第13話 遅れてきた二人
「え、何ここ」
入ってきた藤崎彩香先輩が、グレートホールを見るなり足を止めた。
その後ろから松田圭介先輩も入ってくる。
二人とも、しばらくその場から動かなかった。
「ちょっと待て。聞いてた話と違わない?」
「何がですか?」
「家を借りるって聞いてたんだけど」
松田先輩がグレートホールを見回す。
「これ家なの?」
「勝田んちの屋敷らしいですよ」
高志が得意げに言った。
「何で田野が得意そうなんだよ」
「まあまあ。その辺はあとで説明します」
「お前が説明するの?」
「できますよ」
「何でだよ」
俺が突っ込むと、みんなが笑った。
藤崎先輩はそんな俺たちを横目に、改めてグレートホールを見回している。
高い天井。
広い空間。
長いテーブル。
そこに並べられた大量の料理と酒。
「そういえば私たち、入口でえらく丁寧に迎えられたんだけど」
「でしょ?」
奈緒がすぐに反応する。
「私たちもびっくりしました」
「使用人までいるんだね」
「そうなんですよ」
千夏も楽しそうに話している。
「しかも部屋まで一人ずつ案内してくれましたよ」
「マジで?」
「一人一部屋です」
「ホテルじゃん」
藤崎先輩が笑う。
「いや、ホテルよりすごいかも」
奈緒が言った。
「部屋めちゃくちゃ広かったです」
「いいなあ」
松田先輩は俺を見てから、今度は高志へ視線を向けた。
「じゃあ田野は?」
「俺ですか?」
「お前、勝田と高校からの付き合いなんだろ?」
「そうですよ」
「じゃあ、ここには何回か来てるのか?」
「いや、俺も今日が初めてですよ」
「そうなの?」
「はい」
高志が俺を指さした。
「っていうか、弘もここに来るの十年ぶりらしいですから」
「十年ぶり?」
藤崎先輩が驚いたように俺を見る。
「はい。小さい頃に来て以来ですね」
「え、こんな屋敷あるのに?」
「そうなんですよ」
「それ、もったいなくない?」
藤崎先輩が言った。
「やっぱりそう思います?」
「思うよ」
藤崎先輩は当然のように頷く。
「私だったら絶対使うけど」
「分かる」
奈緒も頷いた。
「大学からもそこまで遠くないもんね」
「俺もこんな家使えるなら、わざわざ寮なんか住まないな」
松田先輩が言う。
「……確かに」
俺は思わず頷いた。
そして、藤崎先輩を見る。
「先輩」
「何?」
「じゃあ俺、何で寮に住んでるんですかね?」
一瞬。
全員が黙った。
次の瞬間。
「知らないよ!」
藤崎先輩が吹き出した。
「何で私に聞くの!」
みんなも一斉に笑い出す。
「いや、言われてみたら本当にそうだなと思って」
「自分のことだろ!」
高志が腹を抱えている。
「何で他人に聞くんだよ!」
「だって俺も今気づいたんだよ!」
「それが一番おかしいんだって!」
千夏まで笑いながら言う。
「弘、自分の家なのに何も知らなすぎでしょ」
「仕方ないだろ。使ってなかったんだから!」
「でも寮に住むって決めたのは弘でしょ?」
奈緒が聞く。
「まあ、そうだけど……」
俺は少し考えた。
確かに。
俺は大学の近くにある寮に住んでいる。
ただ、ここなら、稲田市からなら電車で十分通える距離だ。
こんな屋敷が自由に使えるなら、わざわざ寮で暮らす必要なんてない。
何で俺はここを使わなかったんだ?
