第15話 若様の屋敷
結局。
秋の登山計画は、何一つ決まらなかった。
行く山も。
日程も。
日帰りなのか、泊まりなのかも。
何度話を戻そうとしても、誰かが別の話を始める。
気づけばまた酒の話になって。
料理の話になって。
この屋敷の話になっていた。
「……もう駄目だな」
俺は小さく呟いた。
目の前では、大野先輩がすっかり出来上がっている。
神谷先輩も飲んでいる。
高志も。
奈緒も。
千夏も。
そして。
「これ美味しいな」
松田先輩まで、いつの間にかグラスを持っていた。
「松田先輩!」
「ん?」
「飲まないって言ってたじゃないですか!」
「言ったっけ?」
「言いましたよ!」
「まあまあ」
「その言葉、大野先輩から何回も聞きました!」
みんなが笑う。
その横では、藤崎先輩までワインを飲んでいた。
「藤崎先輩も!」
「私は少しだけだよ」
「全員それ言うんですよ!」
「大丈夫、大丈夫」
「大丈夫じゃないです!」
もう。
俺以外、全員飲んでいる。
登山計画なんて、誰も気にしていない。
「……」
俺はテーブルの上を見る。
料理はまだ次々と運ばれてくる。
しかも。
改めて見ると、どれもかなり豪華だった。
肉料理。
魚料理。
見たこともない料理。
酒だって、俺たちがスーパーで買ってきたものだけじゃない。
瓶を見ても、俺にはよく分からないものばかりだ。
「そういえば……」
俺は辺りを見回した。
少し離れたところにいた久世さんと目が合う。
すると。
俺が呼ぶより先に、久世さんがこちらへ歩いてきた。
「お呼びでしょうか、若様」
「あ、はい」
「何なりとお申し付けください」
「あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
その瞬間。
「また確認?」
奈緒が言った。
「またかよ」
高志まで笑う。
「違うって!」
「何が?」
「今度は屋敷のことじゃない!」
「本当に?」
「本当だよ!」
俺は久世さんを見る。
「あの……この料理とか酒って、本当にうちの親が用意するように言ったんですか?」
「ほら、また確認してる」
高志が笑う。
「だから今回は別件だって!」
「似たようなもんじゃん」
「違う!」
俺はため息をついて、久世さんへ向き直った。
「こんなにいろいろ用意されてると思ってなかったんで」
「なるほど」
久世さんは静かに頭を下げた。
「はい。旦那様と奥様より、若様とご友人の皆様を十分にもてなすよう仰せつかっております」
「やっぱり親父たちが?」
「はい」
「旦那様って、勝田浩一ですよね?」
一瞬。
また周りが静かになった。
「お前」
高志が呆れた顔をする。
「そこまで確認する?」
「念のためだよ!」
「結局またやってるじゃん!」
「今回は名前の確認だろ!」
「同じだって!」
笑い声が上がる。
久世さんだけはいつも通りだった。
「はい。浩一様でございます。そして奥様は純子様でございます」
「ああ……」
間違いない。
親父と母さんだ。
「お二人より、皆様に不自由のないようにと伺っております」
「そうなんですね」
「お料理、お飲み物ともに、必要なものがございましたら何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます」
俺はようやく納得した。
ここまでの料理も。
大量の酒も。
俺たちが買ってきたものを冷やして出してくれたことも。
全部、親父たちの指示だったらしい。
「ほら」
高志が言う。
「また何も問題なかった」
「分かったよ」
「本当に?」
「もう聞かない!」
「明日も聞きそう」
「聞かないって!」
また笑われた。
「でも」
千夏が辺りを見回した。
「せっかくだから聞いていいですか?」
「はい。何なりと」
久世さんが答える。
「この屋敷って、他に何があるんですか?」
「他に?」
「はい。こんなに広いじゃないですか」
千夏が楽しそうに言う。
「部屋とこのグレートホール以外にも、何かあるのかなって」
「あ、それ私も気になる」
奈緒も乗ってくる。
「何か遊べるところとかあるんですか?」
その質問に。
