第19話 二日目の朝
――ピンポーン。
「……ん」
何かの音で目が覚めた。
最初はスマートフォンのアラームかと思ったけど、違う。
もう一度。
――ピンポーン。
「……何だ?」
まだ少し重い頭を起こし、枕元に置いていたスマートフォンを手に取る。
「六時……」
まだ朝の六時だった。
「早いな……」
そこで、また同じ音が鳴った。
今度はようやく、その正体に気づく。
部屋に備え付けられている館内用の連絡機だった。
「これか」
ベッドから降りて、受話器を取る。
「はい」
『おはようございます、若様』
「あ、久世さん」
聞き慣れてきた声だった。
『お休みのところ、失礼いたしました』
「いえ、大丈夫です」
寝起きではあるけど、昨日は宴会が終わって部屋へ戻り、軽くシャワーだけ浴びて、そのまますぐに眠ったはずだ。
酒もそこまで残っている感じはしない。
『朝食のご用意が整いましたので、ご連絡いたしました』
「朝食?」
『はい。午前六時半より、ダイニングホールにてお召し上がりいただけます』
時計を見る。
まだ六時を少し過ぎたところだ。
「六時半からなんですね」
『はい。ただし、お時間を合わせてお越しいただく必要はございません』
「え?」
『皆様がお目覚めになりましたら、お好きなお時間にお越しくださいませ。いつでもお召し上がりいただけるようご用意しております』
「ああ、そういうことですか」
それなら助かる。
昨日あれだけ飲んだ連中が、六時半に全員起きてくるとは思えない。
特に、酔いつぶれて使用人に運ばれていった高志たちが、こんな時間に起きてくる姿なんて想像できなかった。
「ダイニングホールって、どこでしたっけ?」
『昨日ご利用いただきましたグレートホールから、二部屋ほど先にございます』
「分かりました」
『各階の館内図にも記載がございますので、そちらをご覧いただければお分かりになるかと存じます』
「ありがとうございます」
『それでは、ごゆっくりお支度くださいませ』
「はい」
『失礼いたします、若様』
連絡が切れる。
俺は受話器を戻し、一度大きく伸びをした。
「んー……」
多少身体は重いけど、二日酔いというほどではなかった。
最後に少し飲んだくらいだから、それも当然か。
昨日着ていた服を手に取ると、思った以上に酒と料理の匂いが残っていた。
「……酒くさ」
これはもう着たくない。
幸い、何日か泊まるつもりで着替えは持ってきている。
新しい服を出そうとして、クローゼットの横に置かれている白い袋が目に入った。
「何だこれ」
袋の横には、小さな案内が置かれている。
手に取って読む。
「……ランドリー?」
どうやら洗濯物を入れるための袋らしい。
使用済みの衣類を袋へ入れ、客室の外へ出しておけば、夕方までに洗濯して届けてもらえると書かれている。
「こんなことまでしてくれるのか……」
ホテルでも、ここまで何でもやってもらった経験なんてほとんどない。
俺は昨日着ていた服をまとめて袋へ入れ、案内通り部屋の外へ出しておいた。
「便利だな」
部屋へ戻って新しい服に着替え、顔を洗って髪を軽く整える。
それからカーテンを開けた。
朝の稲田市が、窓の向こうに広がっている。
昨日の夜に見た景色とは違い、街全体がまだ静かだった。
道路を走る車も少ない。
駅の周辺だけは、少しずつ人が動き始めているように見えた。
「……今日はちゃんと決めないとな」
昨日のことを思い出す。
登山の計画は、結局何一つ決まらなかった。
今日こそ、できれば昼までには全部まとめてしまいたい。
それに、いつまでもここに泊まっているわけにもいかない。
親父は好きに使っていいと言ってくれているし、久世さんたちも嫌な顔一つせず世話をしてくれている。
だからといって、それに甘えて何日も居続けるのは違うだろう。
「今日中には帰らないとな」
そう言ったら、何人かは反対するかもしれない。
せっかくこんな屋敷に来たんだから、もう少しいたい。
まだ使っていない施設がある。
もっとゆっくりしたい。
藤崎先輩や千夏あたりなら、そんなことを言い出しそうな気もする。
酒の話になれば、もっといろいろ屁理屈を並べてくるかもしれない。
「……いや」
そこまで考えて、少し心配しすぎな気もしてきた。
そもそも俺たちは遊びに来たわけじゃない。
秋の登山計画を決めるために、ここへ集まったんだ。
昨日は宴会が始まってしまって、結局まともに話し合うことすらできなかった。
でも、さすがに二日続けて同じことはしないだろう。
先輩たちだって子供じゃない。
本来の目的くらい分かっているはずだ。
俺がわざわざ厳しく言わなくても、今日はちゃんと集まって話し合ってくれるかもしれない。
それに酒だってそうだ。
昨日はみんな、かなり飲んでいた。
高志たちなんて完全に酔いつぶれて、使用人に部屋まで運ばれていったくらいだ。
あれだけ飲んだ翌日なら。
「今日は酒いらないって言うかもな」
むしろ、もう飲みたくないと言うやつの方が多いかもしれない。
下手をすれば、今日も飲みたいなんて言い出すやつは一人もいないんじゃないか。
昨日、酒のせいで話し合いができなかったことだって、みんな覚えているはずだ。
同じ失敗を二日続けて繰り返すほど、みんな馬鹿じゃない。
「……考えすぎか」
そう思うと、さっきまで心配していたのが少し馬鹿らしくなった。
たぶん、俺の杞憂だ。
今日はちゃんと登山の計画を決めて、そのあと少し遊んで、夜までにはみんなで帰る。
それで何の問題もないはずだった。
スマートフォンを見ると、六時半まではまだ少し時間がある。
朝食を食べに行くには早いし、もう一度寝るほどでもない。
そこで、昨日久世さんから聞いた話を思い出した。
「大浴場……」
そうだ。
この屋敷には大浴場がある。
昨日は酒を飲んでいたから行かなかった。
部屋のシャワーで済ませてしまったけど、せっかくなら一度くらい入ってみたい。
「どこだっけ」
俺は部屋を出て、廊下にある館内図を確認する。
一階には小さめの浴場。
そして、俺が今いる三階にも大浴場がある。
「あった。近いじゃん」
俺の部屋から、それほど離れていない。
しかも館内図を見る限り、三階の大浴場は建物の外側に面しているようだった。
昨日、部屋から見た稲田市の景色を思い出す。
「……展望風呂みたいになってるのかな」
三階からなら、あの街並みを見下ろせる。
もし風呂から同じ方向が見えるなら、かなり眺めはいいはずだ。
「そっち行ってみるか」
朝食までの時間を考えてもちょうどいい。
俺は館内図で道順を確認すると、大浴場へ向かって歩き始めた。
朝早いせいか、三階の廊下にはほとんど人の気配がない。
昨日はあれだけ騒がしかったのに、今は自分の足音くらいしか聞こえなかった。
「そういえば、タオルとかどうなってるんだろ」
何も持ってきていないことに途中で気づく。
部屋に戻った方がいいのかとも思ったけど、ここまで何でも用意されている屋敷だ。
大浴場にも普通に置いてある気がする。
「まあ、行けば分かるか」
なければ戻ればいい。
俺は、今日こそみんなでちゃんと話し合えるだろうと考えながら。
まだ一度も行ったことのない、三階の大浴場へ向かって歩いていった。




