を指さす。
「修平を起こしてくる」
「分かりました」
「田野君の部屋は、このまま真っすぐ行けばすぐだから」
「はい」
松田先輩が歩き出そうとして、ふと振り返った。
「ちゃんと起こしてこいよ」
「分かってますよ」
「お母さんなんだろ?」
「違いますって!」
松田先輩が笑った。
「じゃあ後でな」
「はい」
俺は松田先輩と別れた。
廊下の先を見る。
高志の部屋は、もうすぐそこだった。
俺は一人で、その部屋へ向かった。