久世さんは少し考えてから答えた。
「いくつかございます」
「本当ですか?」
「はい」
久世さんが説明を始める。
「まず、庭の奥から丘の周囲へ続く散策路がございます」
「散策路?」
「軽いハイキングをお楽しみいただける程度のものではございますが」
「ハイキングコースあるんだ」
高志が言った。
「もうそこでよくない?」
「何が?」
「登山」
「それ登山じゃないだろ」
「歩くんだから同じようなもんだろ」
「全然違う!」
みんなが笑う。
久世さんは構わず続けた。
「それから、大浴場がございます」
「大浴場!?」
奈緒がすぐ反応した。
「お風呂あるんですか?」
「はい」
「部屋にもあるのに?」
「ございます」
「すご……」
千夏まで目を丸くする。
「その他には、遊技室がございます」
「遊技室?」
「ビリヤードなどをお楽しみいただけます」
「ビリヤード!」
高志が食いついた。
「やろうぜ!」
「まだ説明途中だろ」
「あとでやろう!」
「元気だな、お前」
「軽く身体を動かしていただける設備もございます」
久世さんが続ける。
「簡単なトレーニングができる程度ではございますが」
「ジムまであるの?」
藤崎先輩が驚く。
「小規模なものでございます」
「十分すごいですよ」
松田先輩が笑う。
「ほかには?」
奈緒が聞いた。
「小型のシアタールームもございます」
「シアタールーム!?」
今度は全員が反応した。
「映画見られるんですか?」
「はい」
「どのくらい入れるんです?」
松田先輩が聞く。
「二十名ほどでしたら、ご一緒にお楽しみいただけます」
「小型じゃないじゃん」
高志が言った。
「俺たち全員入っても余裕じゃん」
「映画見ようよ!」
千夏が言う。
「いいね!」
奈緒もすぐ賛成する。
「待て待て」
俺は思わず止めた。
「そんなのあったの?」
一斉に視線が俺へ向く。
「……何?」
嫌な予感がした。
「また知らないふり?」
奈緒が笑う。
「知らないふりじゃない!」
「自分の屋敷なのに?」
「本当に知らなかったんだって!」
「若様なのに?」
高志が言う。
「お前はもう若様って言いたいだけだろ!」
「バレた?」
「バレバレだよ!」
みんなが笑う。
俺は久世さんを見る。
「俺、館内のこと全然知らないんですけど」
「各階のお部屋付近に、館内図をご用意しております」
「あったんだ……」
「そちらをご覧いただければ、各施設の場所がお分かりになるかと存じます」
「全然見てなかった」
「弘らしい」
高志が笑う。
「今日初めて来たみたいになってるじゃん」
「だから十年ぶりなんだって!」
「はいはい」
「絶対信じてないだろ!」
俺が言うと、また笑われた。
「それで」
千夏が久世さんを見る。
「こういうところって、何時まで使えるんですか?」
「特に時間の制限はございません」
「え?」
「二十四時間、ご自由にお使いくださいませ」
一瞬。
みんなが黙った。
「……二十四時間?」
奈緒が聞き返す。
「はい」
「夜中でも?」
「はい」
「シアタールームも?」
「もちろんでございます」
「ビリヤードも?」
「ご自由に」
「大浴場も?」
「はい」
「すご!」
千夏が声を上げた。
「じゃあ、このあと映画見られるじゃん!」
「ビリヤードもやろうぜ!」
高志も乗ってくる。
「大浴場行きたい!」
奈緒が言った。
「私も!」
千夏も頷く。
「いや」
俺はすぐに止めた。
「大浴場は今やめとけ」
「何で?」
「お前ら飲んでるだろ」
「あ」
「せめて酒抜けてからにしろよ」
「えー」
「えーじゃない」
すると。
「そうだよ」
藤崎先輩が真面目な顔で言った。
「勝田君の言うこと聞いた方がいいよ」
「ほら」
俺は奈緒たちを見る。
「先輩を見習え」
「酔っ払って大浴場で騒いで、使用人さんたちに迷惑かけたら駄目でしょ」
「ですよね」
珍しくまともなことを言っている。
そう思った直後。
藤崎先輩がグラスを片手に続けた。
「そのうち私がここに住むことになったとき、気まずくなるから」
「まだそれ言ってるんですか!」
みんなが吹き出した。
「だって大事でしょ?」
「何がですか!」
