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異世界転生うさぎ  作者: Usabean
第五章 月面の塔
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<塔の最上階>

「エントランスまでは、我々の特別記者証で入れる」


そう言ってシオンが車のドアを開けた。

外へ出た瞬間、ひやりとした空気が頬を撫でる。


目の前にそびえ立つ月面の塔。

近くで見ると、その巨大さはさらに現実味を失っていた。


まるで建物そのものが、月面から生えている巨大な鉱物の結晶だ。

ぼくは思わず首を上へ向けた。


…高い。

どこまで続いているのか、視線だけでは頂上を捉えられない。


「…本当に、ここに入るんですか?」


「そのために来たんだろう?」


「いや、そうなんですけど…」


改めて考えると、ぼくは記者になってまだ間もない。

それなのに、一般市民どころか、ほとんどの記者すら立ち入れないという場所に来てしまった。


しかも、ぼくの隣にいるのは、見るからに場慣れした特殊班のシオン。

これ、普通の取材じゃないよな?

そんな不安を抱えたまま、ぼくたちは巨大なゲートをくぐった。


周囲の空気が変わった。


思わず足を止める。

静かだった。ただ静かなだけじゃない。


音そのものが、どこかへ吸い込まれてしまったような静けさだった。

ぼくたちの足音すら、妙に小さく聞こえる。


都市部なら必ず聞こえてくるモノレールの走行音も、街のざわめきも、機械の駆動音もない。

聞こえるのは、自分の呼吸音だけ。

そして、隣を歩くシオンの足音。


エントランスには何人ものうさぎがいた。


重装備の警備員。

巨大な機械を点検している作業員。

端末を操作している技術者。


数だけを見れば、それなりに賑わっているはずなのに。

誰一人として声を上げない。

誰も雑談をしていない。


まるで、この場所では私語そのものが禁止されているかのようだった。


「取材してみます」


ぼくは近くにいた作業員へ声をかける。



「すみません。少しお話を伺ってもいいでしょうか?」


作業員はゆっくりとこちらを振り返った。

目が合う。なんだろう。

その瞳には、妙な緊張があった。


「月面の塔について、普段どのような設備の管理をされていますか」


「ここは通信ハブであり、我々の生活の要です。それ以上は、お答えできません」


ぺこり。

それだけ言うと、作業員はぼくから視線を逸らし、作業へ戻ってしまった。


「…」


別の警備員にも聞いてみる。


「この塔は、いつ頃から存在しているんでしょうか?」


「回答できません」


「内部にはどのような施設が?」


「回答できません」


「一般公開される予定は?」


「回答できません」


「…全部ですか?」


「回答できません」


「ですよね」


なんだこれ。

まるで、質問に対する回答をあらかじめ設定されているみたいだ。


しかも、みんなどこか怯えている、そんな気がした。

塔そのものを恐れているような。

あるいは、塔の中にいる何かを。


「…シオンさん」


「なんだ?」


「ここ、本当に大丈夫な場所なんですよね?」


「さあな」


「さあなって…!」


思わず声が裏返る。

するとシオンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「この塔の連中に聞いても無駄だ。行くぞ」


そう言って、エントランスの奥へ歩いていく。

ぼくも慌てて後を追った。


やがて辿り着いたのは、他の設備とは明らかに違う、ひときわ重厚なエレベーターだった。


扉の横にある操作パネルを見る。

真っ赤な文字が表示されていた。


『ACCESS ERROR』



シオンは懐から小さなデバイスを取り出した。

編集長から預かった、最上位アクセスキーらしい。


それをパネルへ近づける。


ピッ。

短い電子音。


ゴゴゴゴゴ…。


地面の奥から響くような重低音とともに、エレベーターの扉がゆっくりと開いた。


「行こう」


「はい」


ぼくたちは中へ入る。

扉が閉まる。



ドンッ!