そもそも。
父さんも母さんも、一度もここから大学へ通えばいいと言わなかった。
「また考えてる」
高志が俺の顔を覗き込んだ。
「いや……」
「こいつ、今日ずっとこんな感じなんですよ」
高志が先輩たちに言う。
「この家のこと、本人が一番知らないんです」
「それはそれですごいな」
松田先輩が笑う。
そのとき。
藤崎先輩が何かを思い出したように俺を見る。
「あれ?」
「何ですか?」
「そういえば、さっき使用人の人に何て呼ばれてたっけ?」
「え?」
「若様?」
嫌な予感がした。
「あ」
奈緒が笑う。
「そうです。若様です」
「ちょっと」
「やっぱり!」
藤崎先輩が楽しそうに笑った。
「勝田、本当に坊ちゃんじゃん」
「坊ちゃんじゃないですって!」
「若様って呼ばれてる人が何言ってるの?」
「俺がそう呼ばせてるわけじゃないですから!」
松田先輩まで笑い出す。
「いやあ、勝田が坊ちゃんだったとはな」
「だから坊ちゃんじゃないです!」
「屋敷があって、使用人がいて、若様って呼ばれてる」
松田先輩が指を折りながら数える。
「十分坊ちゃんだろ」
「そう言われると反論しづらいですけど!」
「若様」
横から高志が呼ぶ。
「お前は黙れ!」
「何でだよ」
「今日何回それでいじってるんだよ!」
高志は笑いながらグラスを置いた。
「でも俺、見る目あったよなあ」
「何の話だよ」
「弘をサークルに誘ったこと」
「は?」
高志は藤崎先輩と松田先輩を見る。
「ちなみに、こいつをサークルに誘ったの俺ですからね」
「何でそれを自慢するんだよ」
松田先輩が言う。
「だって考えてみてくださいよ」
高志が得意そうに続ける。
「俺が弘を誘ってなかったら、今回ここ使えてなかったかもしれないんですよ?」
「おい」
「つまり」
高志が自分の胸を指さした。
「今日こうしてみんなで豪華な屋敷に泊まれて、こんな料理まで食えるのは、俺の功績でもある」
「何でそうなるんだよ!」
「結果論だよ、結果論」
「お前、俺にこんな屋敷があるなんて知らなかっただろ!」
「知らなかった」
「じゃあ功績じゃないだろ!」
「でも誘った」
「それはそうだけど!」
「しかも高校からの付き合いなんだろ?」
松田先輩が聞く。
「はい」
高志が答える。
「じゃあサークルに誘う前から友達だったんじゃん」
「そうです」
「ますます田野の功績じゃないな」
「いやいや」
高志が首を振る。
「大事なのは、俺が弘の将来性を見抜いてたってことですよ」
「何の将来性だよ!」
「金持ちの友人としての」
「最悪だなお前!」
みんなが笑った。
「冗談だって」
高志も笑う。
「こいつのいいところなんですよ」
「何が?」
「こういうの全然鼻にかけないところ」
高志が俺を指さす。
「今までこんな家持ってることも、ほとんど言ってなかったし」
「だから隠してたわけじゃないって」
「本人が一番よく分かってないもんな」
「それ言うなよ!」
松田先輩が俺を見る。
「でも確かに、嫌味のない金持ちではあるな」
「何ですか、嫌味のない金持ちって」
「俺たちにこんなところタダで貸してくれる、いい金持ち」
「それ、先輩たちにとって都合がいい奴ってだけじゃないですか」
「そうとも言う」
みんなが笑った。
「あ、そうだ」
藤崎先輩が持っていた袋を持ち上げた。
「私たちも食べ物と飲み物買ってきたんだけど……」
そして、テーブルに並んだ料理を見る。
「これ見たあとだと出しづらいな」
「俺たちも買ってきましたよ」
高志が言った。
「完全にかぶりました」
「そのうちビールはもう飲んでるけどな」
俺が言う。
「ちゃんと冷えてたからな」
「まだ言うか」
藤崎先輩が首を傾げた。
「何の話?」
「気にしないでください」
「俺たちの苦労の結晶の話です」
「黙れ」
俺が睨むと、高志が笑った。
「じゃあ、これどうする?」
藤崎先輩が袋を見る。
その会話を聞いていた久世さんが、静かに近づいてきた。
「もしよろしければ、お持ちいただいたものはこちらでお預かりいたしましょうか」
「いいんですか?」
「はい。お皿に盛りつけ、皆様がお召し上がりになりやすいようにしてお持ちいたします」
「あ、それならお願いします」
藤崎先輩が袋を渡した。