「将来お世話になる人たちには、今から印象よくしておかないと」
「住むこと決まってないですから!」
「まだね」
「『まだ』じゃない!」
藤崎先輩が舌を少し出した。
「冗談、冗談」
「絶対半分くらい本気でしょ」
「さあ?」
また笑い声が上がった。
ふと見ると。
大野先輩は、いつの間にかテーブルに突っ伏していた。
「……寝てない?」
俺が言う。
「寝てるな」
神谷先輩が笑う。
「さっきまであんなに元気だったのに」
「飲みすぎなんですよ」
一方で。
奈緒。
千夏。
藤崎先輩。
三人はまだかなり元気だった。
「映画何見る?」
「ホラーは?」
「ここでホラーは嫌じゃない?」
「むしろ楽しそう」
「ビリヤード先でもいいよ」
「明日はハイキングコース歩こうよ」
「いいね」
そこへ高志まで入っていく。
「俺もビリヤードやりたい」
「負けた人何か奢る?」
「ここ全部タダみたいなもんだろ」
「あ、そっか」
「じゃあ罰ゲーム」
「だからお前ら!」
俺は思わず声を上げた。
「登山計画はどうしたんだよ!」
みんなが俺を見る。
「……」
「……」
少しだけ沈黙して。
「明日でよくない?」
奈緒が言った。
「出たよ!」
「だってもう今日は無理でしょ」
千夏も言う。
「みんな酔ってるし」
「お前もその一人だからな!」
「そうだけど」
「認めるんだ……」
高志も笑う。
「弘、もう諦めろって」
「お前まで」
「今日は遊ぼうぜ」
「……」
俺はテーブルを見る。
登山の予定。
候補の山。
日程。
さっきまで何度も確認していたものが、そのまま残っている。
結局。
何一つ決まっていない。
その周りでは。
映画。
ビリヤード。
大浴場。
ハイキング。
酒。
料理。
そんな話ばかりが飛び交っている。
俺一人だけが真面目に登山の話を戻そうとしているのが。
だんだん馬鹿らしくなってきた。
「弘」
高志が呼ぶ。
「何だよ」
「飲む?」
見ると。
高志がグラスを差し出していた。
「……」
俺はそのグラスを見る。
「登山計画」
「明日」
「本当にやる?」
「やるやる」
「絶対?」
「たぶん」
「もう信用できねえよ」
高志が笑う。
「いいじゃん。今日は」
「弘も飲もうよ」
奈緒が言う。
「今度こそ明日ちゃんとやればいいって」
千夏も頷く。
「私も手伝うから」
「絶対忘れるだろ」
「忘れないって」
藤崎先輩まで笑う。
「勝田君、真面目すぎ」
「誰かが真面目じゃないと何も決まらないんですよ」
「でも今日はもう何も決まらなそうだよ?」
「……」
それを言われると。
何も言い返せなかった。
大野先輩は寝ている。
神谷先輩もかなり酔っている。
高志も。
奈緒も。
千夏も。
藤崎先輩も。
松田先輩も。
みんな完全に遊ぶ気だ。
「……もういい」
俺はため息をついた。
そして。
高志からグラスを受け取った。
「お」
高志が笑う。
「やっと若様も参加か」
「うるさい」
「乾杯する?」
「今日何回目だよ」
「細かいこと気にするなって」
俺はグラスを口へ運んだ。
冷たい酒が、喉を通っていく。
「……うま」
「だろ?」
「だからってお前が偉そうにするな」
「俺が勧めたからな」
「はいはい」
もう今日は。
登山のことなんて考えなくていい。
そう思ったら。
さっきまで一人で必死に話を戻そうとしていたのが、何だか馬鹿らしく思えてきた。
「よし!」
高志が自分のグラスを持ち上げる。
「若様も飲んだことだし、もう一回乾杯しようぜ!」
「何で俺基準なんだよ」
「いいから」
「若様に乾杯!」
神谷先輩まで乗ってくる。
「だからやめろって!」
「乾杯!」
奈緒がグラスを上げる。
「乾杯!」
千夏も。
藤崎先輩も。
松田先輩も。
みんなが楽しそうにグラスを掲げた。
俺は大きくため息をついて。
それから。
「……乾杯」
今度は俺も。
自分からグラスを上げた。
結局。
その日。
秋の登山について決まったことは、何一つなかった。
みんなが考えていたのは。
食べること。
飲むこと。
この屋敷で、次に何をして遊ぶか。
それだけだった。
そして。
いつの間にか俺も。
その中の一人になっていた。