「うわっ!」


身体が一瞬、床へ押しつけられた。

次の瞬間には、猛烈な勢いで上昇を始めていた。


「は、速…っ!」


「この塔は高いからな」


「いや、高いとかそういうレベルじゃ…!」


内臓が浮き上がる。耳の奥が変になる。

窓のない密室のはずなのに、上へ上へと運ばれている感覚だけははっきりと伝わってくる。

そんなぼくを横目に、シオンは平然としていた。


「この塔については、大きく分けて三つの機能があると言われている」


「この状況で説明始めるんですか…?」


「聞きたいだろう?」


「…聞きたいです」


ぼくは壁に手をつきながら頷いた。


「一つ目は、月世界全土を網羅する『超広域通信設備』

 二つ目は、はるか遠くの宇宙までを見通す『天文観測所』」


そしてシオンは、少しだけ間を置いた。


「三つ目が、この世界のインフラ全てを統括しているとも噂される、『超高度管理知能』だ」


「…知能?」


ぼくは眉をひそめた。


「それって、この世界のうさぎたちが制御しているんじゃないんですか?」


「そういう話じゃない」


「じゃあ…」


「塔自身が制御している、という説だ」


「…」


背中に、ぞわりと寒気が走った。


「塔自体が、意思を持っている?」


「存在そのものを誰も確認していない。だが、そうとしか説明できない現象がいくつもある」


シオンは淡々と話す。


「塔が自律的に設備を管理し、必要な場所へエネルギーを配分する。

 故障した設備を自動で修復する。通信経路を最適化する。まるで、巨大な生き物のようにな」


「…怖いことを普通の顔で言わないでください」


「怖いだろう?」


「怖いですよ!」


「ははは」


シオンが笑った。

絶対にぼくの反応を楽しんでいる。


「でも、それなら誰がそんなものを作ったんです?」


ぼくが尋ねると、シオンの表情が少しだけ変わった。


「それが最大の謎なんだ」


さっきまでの軽い雰囲気が消える。


「この塔が、いつ、誰によって作られたのか。それを知る者は、この月世界には一人もいない。

 我々が歴史を記録し始めるよりも、ずっと前からここにあった」


シオンは上を見上げた。

もちろん、エレベーターの天井しか見えない。


「一部の学者は、かつて存在した高度文明の遺跡だと考えている」


「古代遺跡…」


ぼくは言葉を失った。

これだけ巨大で、この世界の文明そのものを支えていて。

しかも、誰が作ったのかすら分からない。


そんなものを、月世界のうさぎたちはずっと利用している。


「どうして、そんな重要な場所が放置されているんです?」


「放置しているわけじゃない」


シオンは静かに答えた。


「ただ、深入りしないんだ」


「深入りしない?」


「我々うさぎは、平和で穏やかな生活を好む。今あるものが問題なく動いているなら、それ以上を知ろうとはしない」


「…」


「恩恵だけを受け取る。それが、この世界が平穏に回っている理由なのかもしれないな」


その言葉が、妙に胸に残った。


チン。


小さな音が響いた。


「着いたぞ」


エレベーターの扉が開く。

その先に広がっていた光景を見て、僕は息を呑んだ。


「…すごい」


そこは、360度すべてが透明な壁に覆われた、巨大な展望フロアだった。

足元から天井まで、何も遮るものがない。


ぼくは吸い寄せられるように窓際へ駆け寄った。

眼下には、月世界の街並みが広がっている。


遠くに見えるルナニュータウン。

巨大なドームを持つルナガーデンシティの植物園。

その向こうには、月面を縫うように伸びる交通網。

さっきまで自分が暮らしていた世界が、まるで精巧な模型のように小さく見えた。


そして。


僕は空を見上げた。

漆黒の宇宙。


そこに浮かんでいたのは、青い星だった。


「…地球」


思わず呟く。


美しかった。

あまりにも美しくて、胸が締めつけられる。


手を伸ばせば届きそうなほど、近くに感じる。


「絶景だろう」


後ろからシオンの声がした。


「ただし、ここから見えているものを、そのまま現実だと思わないほうがいい」


「…え?」


「この景色は、塔自身が我々に見せているとも言われている」


「見せている?」


「ああ。見えないはずの角度や、存在しないはずの広がりまで見えることがある」


ぼくはもう一度、地球を見る。


「ぼくには…普通に月世界が見えているように感じます」


「そうか」


「ただ…地球が、異様に近く感じます」


シオンはしばらくぼくの顔を見つめた。


「なるほど」


そして、ぽつりと言った。


「お前には、そう見えているんだな」


「どういう意味です?」


「オレには、月世界の外が見えている」


「え…?」


シオンは窓の外へ視線を向けた。


その言葉に、ぼくは再び宇宙を見つめた。


いったい、この塔は何を見せている?

なぜ、僕とシオンでは見えているものが違う?


「不思議だろう」


シオンが呟く。


「…どうなってるんだろうな」


ぼくは答えられなかった。

その時、カバンの中にあるタブレット端末を思い出した。


取り出してみる。


画面には


『No Signal』


通信圏外。


それだけではない。

通信を必要としないはずのアプリまで、すべて停止している。


「…本当に、何も使えない」


「強力なジャミングフィールドだ」


シオンが言った。


「ここではあらゆる電波と通信が遮断される。タブレットはただの板切れだ」


「…写真も?」


「撮れない」


「え?」


「試してみろ」


ぼくはカメラを起動する。

シャッターボタンを押した。

何も起こらない。


もう一度。

やはり、撮影できない。


目の前には確かに地球がある。

月世界がある。


それなのに、記録することだけができない。


まるでこの場所で見たものを、外へ持ち出すことを拒まれているようだった。


ぼくは窓の外へ視線を戻した。


眼下の月世界。

頭上の地球。


そして、そのすべてを見下ろす月面の塔。


この塔を作った「何者か」は、一体何者なのだろう。


なぜ、ぼくたちの世界を支えている?

なぜ、誰もその正体を知らない?


なぜぼくには、地球がこんなにも近く見える?


胸の奥が、妙にざわついた。

地球を見ていると、何かを思い出しそうになる。


けれど、その何かは霧の向こう側に隠れていて、手を伸ばしても届かない。


ぼくは目を閉じた。


静かだ。

あまりにも静かだった。


シオンとぼくの呼吸音。

服が擦れる、かすかな音。


それ以外には何もない。


ここは、世界から切り離された場所。


誰にも干渉されず。

誰にも知られず。

何も記録できない。


完全な密室。


ぼくはもう一度、地球を見上げた。


その青い輝きが、なぜかぼくの胸を強く締めつける。


何かが、違う。

そう思った瞬間だった。

このストーリーのショート動画も作成しています。

https://youtube.com/shorts/yTM3k765ai0?feature=share

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