<鳴り響く着信音>
『ピロリロ、ピロリロ、ピロリロ……!』
「!?」
甲高い電子音が、静寂を切り裂いた。
あまりにも突然だった。
シオンが弾かれたように振り返る。
「な、なんだ!?」
ぼくも驚いて周囲を見回した。
誰もいない。
警備員も、作業員もいない。
そもそも、このフロアにはぼくたち以外の気配すらない。
なのに――。
『ピロリロ、ピロリロ、ピロリロ……!』
音は、確かに聞こえている。
しかも、すぐ近くから。
「おい、何の音だ!?」
シオンが警戒するように身構えた。
「この最上階で着信だと? そんなこと、物理的にあり得ないぞ!」
「あ……!」
その瞬間、ぼくは気付いた。
音の出どころ。
自分のカバンだ。
「待って…これ……!」
慌ててカバンを開く。
中にはタブレット端末、取材用の記録機器、筆記用具。
そして、その一番下。
今回は気まぐれでカバンに入れてきていた、小さな黒い箱。
「まさか…」
ぼくは震える手で、それを取り出した。
『ピロリロ、ピロリロ、ピロリロ!』
「ぼ、ぼくのだ…」
手のひらに乗るほどの、小さな機械。
古びた黒い筐体。
小さなボタン。
そして、緑色に光る液晶画面。
ぼくがこの世界に来てからずっと持っていたもの。
誰に聞いても用途が分からず、そもそもこの世界のどんな端末とも構造が違っていた。
ポケベル。
ぼくが、そう呼んでいるものだった。
「それが鳴っているのか?」
シオンが顔を近づける。
「ずっと圏外だった。どこに行っても、何をしても反応しなかったのに…」
そして、ぼくは周囲を見渡した。
「ここだけは……違う」
シオンの表情が変わった。
「…この塔か」
ぼくは息を呑む。
この塔では、あらゆる通信が遮断される。
シオン自身がそう言っていた。
タブレット端末は圏外。
通信機能だけではない。
写真すら残せない。
なのにそんな場所で。
この古びた通信機器だけが、強烈な電波を受信している。
シオンが低く呟く。
「この塔では、君のその端末は通信できるということか」
「分からない。でも…」
ポケベルから、再び電子音が鳴る。
そして、音が止まった。
静寂が戻る。
ぼくは恐る恐る画面を確認した。
小さな緑色の液晶に、数字が表示されている。
そこには――。
『7、2、4、3、2、4、4、4……』
「…数字?」
シオンが覗き込む。
「意味は?」
「分からない」
ぼくは首を横に振った。
7、2、4、3、2、4、4、4
ただ、それだけ。
意味のない数字の羅列にしか見えない。
この数字を見ていると、胸の奥が落ち着かなくなる。
「…何か、知っている気がする」
「この数字を?」
「いや…」
自分でも説明できない。
頭では何も思い出せない。
なのに、身体のどこかが反応している。
まるで、この数字を知っている。
昔。ずっと昔に――。
「誰が送ってきたんだろう」
ぼくが呟くと、シオンは険しい顔でポケベルを見つめた。
「この塔の最上階では、通常の通信は完全に遮断されている。なら、この信号はどうやってここへ届いた?」
答えは出ない。
ぼくはポケベルを裏返したり、側面を確認したりした。
当然、仕組みなど分からない。
「オレは編集部でいろんな通信機器を見てきた」
シオンが言った。
「最新型の通信端末から、古い時代の記録媒体までな。
だが…これは知らない」
シオンの言葉に、ぼくは顔を上げた。
「本当に?」
「ああ。少なくとも、今の月世界で使われている技術ではない」
シオンは画面に表示された数字をじっと見つめた。
「そして、このタイミングで届いたことを考えると…」
「ただのノイズじゃない?」
「そう考えるほうが不自然だろう」
シオンが静かに答えた。
「この塔で、通信できないはずの端末に、通信できないはずの信号が届いた。
その内容が意味ありげな数字の羅列だ」
彼は少し間を置く。