「ありがとうございます」
久世さんが近くにいた使用人へ目を向ける。
使用人が荷物を受け取ると、静かに別の部屋へ運んでいった。
「……すげえな」
松田先輩がその背中を見送る。
「ほんとホテルだろ、ここ」
「だから俺も今日初めて知ったようなもんなんですって」
「勝田」
「はい?」
「お前んち、マジで何やってんの?」
「それ、今日何回聞かれたと思います?」
「じゃあ答えは?」
「よく分かりません」
「何でだよ」
また笑いが起きた。
「とりあえず二人とも座れば?」
奈緒が言う。
「もう完全に宴会になってますけど」
藤崎先輩がテーブルを見る。
大騒ぎしているサークルメンバーを見て、藤崎先輩は苦笑する。
「……本当に宴会だね」
「でしょう?」
千夏が笑う。
「で」
藤崎先輩が俺を見る。
「登山の計画は?」
「聞かないでください」
俺はため息をついた。
「全然進んでません」
「何してたの?」
「見れば分かるでしょ」
俺がテーブルを指さす。
大量の料理。
酒。
空になったグラス。
高志と俺が苦労して運んだビールの空き缶。
そして、すでに出来上がり始めている先輩たち。
「ああ」
藤崎先輩が納得したように頷いた。
「これは無理そうだね」
「諦めないでくださいよ!」
「でも、もう飲んでるじゃん」
「俺は飲んでません!」
「一人だけ?」
「一人だけです!」
「かわいそう」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
みんなが笑った。
「まあまあ、勝田」
松田先輩が俺の肩を軽く叩く。
「俺たちも来たことだし、ここから仕切り直せばいいだろ」
「ですよね!」
ようやくまともな人が来た。
俺は少し安心した。
「とりあえず座って、飯食ってからな」
「……」
「どうした?」
「いや」
嫌な予感がしただけだ。
藤崎先輩と松田先輩も、空いている席へ座った。
それからしばらく。
二人も料理を食べながら、俺たちと話していた。
屋敷のこと。
大学のこと。
そして一応、少しだけ登山のことも。
もっとも。
大野先輩たちは相変わらず飲んでいるし、話はすぐに別の方向へ逸れてしまう。
結局、話はほとんど進まなかった。
「そういえば」
俺は藤崎先輩と松田先輩を見る。
「二人とも、まだ部屋行ってないですよね?」
「あ」
藤崎先輩が声を上げる。
「そうだった」
「俺も忘れてた」
松田先輩が笑った。
「荷物もあるでしょうし、一回部屋見てきた方がいいですよ」
「そうだね」
「じゃあ、ちょっと行ってくるか」
俺は少し離れたところにいた久世さんへ声をかけた。
「久世さん」
「はい、若様」
「二人を部屋まで案内してもらえますか?」
「かしこまりました」
久世さんが静かに頭を下げる。
そして近くに控えていた使用人へ目を向けた。
すぐに二人の使用人が前へ出る。
「それぞれのお部屋へご案内いたします」
「お願いします」
藤崎先輩が立ち上がった。
松田先輩も席を離れる。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「はい」
「戻ってきたら今度こそ登山の話だからな」
松田先輩が言った。
「お願いしますよ、本当に」
「分かってるって」
二人はそれぞれ使用人に案内され、グレートホールを出ていった。
扉が閉まる。
「……若様」
後ろから高志の声がした。
「何だよ」
「今の、めちゃくちゃ坊ちゃんっぽかったぞ」
「は?」
「分かる」
奈緒まで頷く。
「『二人を部屋まで案内してもらえますか?』」
わざと俺の真似をする。
「普通に頼んだだけだろ!」
「それが自然に出てくるのが坊ちゃんなんだって」
千夏が笑った。
「しかも言ったらすぐ使用人さん二人出てきたし」
「俺のせいじゃないだろ!」
「さすが若様」
大野先輩がグラスを掲げる。
「やめてください!」
「若様に乾杯」
「何で乾杯するんですか!」
「乾杯!」
「お前らまで乗るな!」
笑い声がグレートホールに響いた。
俺は大きくため息をつく。
今日だけで。
あと何回、若様とか坊ちゃんとか言われるんだろう。
そんなことを考えながら。
俺は、二人が出ていった扉を見た。




