<女神の伝承>
映し出されたのは、青い地球。
そして、その隣に浮かぶ月。
「君は、なぜ我々がこの月で、これほど高度な文明を築けたのか、不思議に思ったことはないかね?」
「…あります」
ぼくは答えた。
「植物園でも思いました。
月には地球ほど豊富な資源があるわけじゃない。
それなのに、食料も衣服も建材も、植物から作っている」
「うむ」
「いったい、どうしてそんなことが可能になったのか」
教授はしばらく黙っていた。
そして、ホログラムを切り替える。
地球と月。
その間に、一人の女性のシルエットが現れた。
長い耳。
白い衣。
そして、慈愛を感じさせる姿。
「これは…?」
「女神じゃ」
「女神?」
「月世界に古くから伝わる『女神伝承』じゃよ」
教授の声が、少しだけ低くなる。
「この月世界は、かつて慈愛に満ちた女神によって創られたと言われておる」
「創られた……?」
「地球で命を終えたうさぎたちの魂を憐れみ、慈しみ、安息の地として、この月を与えた、とな。」
ぼくは黙ってホログラムを見つめた。
「そして、この世界を維持するために与えられたのが、『生命の奇跡』じゃ。
我々が今使っている植物生成技術の起源だとされておる。」
「…神話、ですよね?」
「もちろん」
教授は苦笑した。
「科学者として、これを文字通り事実だと信じるわけにはいかん。」
そう言いながらも、教授の目は真剣だった。
「じゃがな」
教授は静かに続けた。
「我々の歴史を調べれば調べるほど、この神話を完全な作り話として切り捨てることもできなくなる」
「どういうことです?」
「月世界の起源に関する記録が、あまりにも少ないのじゃ」
教授は指を動かした。
ホログラムに古い記録が表示された。
「我々が歴史を記録し始めるより前から、月には文明が存在していた。
植物生成技術も、月面の塔も、その起源が分からない」
「…月面の塔」
「そうじゃ」
教授はポケベルへ視線を落とした。
「そして――」
教授の声が少しだけ小さくなった。
「我々の中には、『前世の記憶』を持って生まれる者がおる。」
「前世……」
その言葉が胸に刺さった。
ぼくの手が、無意識に膝の上で握りしめられる。
「そうじゃ。輪廻という考え方じゃな」
輪廻。
前世。
その言葉が、頭の中で何度も響く。
ぼくはうさぎではなかった。人間だった。
それだけは、間違いない。
なのに、なぜぼくはここにいる?
なぜうさぎとして生きている?
そして、なぜ記憶がない?
「…教授」
「なんじゃ?」
「もし……人間だった魂が、うさぎとして生まれ変わることもあるんですか?」
教授の表情が、わずかに変わった。
「どうじゃろうの。『女神伝承』では、うさぎの魂が輪廻するとされておる。」
「…」
「じゃが、魂というものが本当に存在するのなら、魂が宿る肉体に、絶対的な制約があるとは限らんのかもな。」
ぼくは息を呑んだ。
それは、ぼく自身の存在を肯定する言葉だった。
「面白い話じゃろう?」
教授は悪戯っぽく笑う。
「もちろん、科学的に証明された話ではないんじゃがな。」
教授はポケベルを指先で軽く叩いた。
「この機械も、その謎の一つかもしれん」
教授は椅子に座り直した。
「さて、本題に入ろう」
ポケベルの画面が、再び二人の間に置かれた。
『7、2、4、3、2、4、4、4……』
「君が受信した数字じゃな」
「はい」
「地球の語呂合わせとして読むには、少し不自然じゃ」
「ぼくもそう思います」
教授はしばらく数字をじっと見つめた。
「これは『言葉』ではなく、『場所』を示しているとは考えられんか?」
「場所?」
「座標、あるいは区画番号じゃ」
教授は立ち上がる。
壁際にある巨大な本棚へ向かい、古びた記録簿を取り出した。
表紙には見たことのない文字が刻まれている。
「少し待っておれ」
教授はページをめくっていく。
古い紙が擦れる音。
ホログラム全盛の月世界で、紙のページをめくる音だけが妙に大きく聞こえた。
「…ここじゃ」
教授が止まった。
「月世界形成初期の記録じゃ」
ぼくは立ち上がり、教授の横へ移動する。
「特別な魂を弔うための区画。そして、重要な記憶を封印するための場所…」
「記憶を、封印?」
「そうじゃ」
教授は古い文字を指でなぞった。
「その区画は、数字によって管理されていたらしい」
ぼくの背中に、ぞくりと寒気が走った。
教授が顔を上げる。
「現在の地名で言えば、エターナル・メモリアルパークじゃ」
聞き覚えのある名前だった。
月世界の地図にも載っていた。
厳重に管理された、公園墓地。
「エターナル・メモリアルパーク」
ぼくはその名前を呟いた。
「単なる墓地ではない、と?」
教授は静かに頷いた。
「この世界の歴史。そして、輪廻の秘密。
あるいは…君自身の記憶に関わる何かが眠っているかもしれん」
「ぼくの…」
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