「暗号かもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、胸がざわついた。
過去からのメッセージ。
この世界に来る前の自分。
失われた記憶。
そして、地球。
いったい、何が繋がっているのだろう。
「ぼくの過去に関係しているのかな…」
口から、自然にそんな言葉が漏れた。
シオンは答えなかった。
ただ、ぼくの顔を見ている。
ぼくはポケベルを握りしめる。
「何かを思い出しそうになるんだけど、わからない…」
しばらく沈黙が続いた。
やがてシオンが口を開いた。
「そうだ。ルナ研究大学。」
その名前には聞き覚えがあった。
月世界でも有数の研究機関。
以前、植物園の取材について調べたときにも、その名前を見かけたことがある。
「大学に、この塔の研究をしている教授がいる」
シオンは続けた。
「古代文明と暗号解読の権威だ。かなりの変わり者だが、知識だけは確かだ」
「この数字を見せれば…何か分かるかもしれない?」
「可能性はある」
シオンは頷いた。
「少なくとも、オレたちだけで考えるよりはずっといい」
「じゃあ…」
「下に戻って通信が回復したら、すぐに大学へ問い合わせる」
シオンはタブレットを取り出した。
もちろん、画面には『No Signal』の文字。
「通信が戻ったら、教授への面会依頼と、お前への紹介状を送る」
「ありがとう、シオンさん」
「礼はまだ早い。暗号だと決まったわけじゃないからな」
そう言って、シオンは小さく笑った。
ぼくたちは最後に、もう一度だけ展望フロアを見回した。
何か手掛かりになるものはないか。
塔の内部に何か秘密が隠されていないか。
目に焼き付けるように、周囲を観察する。
そして、ぼくは、もう一度地球を見上げた。
青い。
どこまでも青い。
その瞬間だった。
――ビービー。
「…え?」
頭の奥で、何かが鳴った。
――ビービー、ビービー。
警報。
そう思った。
聞いたことのない音。
…いや。違う。
聞いたことがある。
ぼくは反射的に胸元を押さえた。
「…っ!」
心臓が跳ねる。
息が苦しい。
何かを思い出しそうだった。
暗い場所。
赤く点滅する光。
耳をつんざく警報音。
「地球…?」
口から、言葉が漏れた。
けれど、その先に続く記憶は出てこない。
まるで霧の向こうに逃げてしまったように、頭の中が真っ白になる。
「おい!」
シオンの声が飛んできた。
「大丈夫か!?」
「…ああ」
ぼくはゆっくり顔を上げた。
「大丈夫…たぶん」
「顔色が悪いぞ」
「少し、昔のことを思い出しかけただけだ」
シオンは心配そうにぼくを見る。
けれど、それ以上は聞かなかった。
ただ、エレベーターのほうへ歩き出す。
「今日はもう戻ろう」
「…うん」
ぼくも後に続いた。
ポケベルを、胸元で強く握りしめる。
小さな液晶画面には、まだ数字が表示されている。
『7、2、4、3、2、4、4、4……』
その数字は、ただの羅列なのか。
それとも、遠い過去から、ぼくを呼び続けている声なのか。
あるいは、今もどこかで、誰かがぼくに何かを伝えようとしているのか。
分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この塔で鳴り響いたシグナルは、偶然ではない。
そう思えてならなかった。
そしてそれは、ぼくの閉ざされた記憶の扉を、ゆっくりと、確実に開き始めていた。
エレベーターの扉が開く。
ぼくは一度だけ振り返った。
透明な壁の向こう。
漆黒の宇宙に浮かぶ、青い地球。
その姿を目に焼き付けてから、ぼくはエレベーターへ足を踏み入れた。
扉が閉まる。
ぼくたちは、月面の塔を後にした。
このストーリーのショート動画も作成しています。
https://youtube.com/shorts/yTM3k765ai0?feature=share




