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【完結済み】異世界転生うさぎ  作者: Usabean
第八章 失われた約束
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<約束の相手>

記憶の中には、小さな身体がある。


ふわふわした毛。

短く、ぴんと立った耳。

手のひらに伝わってくる、温かな体温。

抱き上げたときの、かすかな重み。

鼻を近づけたときに感じる、干し草と、あの子自身の匂い。


それだけは、はっきりと分かる。


けれど――。

顔が思い出せない。

名前も出てこない。

どんな表情をしていたのかも、もう分からない。


まるで、そこだけが霧に覆われているようだった。


ただ一つ。

あの日、交わした言葉だけが残っている。


――今度の人生も、一緒に過ごそう。


ぼくが、そう言った。

言ったのは、間違いなく自分だった。


あの子の小さな前足に、自分の小指を重ねて。

約束だと、そう伝えた。


けれど。

相手は誰だった?



「…うーん…分からない」


ぼくは額に手を当てた。


記憶の中に、確かに存在している。

大切だった。

10年もの間、一緒に暮らしていた。

ぼくにとって、誰よりも大切な家族だった。


それなのに。

その顔だけが、どうしても思い出せない。


「どうして……」


胸の奥が苦しくなる。


ここまで来た。

人間だった頃の自分も。

宇宙船で何が起きたのかも。

そして、自分がこの月世界へ来た理由も。


すべて分かった。


それなのに。

最後の一番大切な部分だけが、ぽっかりと抜け落ちている。


そのときだった。


隣にいたミアが、静かに口を開いた。


「ここのうさぎはね」


「…え?」


ぼくは顔を上げた。

ミアは、まっすぐにぼくを見ていた。


その大きな瞳には、さっきまで流れていた涙の跡が残っている。

けれど、その表情は不思議なほど穏やかだった。


「みんな、前世の記憶があるの」


「前世?」


「うん」


ミアは、小さく頷いた。


「地球でうさぎとして生きて、寿命を全うした魂は、月へ還ってくるの」


「……」


「そして、この世界で新しい身体をもらって、もう一度生きるの」


静かな声だった。

まるで、ずっと昔から知っていた当たり前のことを説明するように。


「それが、この月世界の理なの」


心臓が跳ねた。


――そうだった。


だからだったのか。


初めて彼女と出会ったとき。


なぜか、懐かしかった。

初対面のはずなのに。

初めて会った相手とは思えなかった。

カフェで彼女が笑いかけてくれたときも。


行政シティで偶然再会したときも。

一緒に街を歩きながら話したときも。


ずっと感じていた。

言葉では説明できない、奇妙な安心感。


初めて会った相手なのに、ずっと前から知っているような感覚。

まるで、長い旅から帰ってきた自分を、ずっと待っていてくれた誰かと再会したような――。


「あれは…」


ぼくは、息を呑んだ。


「あれは、そういうことだったのか?」


ミアは何も答えない。

ただ、静かにぼくを見つめている。

その瞳が、少しだけ潤んだ。


頭の中で、いくつもの光景が蘇っていく。


出発の朝。

自宅のリビング。

床の上を歩き回る、小さな身体。

ぼくの足元までやってきて。

前足を、ぼくの手に乗せた。


『行ってくるね』


そう言って、ぼくはあの子を撫でた。


そして、小さな前足に、自分の小指を重ねた。


――今度の人生も、一緒に過ごそう。


あのときの約束。

その約束をした相手。


そして――。

目の前にいる彼女。


長い耳。

柔らかな毛並み。

大きな瞳。

笑ったときに少しだけ細くなる目元。


カフェで見せてくれた、あの優しい笑顔。

役所で向かい合ったときに感じた、言葉にならない懐かしさ。


全部が。

一つずつ。

一本の線へと繋がっていく。


「まさか…」


声が震えた。

ぼくは、目の前のミアを見つめた。


「キミは…」


喉が詰まる。


「ぼくの…」


