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異世界転生うさぎ  作者: Usabean
第八章 失われた約束
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<宇宙船の事故>

深い。深い闇の中を、ぼくは落ちている。


上下も分からない。

右も左もない。


ただ、どこまでも暗い場所を、ぼくという存在だけが、際限なく落ち続けている。


――いや。


違う。

これは、落ちているんじゃない。

沈んでいるわけでもない。

閉じ込められていたものが、ぼくの中へ押し寄せてきている。


ずっと。ずっと昔から、ぼくの中にあったもの。


忘れていたのではない。

思い出せなかったのでもない。


あまりにも強烈な記憶だったから、ぼく自身の心が、それを封じていたのだ。


その蓋が、今。

完全に吹き飛んだ。


濁流のような記憶が、脳の奥へと一気に逆流してくる。


視界を埋め尽くしていた砂嵐が、少しずつ晴れていった。



最初に見えたのは


――青。


漆黒の宇宙に浮かぶ、青く美しい惑星。

白い雲が渦を巻き、大陸の緑と海の青が混ざり合っている。


地球。


ぼくが生まれた場所。


そして。


ぼくが最後に見た場所。


その地球が、分厚い観測窓の向こうにあった。



「…綺麗だな」


自分の声が聞こえた。

少し低い。

今のぼくとは違う、人間だった頃の声。


ぼくは、窓の前に立っていた。


いや。正確には、立っている自分を見ていた。

そこにいるのは、二本の足で立つ一人の人間の男だった。


白衣ではない。

宇宙船内用の簡素なシャツに、作業用のパンツ。

ベルトにはポケベルがついている。

そして首からは、取材用の端末が下がっている。


それが、かつてのぼくだった。


獣医師免許を持ち、宇宙開発の最前線を取材するジャーナリスト。


獣医師と記者。

一見すると、何の関係もない二つの職業。


けれど、ぼくにとっては違った。


動物の命を守ること。

そして、その命を取り巻く環境を人々に伝えること。


その二つは、ずっと繋がっていた。


そして、ぼくは今。

人類史上初となる、本格的な月面居住計画の取材に来ていた。



『ルナ・フロンティア計画』



人類が月面に恒久的な居住区を建設し、新しい文明圏を作り上げるという、壮大な計画だった。

ぼくはその計画に参加する研究者たちへの取材を続けながら、獣医師として、

閉鎖空間や低重力環境が動物の身体に与える影響についても調査していた。


そして、その歴史的なプロジェクトを記録するために、ぼくが乗り込んだ船が――。


深宇宙探査・居住区画運搬船。


『アーク・ノヴァ』


月へ向かう巨大な宇宙船だった。




「地球が、あんなに小さくなっちまったな」


隣から声がした。


振り向く。

そこには、一人の男がいた。


短く刈った髪。

日に焼けた顔。

無精ひげ。


いかにも現場の技術者という雰囲気の男だった。


彼はマーク。

アーク・ノヴァの機関系統を担当していた技術者だ。


彼は片手にコーヒーの入ったパウチを持っていた。


「まだ地球だって分かる大きさだけどな」


ぼくが言うと、マークは笑った。


「お前、記者のくせにロマンがないな」


「獣医師でもあるんだよ」


「それは関係あるのか?」


「たぶん」


「たぶんかよ」


二人で笑う。

そんな、何気ない会話。


今思えば。

あれが最後になるなんて、誰が想像しただろう。


ぼくは再び窓の外を見る。


青い地球。

その姿が、少しずつ小さくなっている。


「不思議な感覚だよ」


ぼくは呟いた。


「地球って、宇宙から見るとこんなに小さいんだな」


「でも、あそこに全部入ってる」


「全部?」


「家族も、友達も、仕事も、めし屋も、嫌な上司も」


「最後のは宇宙まで持ってこなくていいだろ」


「ははは!」


マークは声を上げて笑った。


船内は快適だった。

人工重力システムが働いているため、地球にいるときとほとんど変わらない感覚で歩ける。

温度も湿度も自動管理され、空調も安定している。

食事も、地上ほどの自由はないものの、それなりに充実していた。


出航直後は、誰もが緊張していた。


ロケットエンジンの轟音。

身体を押し潰すような重力。

大気圏を抜けた瞬間の、あの強烈な浮遊感。


けれど、それも時間が経てば日常になる。

宇宙という非日常が、日常へと変わっていく。



「なあ、記者さん」


「ん?」


「月面に着いたら、最初の記事は何を書くんだ?」


マークがからかうように言った。


「そうだな…」


ぼくは少し考えた。


「『人類、ついに月面でウサギの餅つきを観測』とか」


「なんだそれ」


「月にはウサギがいるっていう話があるだろ?」


「お前、本気で言ってるのか?」


「もちろん、冗談」


「だよな」


マークは呆れたように笑った。


けれど。

ぼくは、ふと真顔になった。


「でも…」


「ん?」


「もし本当に、月で動物と暮らせる環境が作れたら、素晴らしいと思うよ」


その言葉の奥には、地球に残してきた小さな家族の姿があった。


ふわふわした毛。

小さな鼻。

長い耳。

そして、ぼくを見る瞳。



出発の朝。

家には、留守を預かってくれる友人と、あの子がいた。

ぼくの足元をちょこちょこと歩き回り、最後には前足をぼくの手に乗せた。


まるで、


「行かないで」


そう言っているようだった。

ぼくはしゃがみ込み、その小さな身体を抱き上げた。


柔らかい。

温かい。

心臓の鼓動が、手のひらに伝わってくる。


「大丈夫だよ」


ぼくは笑っていた。


「いってくるね」


小さな前足が、ぼくの指に触れる。

ぼくは、その前足に自分の小指をそっと重ねた。


――その記憶が、そこで途切れた。


いや。正確には、まだ続いている。

ただ、今のぼくには、その先を見ることができなかった。



宇宙船での日々は、穏やかに過ぎていた。

ぼくは取材記事を書き、研究者たちに話を聞き、地球へ定期的にデータを送っていた。


月は、少しずつ近づいていた。

窓から見える灰色の天体が、日ごとに大きくなっていく。


誰もが期待していた。

数週間後には月面に降り立ち、人類の新しい歴史が始まる。


そう信じていた。



――あの日までは。

このストーリーのショート動画も作成しています。

https://youtube.com/shorts/f55fyw3CF8U?feature=share

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