<月で待つカフェ>
ミア編(全4話です)
ミアが感じていたことのスピンオフです。
「うさぎは、月に還る」
そんな言葉を、どこかで聞いたことがある。
その言葉は。
本当だった。
死んだあと。
私は、真っ白な光の中にいた。
身体がない。
重さもない。
ただ、意識だけがある。
そして。
その先に、ひとりの存在がいた。
月世界の女神。
彼女は、私を見て微笑んだ。
「そなたは、ずいぶん長く待ったのう」
私は、彼女に何かを訴えた。
彼に会いたい。
約束した。
また一緒に暮らすと。
女神は、すべて分かっているようだった。
「ならば、待てばよい」
そして。
私は新しい命を与えられた。
月世界。
そこは、私が知っていた月とはまるで違った。
文明があり。
街があり。
ドームがあり。
モノレールが走り。
空には飛行艇が飛んでいる。
うさぎたちは服を着て。
仕事をして。
学校へ行き。
家族を作って暮らしている。
そして。
多くのうさぎたちは、前世の記憶を持っていた。
もちろん、すべてを覚えているわけではない。
薄い記憶。
断片的な記憶。
匂いだけ。
声だけ。
でも。
私は、覚えていた。
彼との約束だけは。
「きっと、また会える」
私は両親にそう話した。
祖父母にも話した。
「彼は人間だったの」
「また、きっと月へ来る」
もちろん、みんなは少し困った顔をした。
人間の魂が月へ来る。
そんな話は、女神神話にもほとんど残されていない。
それでも。
誰も私を強く否定しなかった。
月世界のうさぎたちは、そういうところがある。
誰かの想いを無理に否定しない。
私は、その優しさに救われた。
だから。
私は諦めなかった。
彼を探す。
いつか必ず。
私は、彼が好きだったものを覚えていた。
コーヒー。
彼はよく、コーヒーを飲んでいた。
だから。
いつか彼が月へ来たら。
ふらっと立ち寄れる場所を作ろうと思った。
カフェ。
温かい飲み物。
甘いもの。
そして。
「いらっしゃいませ」
そう言って。
彼を迎える。
それが、私の夢になった。
そのために、まずはカフェで働くことにした。
ところが。
私は、あまり器用ではなかった。
注文を間違える。
飲み物をこぼす。
料理を運んで転ぶ。
「ミア、またやったの?」
「……ごめんなさい」
そんな毎日だった。
でも。
頑張った。
彼を迎えるためだから。
そして。
ある日。
彼が来た。
カフェの入口。
そこに、一羽のうさぎが立っていた。
新人記者らしい。
少し頼りなさそうで。
でも。
どこか不思議な雰囲気がある。
私は、彼を見た瞬間。
――ドクン。
胸が大きく鳴った。
雷に打たれたようだった。
なんだろう。
この感じ。
初めて会ったはずなのに。
ずっと昔から知っているような。
懐かしい。
でも。
このときは、まだ「彼の魂」だとは思わなかった。
ただ。
特別な何かを感じた。
彼は、私の失敗を見ても笑わなかった。
「大丈夫。ぼくも仕事を始めたばっかりだから分かるよ」
優しい声。
高い。
人間だった彼とは全然違う。
でも。
言葉の奥にあるもの。
声の温度。
その波動。
懐かしい。
どうして?
「失敗しても、美味しいものを食べれば、また頑張れるんだから!」
その瞬間。
私は気づいた。
――この人。
――もしかして。
彼だ。
それから。
私は彼が来るのを楽しみにするようになった。
仕事帰りに姿を見せると嬉しい。
たくさん話しかけた。
花の話。
カフェの話。
仕事の話。
彼は楽しそうに聞いてくれた。
でも。
気づいていない。
私が誰なのか。
彼は、何も覚えていなかった。
それでも。
絶対に彼だ。
私は確信していた。
だけど。
どうすればいいのか分からない。
「あなたの前世は私と暮らしていた人間なの」
そんなことを言えるはずがない。
この世界には、理がある。
前世の記憶は、自分自身で取り戻さなければならない。
誰かに答えを教えてもらってはいけない。
私は、それを知っていた。
だから。
待つしかなかった。
ところが。
ある日から、彼がカフェに来なくなった。
一日。
二日。
三日。
私は不安になった。
もしかして。
どこかへ行ってしまった?
事故?
病気?
それとも。
私のことを嫌いになった?
居ても立ってもいられなくなった私は、彼の職場や実家をこっそり調べた。
そこで。
彼が大きな仕事を抱えていることを知った。
そして。
彼が、自分の過去について何も覚えていないことも。
胸が痛かった。
知らないことが多すぎる。
もっと知らなくては。
私は両親にも祖父母にも相談した。
「彼を見つけたの」
その言葉を聞いたとき。
祖父は長い間、黙っていた。
そして。
「前世の記憶を持たぬ者に、答えを与えてはいかん」
そう言った。
分かっている。
分かっているけど。
彼は、手を伸ばせば届く場所にいる。
なのに。
私は何もできない。
そして。
休日。
行政シティで、私は彼を見つけた。
話しかけた。
一緒に歩いた。
彼が私と二人の時間を過ごしてくれた。
それだけで。
胸がいっぱいになった。
嬉しくて。
楽しくて。
まるで子供みたいに、彼を商店街へ連れ回した。
お店を見て。
花を見て。
いろんな話をした。
そして。
ある店で、素敵なブローチを見つけた。
思わず、小さな声が漏れた。
「…かわいい」
彼は聞き逃さなかった。
「これ?」
そう言って。
彼は、そのブローチを買ってくれた。
「えっ」
嬉しい。
嬉しすぎる。
飛びつきたい。
抱きつきたい。
でも。
そんなことをしたら、きっと変に思われる。
私は必死に我慢した。
「花蜜アイス、食べない?」
そう言って誤魔化した。
ねぇ。
もっと私を見て。
気づいて。
私と一緒にいて。
私の気持ちは、どんどん膨らんでいった。
でも。
彼は、自分の過去を思い出せないことに苦しんでいた。
その姿を見ると、私まで苦しくなった。
私はここにいる。
ずっと、あなたを待っていた。
だから。
もう苦しまないで。
そう言いたかった。
でも。
今の彼にとって、私はまだ。
この世界で初めて出会った友人。
それだけ。
どうしたらいい。
私に何ができるの。
そこで私は、祖父を頼ることにした。
この世界のことを一番よく知っている人。
彼を支えるために。
彼が自分自身で答えに辿り着くために。
私は祖父に相談した。
そして。
不思議なくらい、物事は動き始めた。
彼が祖父に面会を申し込んだ。
私は慌てて祖父と話した。
そして。
エターナル・メモリアルパークへ行くことになった。
彼が。
私を選んでくれた。




