<月の花屋>
奥から現れたのは、グレーの毛並みを持つ、おしゃれなスカーフを頭にまとった女性のうさぎだった。
草木染めのような深い緑色の上質なエプロンを身につけ、
ポケットには様々な剪定バサミや手入れ用の道具が機能的に収められている。
彼女がこの花屋の店主だ。
挨拶と自己紹介を交わすと、店主は深く頷き、長い耳を誇らしげに揺らした。
「本日は我が『月の花屋』へようこそ」
メディアの取材にはすっかり慣れているようで、こちらの意図を汲み取るスピードが異常に早い。
スムーズにインタビューが開始された。
「まずは、うちの主力商品からご案内しましょう。こちらへ」
店主に案内されたのは、店内の奥にある特別なショーケースだった。
そこには、まるで宝石のようにカッティングされた美しい花々が、温度管理されたケースの中で鎮座している。
「美しいでしょう?
ですが、これらはただ鑑賞するためだけのものではないのですよ。
こちらの花は、食用も兼ねておりましてね。当店でも一番の人気商品なのです」
「食用、ですか」
「ええ。一口に食用と言っても、ただサラダに散らすようなものとは次元が違います。
我々の世界において、花は目で見て楽しみ、香りで心を癒やし、
そして最後に『味わう』ことで完成する芸術なのです」
そう言って店主は、ケースから小さなピンク色の花を一輪取り出し、ぼくに差し出した。
「『月見草の甘露仕立て』です。
どうぞ、花びらを一枚ちぎって、そのまま召し上がってみてください」
促されるままに、恐る恐る花びらを一枚口に含む。
その瞬間、脳天を突き抜けるような衝撃が走った。
花びらとは思えないシャキッとした心地よい歯ごたえ。
そして、噛むほどに溢れ出す、上質な果実のような濃厚な甘みと、鼻を抜ける清涼感のある香り。
「……美味しい。
信じられない、これは本当に花ですか?」
「うふふ!
素晴らしいリアクションです。記者の鑑ですね」
店主は愉快そうに笑い、店の奥にある頑丈な扉を指さした。
「この美味しさの秘密は、裏の施設にあります。
特別にお見せしましょう」
店主の案内に従い、店舗の奥にある分厚い防音扉を抜けると、
そこには表の華やかで静かな空間とは全く異なる、活気に満ちた風景が広がっていた。
「これが、当店の誇る花の加工施設です」
そこに漂う香りはとてつもなく芳醇だ。
そして、そこはまるで最先端の食品工場だった。
白衣と衛生キャップを被った従業員たちが、収穫されたばかりの大量の花をベルトコンベアに乗せ、丁寧に選別している。
あるラインでは花びらを傷つけないように特殊な水流で洗浄し、
また別のラインでは専用の乾燥機にかけて保存用のドライフラワーやハーブティーの原料を作っていた。
部屋の奥からは、花弁を煮詰めてシロップを抽出する甘い香りが漂い、鼻腔をくすぐる。
単なる園芸店だと思っていたぼくの予想は、見事に裏切られた。
「ここでは、花の種類に合わせて一つ一つ加工方法を変えています。
毒素を抜くための熱処理、甘みを引き出すための低温熟成……。
花を『料理』し、最高の状態でお客様に届けるのが我々花屋の仕事なのです」
「…なるほど。鑑賞と食が、完全に一体化しているんですね」
懸命にメモを取るぼくの姿を見て、店主はさらに言葉を継いだ。
「ええ。我々うさぎにとって、草花は命の源。
それゆえに、この世界における『花文化』は非常に独特な発展を遂げました。
特に『贈答文化』においては、花は絶対的な意味を持ちます」
「贈答文化、ですか。
地球……いや、私の知る文化でも、お祝い事には花を贈りますが」
「単に贈るだけではありませんよ。」と店主は説明を続けた。
「例えば、相手の健康を気遣う時は、栄養価が高く滋養強壮に効く『太陽のヒマワリ』を贈る。
謝罪の時は、心を落ち着かせる成分が含まれた『静寂の青百合』を贈る。
贈られた側は、その花を飾って楽しんだ後、スープにしたりお茶にしたりして体に取り込むのです。
思いを、文字通り『腹に収める』わけですね」
そこまで言うと、店主は少しだけ声を潜め、ロマンチックな作り笑いを浮かべた。
「中でも特別なのは、『恋人へ送る花』です」
「恋人、ですか」
「プロポーズの際、男性は自らの足で最も険しい山に登り、
『星結びの蘭』という幻の花を採ってくるのが古くからの習わしですね。
この花は、二人の愛が真実であれば、食べた瞬間に口の中で弾けるような甘さを感じると言われています。
まあ、今は温室栽培ができるので、うちで最高級のものを買っていく若者がほとんどですけどね」
なるほどな、とぼくは深く納得した。
うさぎは草食動物だ。
だからこそ、花も草も単なる「鑑賞」にとどまらず、「食用」も兼ねた最高の贈り物になるのか。
生態系と文化がこれほど見事にリンクしていることに、記者としての好奇心が激しく刺激される。
次に彼女に案内された応接室のテーブルには、
宝石のように輝く数種類の花が、美しいガラスの皿に盛り付けられていた。
高級な花かごのような見た目だ。
「これが新商品の『ムーンライト・ダリア』のサラダ仕立てです。
どうぞ、そのまま召し上がってみてください」
促されるまま、ぼくは青みがかった花びらを一枚口に運んだ。
……驚いた。
シャキシャキとした瑞々しいレタスのような食感の直後、
花の蜜の濃厚な甘みと、柑橘類を思わせる爽やかな酸味が口いっぱいに広がったのだ。
青臭さは微塵もなく、完璧に調和の取れた一つの料理として成立している。
「素晴らしいでしょう?
栄養価も高く、最近の若い方々にも非常に人気があります」
と店主の熱弁がとまらない。
「誰かに花を贈るということは、
『あなたと美しいものを共有し、そして共に命の糧(栄養)を分かち合いたい』という深い愛情と信頼の証なのです。
誕生日や記念日には、相手の体調や好みの味に合わせて花束をブレンドします」
その後も店主から新商品の熱烈な宣伝を受け、ぼくは充実したインタビューの録音とメモを抱えて店を後にした。
「そういえば、腹が減ったな……」
お昼もだいぶ過ぎた頃だった。
食用花を試食したことで、かえって胃袋が刺激されてしまったらしい。
そういえば、朝通ったモノレールの駅に併設された、雰囲気の良いカフェがあったはずだ。
帰りにあそこで食事をとっていくことにしよう。
このストーリーのショート動画も作成しています。
https://youtube.com/shorts/CuTUusmlaMA?feature=share