その先を、どうしても言葉にできない。


もし違っていたら。

もし、自分の都合のいい思い込みだったら。

そう考えると、怖かった。


けれど。

ミアは逃げなかった。


ただ、ぼくの目をまっすぐに見つめている。


やがて、彼女は涙を拭った。

そして、花が咲くように、ふわりと笑った。


それは、これまで見たどんな笑顔よりも優しかった。

どこか懐かしくて。


ずっと待っていた人に、ようやく再会できたような。

そんな笑顔だった。


「うん」


ミアが頷く。


「うん。やっと…見つけてくれた」


「……」


「ずっと待ってた」


その言葉が、胸の奥に落ちた。


ずっと。

待っていた。


その一言だけで、胸がいっぱいになる。


けれど。

ぼくは、そこで小さく首を振った。


――違う。


これは、思い出したんじゃない。


ぼくは今、過去の記憶を鮮明に取り戻したわけではない。

あの子の顔を、完全に思い出したわけでもない。

名前を思い出したわけでもない。


なのに。

分かる。


目の前にいる彼女を見ているだけで、胸の奥にある何かが、確かに答えを告げている。


これは記憶じゃない。

もっと深いところに残っているもの。


言葉よりも。

映像よりも。

理屈よりも確かなもの。


魂の奥底に残っていた、感覚だった。


ずっと昔。

地球で、ぼくの帰りを待っていた――。


あの小さな家族。


その魂が、今。

目の前にいる。


「…ミアちゃん」


「うん」


「キミは…ぼくの――」


最後まで言えなかった。


けれど。

もう、答えは分かっていた。


ミアは、そんなぼくを見て、少しだけ笑った。


そして、ゆっくりと手を伸ばす。

ぼくの手に、小さな手を重ねた。


その瞬間。

胸の奥が、強く締めつけられた。


――知っている。


この感触を。

この温かさを。

この小さな重みを。

ずっと。


「…ああ」


思わず声が漏れた。


「やっぱり…」


ミアの瞳から、また涙がこぼれた。

でも、今度の涙は悲しみではなかった。

嬉しさをこらえきれないような、柔らかな涙だった。


彼女は、ぼくの小指に自分の小指をそっと重ね直す。

あの日と同じように。


「約束」


たった一言。

それだけだった。


けれど、その言葉を聞いた瞬間。

すべてが繋がった。


地球で交わした約束。

宇宙船で最後に願ったこと。


ポケベルに残された『やくそく』と『みつけて』。


そして。

月世界で出会った、彼女。


ぼくは、ようやく理解した。

あのメッセージは、場所を示していたわけじゃない。

誰かを探すための、最後の願いだった。


そして、その「誰か」は――。


最初から、ぼくのすぐそばにいた。

ただ、ぼくが気づけなかっただけだった。


透明なドームの向こうで、遠い地球が静かに輝いている。

かつてぼくが生まれた星。


そして。

あの子と約束を交わした星。


その星を見つめながら、ぼくはミアの手を握った。


今度は、もう、離さない。

失った時間を取り戻すことはできない。


人間だった頃の10年も。

別れの朝から今日までの時間も。


それでも。

約束は、終わっていなかった。


あの日、小さな前足と重ねた小指の約束は。


時を越え。

星を越え。

そして今、もう一度ここで結ばれた。


ぼくは、ようやく確信していた。


思い出したからではない。

誰かに教えられたからでもない。

目の前にいる彼女の存在そのものが、答えだった。


「…帰ってきたんだな」


小さく呟く。

ミアは、涙を浮かべながら笑った。


「うん」


月世界の柔らかな光が、二人の間に降り注いでいた。

遠い地球が、透明なドームの向こうで静かに輝いている。


かつてぼくが生まれた星。

そして。

約束を残してきた星。


ぼくはミアの手を、今度は離さなかった。

このストーリーのショート動画も作成しています。

https://youtube.com/shorts/Q46YfPsALzk?feature=share

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